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板橋区民、追加で手にいれた宝の山を目の前にし恍惚となる。

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東武練馬の知人の引っ越し作業が佳境となり、最後の砦である天井裏の物置場が開封された。そして、その奥からお宝資料が出てきたとの連絡をいただいたので、さっそく背取りのために店に駆けつけた。

出てきたのは板橋区民の大好物である古写真の数々で、紙焼き写真からネガ類、4X5版のフィルムやブローニーフィルムが一般化する前まで使われていたガラス乾板まで、戦前から昭和30年代にかけての貴重なお宝の数々である。これらは基本、卒業アルバムに使用するために撮影された物で、旧・北野高校に関する写真がほとんどだった。

なかでも目を引いたのは、北野高校と周辺地域のプリント写真を結合したパノラマ写真で、なんとそこには開発直前の「不動通り」の姿が映っているではないか!!これは凄い!今まで、部分的に写っている写真は何葉かあったけれど、全景を俯瞰出来るアングルで撮影された写真は初めて見た。

さっそく分析を始めるが、撮影場所は、現在のイオンスタイル板橋の母屋と隣接する駐車場棟との間くらいから。撮影時期は、北野高校の横に都営住宅が建っているので戦後数年経ってからであり、1948年3月に撮影された米軍空中写真にも建物は写っていない。1953年(昭和28年)3月設立のまきば幼稚園が無いので、それ以前の間までに撮影されたと思われる。この後、昭和30年代後半にはもうびっしりと住宅が立ち並ぶ風景となるので、急激に宅地化されたことがわかる。不動通りの部分を拡大したが、徳丸1丁目から西台3丁目、三田線西台駅方向の高島平までが遠望できる。おそらくは、この写真が明治や江戸時代の徳丸風景を偲べる最後の頃の姿だろう。(北野高校のある台地は大木の茂る林だったが)

 

これらの資料は、60年以上の歳月を天井裏でひっそりと眠っていた物で、今回のコロナ禍が後押しとなって陽の目を見た。もし、板橋区民の元に来なければ、人知れず捨てられてしまった貴重な歴史であっただろう。サルベージできて良かった。本当に良かった。

 

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