趣味

☆2013年・お盆休みも後半だし、お宝でも公開するか☆

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 昨日は終戦記念日(天皇陛下がポツダム宣言を受け入れると日本国民に向けラジオで玉音放送した日)でしたね。終戦60年の頃までは靖国神社へ行きましたが、ただ騒ぎに便乗したいような野次馬や警備の機動隊の物々しさに辟易し、近年は光が丘の「平和の碑」に参るだけになりました。何度も書いてるけど、あの碑文はどうにかならないのかなあ。成増陸軍飛行場は帝都防衛のほか、戦争後半には沖縄や、本土を狙う米機動部隊から守るために特攻作戦を行なった「振武隊」の編成や訓練基地として利用されたんだけど、そういう記述は一切無い。
ま、隣に光が丘図書館があり、地元の歴史コーナーにいろいろ資料本がありますので、立ち寄って調べて見て下さい。


さて、今回は私のコレクションの中でもスペシャルなモノを紹介しちゃいますね。なんでしょうか、ワクワク。

さあ全国、1500万ケーシー線ファンのみなさん!おまたせしました。これが正真正銘のケーシー線のレールです!!

なぜお前がそんなもん持ってるんだ?と突っ込みをいれられちゃいそうですが、東上線収集家としてごく一部で有名な私の元には、お宝自体が向こうからやってくる‥なんてことはないんですが、まあ、譲っていただいた方との約束もあり、公開は時が経ってからということで、何年も収蔵庫に眠らせておいたのですよ。

レールはほぼ正方形で、縦横約10.9cm、懇意の鉄道博物館学芸員、佐藤先生に鑑定していただいた所、明治時代によく使われた30㎏レール(1メートルで30㎏の重量)規格のものであるとのことで、昭和時代は貨物線区や側線・支線に使われていたそうです。

ケーシー線は、戦時中、上板橋駅から陸軍第一造兵廠倉庫(現・練馬自衛隊)まで、物資の輸送用に敷設されていた貨物線で、戦後は成増飛行場跡に出来た米軍住宅・グラントハイツまで伸長され、建設資材の運送や、初期のほんの短い間、人員輸送用のガソリンカーが池袋駅との間を走っていました。そのガソリンカーと同型の仲間であるキハ41000形の車両が、大宮の鉄道博物館に実車展示されている(掲示写真)。
ケーシー線は啓志線とも表記されるけど、東武鉄道内ではG.H.線と表記されている。ケーシーの名は、側線伸長工事責任者であった、ヒュウ・ケーシー中尉の名前を冠したそうだ。都内にある廃線としては有名だけれど、現在はその痕跡を辿るのは困難だ。

話は変わるけど、来年(2014年)、我らが東上線が開業100周年を向かえるのは、当然ですがご存知ですよね?そろそろ記念本などが出版され始め、板橋イオンの本屋のレジ横に積んであったりします。
もちろん、私も買っちゃいましたよ。彩流社刊「東武東上線 街と駅の1世紀」。サイズはA4版より少し小さめで、なかなか上質の紙を使ってます。だいたい一駅見開き2ページで紹介し、エピソードの多い駅にはもっとページを割いています。使われている古い時代の写真(昭和40年代が多い)は、鉄道誌ではよく見かける鉄道写真家の写真かな、でも初めて見るものが多かったですね。駅舎とかちゃんと撮影しているのが良いですね。板橋区内で言えば、板橋区公文書館所蔵の、昔の板橋区史で使った昭和30年代に低い位置から空撮した駅を中心とした風景写真がふんだんに使われてます。紙数の関係でしょうがないのでしょうが、資料(切符とかチラシとか旅行案内等)の紹介が一切無いのが惜しいですね。内容では、ケーシー線の紹介が相変わらず「グラントハイツ建設責任者のケーシー中尉の名前から採った。」と記述されていたり、残念な部分があります。これは東武鉄道の社史に記載されているのでつい引用しちゃうのですが、中尉クラス(年齢25歳前後)の若い士官が基地全体の建設責任をまかされるのは疑問で、せいぜい現場監督くらいでしょう。

これからも来年にかけて、いろいろ東上線特集本が刊行されるでしょうが、今月21日には老舗鉄道雑誌「鉄道ピクトリアル」が”東上線特集号”を出しますね。今までは東武鉄道特集号ばかりでしたから、こちらも期待大です。
博物館での特集展示も期待したいところですが、東武鉄道博物館は別として、東上線沿線の博物館や資料館が東上線の展示を行う情報は、まだ聞こえてきません。板橋では行なう予定はないし、豊島の資料館は新館移行で閉館しているだろうし、ま、期待は以前、東上線の展示をしたことがある朝霞市立博物館かなあ。。上福岡の資料館も元東武鉄道博物館館長・花上さんの講演会をしてたし。川越は‥やらないだろうなあ。それ以西にもどこかあったかな。。

こういう周年の機会でもないと、なかなか展示会は行なわれないし、そういう時に、地元に眠る貴重な資料が掘り起こされる可能性が出てくるんですけどね。なにせ開業時の池袋駅の写真すら発見されてないし、下板橋駅や成増駅の開業写真も見たことないし。開業時の終点、田面沢駅なんて写真はおろか、場所すら完全特定されてないんすよねえ。

それと、東上線の資料は、昭和20年4月の空襲で池袋の東上業務部が焼失し、その多くが失われたと言われてますが、以外と市井の東上線マニアが所蔵している貴重な資料が、いろいろ残ってるんじゃないですかね。この機会に、秘蔵の資料がいずこかで公開されればありがたいのですが。それらが集まれば、たいした見ものとなるんじゃないかなあ。そうなれば私も協力は惜しみませんけどね。


来年はとりあえず過去に公開したものも含め、このブログ上で東上線特集記事でもまとめてUPしますかね。


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板橋区民、収集癖について語る。第一話

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 だいぶ間があいてしまいました。。前回はラーメンにまつわる個人的想い出を書きましたが、”おまえの個人的想い出なんて読むだけムダだ”とお叱りを受けるのでは、と思いつつ秋の夜長ということで今回は収集について語ってみますね。


思えば、いろんな物を収集してきた。子供時代ならば、誰でもそんな経験はあるだろう。物心ついた時から花の種やら木や雑草の実(ドングリとかビーズとか)や貝の化石、高島平や西台の野原に捨てられていた産廃物から抜き取った真空管やトランジスタなどの半導体などなど。お小遣いをもらえるようになってからは切手(きっかけは親戚から貰ったもの)や古銭(これも祖母が譲ってくれた)など‥古銭は徳丸の大きな農家の庭を丹念に探すと大正期や昭和初期のものが落ちていたので拾ったりした。おそらくは”建舞”などで撒かれた小銭だったのだろう。小学生ながら東武練馬駅南口にあった骨董屋へ出入りし、嘉永通宝などを買った(一枚百円だった)。

北野神社から下った弁天坂の近くにパン屋と駄菓子も売る文房具屋があり、近所の子供達はそこを溜まり場に買い食いなどをしていた。小学校高学年の頃、(仮面)ライダーカードを集めることが流行し、ライダースナックを売っていたパン屋の店先に、食べ散らかしたスナックが道路に散乱していた光景を今でも思い出す。自分は、なぜかカード類には関心が向かなかったが、その頃はプラモデル作りや秋田書店の戦記本収集をしていてお金が回らなかったからだろう。女子達は紙石鹸や消しゴムなどイイ臭いのする物やカワイイ物を集めていたのは今と変わらないですね。
子供時代の趣味や収集は続かないもので、ほとんどの人は高校生になるころには他に興味が移ってしまい、物を収集する人などはぐっと少なくなるものだ。その頃の自分は写真趣味の方へ移ってしまっていた。

こうして様々な物を集めてきたけれど、整理された切手や古銭以外、ほとんどのものは無くなったり母親に捨てられたりしてしまった。特に母親は収集物を”ゴミ”としか認識しておらず、ちょっと関心が薄くなっているともういらない物と判断され、無断で処分されてしまったりした。中には、今でも持っていればなあと残念なものもある。
そんな中、ずっと手元に残っていた物がある。それが、掲載の東上線の切符だ。これは小学校低学年の頃、ほしくて自分の意志で駅員に渡さず、ポケットに隠したまま改札を通って入手した物だ。昭和50年代の始めころの話だが、東武デパートの5階か8階に手品の品を売るコーナーがあり、その隣に切手やカードを販売している店があり、鉄道グッズや使用済みの切符も売っていた。特に興味はなかったけど、売価も安かったので、何気なく昭和30年代の山手線の切符を購入した。それも一枚ではなく複数枚買った。思えば当時、自分では気がついていないが、収集の方向性はすでに備わっていたのかもしれない。


‥それから時が経ち30代となってから、”板橋区を趣味とする”と宣言し、歴史の探究や収集を始めた際、最初に集めようと思ったのが交通関係のグッズであった。特に切符の収集には執念が燃え上がった。内に持っていた収集の癖に気がつき、その才能?が表に出てきたようだ。
さて、もともとは回収されるべきである使用済み切符をどのように収集するのか?東武デパートにあった店はすでに無かった。そんな時(1990年代初め)、たまに古本市をやっていた有楽町の交通会館地下商店街で古本を見ていると、ムサい男共の集団がひしめいている貸しギャラリーがあった。何気なく覗くと、おお、切符が売られてるじゃないか!その時、初めて東上線の切符(硬券)を手に入れた。ほとんどが昭和30年代の物で、切符収集の世界では私鉄はあまり人気がなく、特に東上線は集めている人が少ないようで容易に数を集めることができた。但し、それはまだ自分が”シロウト”であったに過ぎないことが、後々になってわるのだ。

興味のない人からすれば、切符は発売駅や料金の違いくらいしかないだろうと思われるだろうが、面白いことに数を集めてみると、年代により地紋の種類やフォントや様式の違いが変わってくることに気がつく。そうすると、その変化がいつ起こったのかのだろうかと言うことを知りたくなる。それにはもっと集めなくてはならない。販売会で買ってしまえばそこで物はもう無くなるわけで、他に求めなくてはならなくなる。会場では「交通趣味」という冊子が売られていて、そこには全国各地で開かれる販売会の告知や、紙上オークションが行なわれていた。その冊子を手に取ったことが”収集地獄”の始まりだった‥

        

   〜この項、長くなりそうなので記事を一度UPします。続きはまたあとで Coming Soon!〜

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板橋区民、収集癖について語る。第四話

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 怒濤の勢いで第四話へ突入。これはインターネットも携帯電話も普及していなかった頃の話です。

大物収集家の入札会では、珍しい切符が手に入ったり勉強になったりしたけれど、入手できる枚数は少なくなる。他にブツを手に入れる方法は、「交通趣味」などの趣味誌の広告欄に掲載される個人収集家が発行する入札誌を取り寄せることだ。しかし、たいていは国鉄が主流で、私鉄の券はなかなか出て来ない。それと、確立は低いが古本市で入手出来る場合があった。

今でも行なわれているかわからないが、新宿の伊勢丹デパートで開催された古本市に行った時のことだ。(秋や年末になると古本市を催事場で開催するデパートがあった。)特に切符があるとは思わず、絵はがきや戦記物の本を探して歩いていると、ショーケースのブースに店開きしていた古書店に、古い収集アルバムが置いてあった。

昔の”紙もの”収集家は、紙製のアルバム(今のようにビニール袋仕様のファイルはなかった)に入場券など収集物を直接糊で貼付けて整理する方法が一般的で、経年劣化により収集品がダメージを受けてしまうことが多かった。質の悪い紙で作られたファイルは、糊と台紙の成分が染み出て貼付けたモノが変色したりシワシワになってしまう場合があるのだ。しかし、古本屋の店頭で見つけたアルバムは、中の台紙にパラフィン紙が貼ってあり、そこへ収納できるタイプの物だった。

アルバムを開くと驚いた。それは、切符収集家が手放したであろう収集アルバムで、しかもまだ誰も手をつけていなかったのか、多数の切符の中に終戦直後の東上線の切符がズラリと並んでいたのだ。脳ミソから一気にアドレナリンが噴出し、一枚一枚が相当な高額だったが震える手で抜き出し買い求めた。電卓を叩きながら古書店主は一言いった。

「またお探し物が入ったら、連絡しますよ。」

言葉通り、翌日、その古書店主から電話が来た。
「昭和20年代の上板橋駅発行の定期券が出てきたけど、いかが?」

相手から電話がかかってきた場合、断るともう二度と連絡をしてこなくなるので、急いで伊勢丹デパートの売り場へ行った。現物を見ると、定期券は変色し上の方がボロボロで少し欠けていて状態が悪い。それなのに、おいおいそりゃないだろう、と言う程の値段が付いていた。これも勉強か。。と思い購入したが、家に帰ってから激しく後悔した。
今は、その定期券は収集アルバムに納め、オークションなどでヒートアップした際に頭を冷やす為の戒めとして、眺めることにしている。


話は変わるが、私の叔父(父親の兄)も実は大した収集家らしく、子供の頃、私の父親にタバコのカートン紙を捨てずに集めて譲るように頼んでいたのを憶えている。タバコは10個が1カートン単位でまとめてパッキングされているが、そこに広告やご当地柄などが印刷されており、その違いが収集心をくすぐるらしい。とくに海外の免税品店で売っている日本煙草のパッケージが延髄の品だった。他にはずれ宝くじやテレフォンカードなども集めていたようだが、叔父の収集の全貌はわからない。
以前、自分が乗車券類の収集をしていると言った時、叔父は自身が使っていた定期券や国際興業バスの回数券(昭和30〜40年代)を譲ってくれたことがあったので、そこらへんの物にはあまり執着はなかったのかもしれない。ただ、”乗り鉄”趣味はあったようで、全国を乗り歩いていたようだ。

その叔父から、「美濃」を紹介してもらった。

「美濃」は美濃収集会が発行する入札誌で、B5版見開きモノクロページには、昔の新聞より小さなフォントでびっしりと郵貯や古銭、乗車券、カード、古本ほか膨大な入札品類が載っていた。こうした入札誌は古書店などでも発行していて、いろいろな種類がある。
前回今回掲出の金井窪駅や開業早々の大山駅発行の切符は、この「美濃」で入手した。当時は今ほど老眼が進んではいなかったので、このような入札誌も漁れるだけあさり、眼をまっ赤にしながら目を通したものだ。


‥この項を書いている今、叔父が亡くなったとの連絡が入った。もう何年も前から痴呆症が進み、施設に入所していた。

下谷区西町小学校を卒業(姉である叔母も卒業・池波正太郎と同級だった)し、高等小学校を出て参謀本部陸地測量部に勤務していた。最初の頃はガダルカナル島の地図を作成していたが、それがフィリピンや小笠原諸島、伊豆大島とだんだん本土に近づき戦局の悪化を感じていたと言う。昭和19年現役で入隊し、中支武漢の高射砲部隊に入隊し、終戦後は土木工事に従事させられ、昭和21年5月に上海から福岡に復員した。叔母の旦那はインパール作戦後のイラワジ会戦に参加しながら無事生還した。両叔父ともに戦死したものと思われていたので、復員した時、家族はとても驚いたそうだ。

叔父の死去により、私の祖父一家は全員この世からいなくなった。ただ、あの世では全員が揃ったことになる。もう昔の話を聞くことも出来ないのは残念だが、いたしかたがない。
収集家の一人として叔父が集めてきた収集品の行方が気になるが、捨てられることなく、新たな収集家の元に渡ることを願いたい。合掌。


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板橋区民、アリーナを行く。〜One On One at 武道館〜





また、いやついにこの日が来た。
サーポールマッカートニーの武道館コンサート。

あれから2年、ロックのレジェンドが舞台に立つ姿をまた見れるとは‥
しかも今回はアリーナ席からの参加だ(端だけど)。
それでは、いざ参戦‼︎


だいぶ端だがドームのアリーナに比べればましさ!



よし!特別チケットも手に入ったぞ。



開演予定は6時半だけど、外タレは時間が押すのが当たり前、この間なんか始まったのが8時過ぎていた。辛抱、いや楽しみに待つべし。

開演予定時刻になったが始まる気配は全くなし。座席は埋まってますが。

場内はウェーブも始まり盛り上がってきたがまだまだか。

今回のツアータイトルははOne On One、ポール対観客ではなく、ポールと一対一と言う意味だ。

始まった!ハーデーズナイト!

二曲目はジェット!



はぁはぁだいぶ疲れてきた。

はぁはぁっサージェントからのバックインザソ連邦!熱い

そしてヘイジュードの大合唱!



さてアンコールは何を演るのか?コールは止まらない‼︎



イェスタディ始まった‥

ああ‥ついにゴールデンスランバーか‥

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というわけで19時03分から始まったステージは21時06分に終了した。
アリーナは傾斜がないので人並みに隠れてあまりステージが見えないが、コンサートに参加している感はハンパない。

それにしても最初からエンドまでずっと立ちっぱなしはオジさんにはきつい‥それでも、ラヴミードゥとかヘイジュードとかおなじみの名曲の数々をポールと一緒に歌えたことは、最高の夜でした。


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板橋区民、アリーナを行く。・2〜One On One at 東京ドーム〜





また、来てしまった。
サーポールマッカートニー in 東京ドーム
先日の武道館に比べると、さすがに人でごった返している。

コアなファンの間では、ポール来日期間をポールデンウィークと呼ぶらしい。

さあ、本日もアリーナからの参戦だ。いざ!


さすがドームのアリーナは広い。これじゃステージは見えないなぁ。

ドーム内はすごい人でスマホの通信が激混みなので書き込みが大変だ。

開演時刻は過ぎたが全く始まる気配もない。こんだけ人が入るなら致し方なしか。



シリーラブが始まった。いよいよ来るか⁉︎

うーむまだだった。ちなみにポールのコンサートは録音録画はNGだがスマホコンデジ撮影はOKだ。



7時開演と同時に接続が落ちた。一曲目なんだったっけ、シーラブズユーは三曲目。



ウイングス特集はじまた



ビートルズ特集はじまた



はぁはぁラヴミードゥはぁはぁ

からのアンドアイラブユー

からのブラックバード


おっとここでレディマドンナ!はぁはぁ



エリナリグビーからのミスターカイト



そしてジョージに捧げるサムスィング



オブラディオブラダ大合唱からのバンドオンザラン!

そしてレットイットビー



ヘイジュード大合唱終わりアンコール待ち

アンコール、イェスタディ終わた

サージェント始また

バースデー終わりとうとうゴールデンスランバーか‥

21時35分終了ー



今回のセットリストはなんと39曲!この6月に75歳になるのにホントすごい人だ。まったく休まず歌い続ける。

アリーナは、席の位置によりステージが全然見えないなんてこともあるけれど、コンサートに参加してる感は顕著ですね。それにしても2時間半立ちっぱなしは辛いなあ〜ってポールはもっと大変か。いやはや。

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板橋区民、2階席でシャウトする。〜One On One at 東京ドーム〜





さて、ポールデンウィークも後半を迎えた。
祝日の東京ドームは物凄い人出だ。それにしても、一昨日のドームは素晴らしかった。ネットを覗いてもそんな報告が多い。
今日はどんなステージを見せてくれるのだろう、いざ、参戦!


今回は2階席からの鑑賞だ。さすがにアリーナ連チャンは疲れちゃうからね、ジックリ聴くゾ〜

と、開演予定時刻だけどまだまだ。19時開演だな。

今日は2階席だけど一番前なので遮るものナシ、最高だ。

あと5分で19時、盛り上がってきました!ハッ、へホッ!ハッハッハッへホッ!18時56分はじまた!!


いつビーナハーディない‼︎
西部アス!!
キャンバイミーラーブ‼︎



エレキの激しい曲が終わりピアノバラードへ。


お約束のどっかーん‼︎

アンコール!アンコール!

ハイハイハイ!
ハーイハーイハーイ!

ああ、、ゴールデンスランバーか‥

21時30分終了‥





ふう、3日目がおわってしまった。一昨日とはセットリストが変わったので行ってよかった。2階席は立ち上がる人や写真をばんばん撮る人もおらず、まったりと曲に聞き入ることができた。しかし後半さすがに名残惜しいのかシャウトする人が多く、なかなか盛り上がっていましたよん。

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板橋区民、1階席でLetting Go!〜One On One at 東京ドーム〜





ああ、ついにポールデンウイークも最終日となってしまった。。

まだ開場時間前なので人人人の波だ。当日券を求める列も長い。

サウンドチェックが遅れているようで入場までかかりそうだ。小腹でも満たすかな。



さて入場。本日の席は1階だけどほとんど外野席。柱で視界が遮られるしピアノ曲は全く見えない。コレハゆっくり音楽を楽しめと言うことダナ‥

DJが18時15分から始まったので19時スタートかな。

はじまた




ハーデナィつ


アイブがったフィーリン!


レディマドンナの大歓声!
パパパパーパパパパー


バーンオーンザラーンバーンオーンザラン!


ヘイジュードの大合唱サイリウムと一緒に!



アンコールはゲットバックーー‼︎

最後のゴールデンスランバー‥涙

21時35分終了〜


と言うわけで武道館を始め4回にわたるポールの東京コンサートは終わった。余韻に浸るため、下赤塚に今月新しくオープンしたホルモン居酒屋で喉を潤している。

昔書いたかもしれないが、多分ビートルズ初来日で世間が騒がしかったので覚えたのだろうが、髪の長いあんちゃんを見ると、あっビートルズだ!と指差していた自分を覚えている。

しっかりとした記憶では、小学生のころ、兄貴がいるおませな同級生が、リリースされたばかりのレットイットビーアルバムを教室に持ち込んで自慢げに見せびらかしていたことを覚えている。

ビートルズを本格的に聴き始めたのは20代の半ばからだったけど、高校の頃はポールの曲ばかり聴き、学生時代、ジョンの射殺はショックだった。あの時は長嶋監督の電撃解任と王選手の引退と重なってたっけ。

いずれも昭和の頃の話か‥

そんなサーポールマッカートニーももうすぐ75歳、間違いなく世界の音楽史上に残るレジェンドだ。そのレジェンドの人生の4日間・10時間を共用できたのは本当に誇らしいことだ。
ありがとうポール、マタアイマショウ‼︎

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板橋区民、鬼怒川温泉郷で憩う。


板橋区民は温泉が好きだ。特に、白濁し硫化水素臭がプンプン漂う硫黄泉をなによりも愛する。

と言うわけで、ただ今、鬼怒川温泉からライブで書き込んでいる。


温泉をいただいているのは鬼怒川仁王尊プラザである。


温泉は白濁していないが、ほのかに硫化水素臭の漂う優しいお湯である。


露天風呂は鬼怒川沿いにあり、川下りに使う船を模した湯舟からは渓谷が一望出来る。

お湯の温度も39度くらいとぬる湯好きの板橋区民には最適だ。

嗚呼、やっぱり温泉はいいなぁ♨️

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板橋区民、総火演を逝く。



おはようございます。
いま、御殿場のセブンイレブンにいる。これから総火演会場へ向かうがさてスムーズに着けるかな。

午前3時50分、現地到着。いや〜聞きしに勝るがすでに沢山の人が集まっている。取り敢えずEスタンド席の列に並べたが本当に座れるのかどうか心配だ。

現在、午前4時45分、空が白み始めて来た。風が寒いくらいだ。会場はますますカオス状態へ。

午前5時、行列整理のため一斉に移動を始めたが列が一気に乱れますますますますカオス状態へ。

午前5時45分、当選ハガキをチケットに交換。本当にスタンド席に座れるのかなあ。。

午前6時30分、会場席への移動が始まった。わくわく。

午前7時、シート席に無事着弾。ヨカッタ。演習開始まであと3時間か

書き込み忘れたけど、午前6時半過ぎから試射が始まっている。ものすご〜い爆裂音だ。

富士山も顔を見せ始めた。

午前8時45分、いい感じになってきたゾ

開演まであと30分!シート席もぎっしり満員だ。

10分前、スタンバイよし!

いざ出陣‼︎

弾着〜〜〜〜

弾着〜〜〜〜

富士山をバックにして飛ぶアパ〜〜ッチ‼︎

空挺隊着地で前段終了!


詳細は後に、後段終了ー

いや〜凄かったー


ってなことで、無事演習見学を終え昼食を食べに寄ったのは、ハンバーグ好きなら一度は訪れたい静岡県内しかないハンバーグチェーン「炭火焼レストランさわやか」ただでさえ混む日曜日の午後、なんと3時間以上の待ち時間。せっかく此処まで来たのだ、総火演の待ち時間6時間の半分じゃまいか。今日はほとんど仮眠しかしていなかったので車の中で休むかと駐車場で待つことに。

ってなことでマジで3時間待ちでありついた名物の「げんこつハンバーグ」。んっもうとても美味しゅうございました。




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板橋区民、時局を鑑み美國へ行く。




三連休初日、板橋区民は外国へ向かう。
が、降り立ったのは拝島駅である。


国道16号沿いの道は歩道も道路も大混雑だ。


道路沿いでは民間臨時駐車場も商売繁昌だ。料金1回3500円!


目的地へ到着。板橋区民は、米軍横田基地に来たのである。基地の中はアメリカだ。北の核ミサイル実験が実用化寸前の昨今、その攻撃ターゲットの一つで、いわば最前線基地であるYOKOTAを実感するのは有意義なことだ。ゲートが開いたばかりなので周辺は人で溢れ返っていおり、DJポリスまで出動してる。


行動が早かったせいか、オープン後15分で入場できた。場内では陽気なDJが案内放送を流し、アメリカン気分を盛り上げる。



早速、米軍の旧資材が出迎えてくれる。進駐軍でおなじみのジープなど。


米軍基地名物、ステーキ売り場はすでに長蛇の列だ。ほかにもピザだのシュラスコだのの匂いが充満し、アメリカの街角を思い出させる。


さて、エプロンでとりあえず輸送機を見学しよう。


しかしこの行列、どうにかならんのか。


と、イライラして待っていると上空にブルーインパルスの編隊がっ!


やっと中に入れたが振り向けば広い会場内は人人人の波。


1時間以上並んで漸くコックピットに到着。やれやれ。行列が進まなかったのは、操縦席に座って記念写真を撮っているため。


次のミッションはアメリカンなステーキを食べること。会場中心部のコーナーは長蛇の列なので会場入り口付近の店へ。


並んでる割に以外とスムーズにステーキプレートげと。久しぶりに味わうグレービーソース、相変わらず酸っぱくてマズイ!が、これぞ本場アメリカンの味だ。


さーて、腹も少し膨れたので展示飛行機でも見学するかと、ひたすらエプロンを歩くが輸送機みたいのしかないじゃん。どうも台風の接近でグァム基地に展開している爆撃機などは展示中止とかなんとか。


それでも人だかりがあるので近づくと、おお、グローバルホークじゃん!どうやら横田基地にも配備になるらしく、そのお披露目だそうだ。無人の偵察機でアメリカ本土の空軍基地から作戦コントロールできるすごい奴である。


小腹がすいたので、ホットドッグとゲータレード(アメリカ色水)を購入。雑だ。とにかく雑だ。ほんとアメリカだ。皆コンクリの地べたに直に座って食事をしている。


腹が満たされたら疲労感がおそってきた。帰りのゲートはこれから来る人帰る人でカオス状態だ。


DJポリスさんご苦労様である。それにしても友好祭と言いつつ、ジャンクフード祭り、なんじゃナイダロカ‥

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