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板橋区民、マッカーサーと逢う。

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気がついたら4月も末日、G.W.の前半が終わっているではないか。

今月は確か一回しか記事を書いていないのだが、それはXやFBに直接投稿することが多く(もないけど)なり、記事をあらためてブログにUPしなくなったせいもある。FBのグループの中にはブログへ誘導するとはじかれてしまうケースがあるからだ。

ということで

もう一週間以上前になるけれど、大和市にある米軍&海上自衛隊の厚木基地で行われた日米親善春祭りに出かけた。前からマッカーサー元帥が、無条件降伏をした日本の占領統治を行うために本土に初上陸した場所に行ってみたいと思っていたのだ。残念ながら沖縄から乗機したB-17E改装輸送機「バターン号」のタラップからコーンパイプを咥えながら降り立った地点は不明なのだが、厚木基地のゲートを潜るとその様子を再現したかのようなマッカーサーの銅像が迎えてくれる。

厚木基地は元帝国海軍の飛行基地で、1942年に完成した。首都防空の拠点として機能し、戦争後半には精鋭の海軍搭乗員を集めた302空が存在した。終戦時には降伏を受け入れず徹底抗戦を訴え、首都圏の軍事基地に飛びアジビラを撒いたことは有名な話だ。すったもんだの末に日本の航空機の飛行禁止となる8月24日までに騒動は終わり、28日に占領軍の先遣隊が厚木飛行場に到着した。当初、その先遣隊の責任者として、マッカーサーの副官で工兵隊のトップであったヒュー・ジョン・ケーシー少将が名乗りを上げていたが、それは危険すぎるとマッカーサーが説得し止まらせた。マッカーサーは非常に気難しい性格で、部下を何人も更迭してきたが、ケーシーだけは子飼いとして認め、大事にしていた。

マッカーサーは30日に厚木基地に歴史的な一歩を踏み、以降講和条約が結ばれ日本が独立するまで7年間にわたる占領時代が始まった。

まあそんな歴史背景を思いながら基地に足を踏み入れたのだけれどそれから79年、陽気な米兵たちの催す出店やコンサート舞台や米軍展示装備に群がる日本人たちの平和な風景の広がる日米親善祭りの光景からは、往時を想像するのも大変だけれど、考えてみれば今だに米国による占領統治は続いているのだなという感も否めない。

と、いうことはさておきやっぱり米軍機はかっこいいなあ。おっ、これはトップガン・マーベリックでトム・クルーズが乗っていたF-18ホーネットやんけ、などとはしゃぐ気持ちを抑えられない板橋区民であった。

 

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