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板橋区民、ある店の最初と最後を見届ける。

2021miyazaki

週末は嵐のようですね。春近し。

長引くコロナ禍で企業、個人にかかわらず商店街にある路面店の閉店が相次いでいる。

我が故郷、東武練馬駅近くにある板橋区民の知人の店も、今月をもって閉店してしまう。もっとも、コロナ禍が直接の原因ではなく、何年も前から店を閉めたいと言っていたのだが閉店作業が面倒くさく、ずるずると倉庫のような感じで借りていたのだが、ちょうど契約が切れる月でもあるし、コロナ禍にも押され、とうとう店を閉める決断したのである。

お店は写真屋さんで、この地に開店したのは1970年代の後半、当時から板橋区民も知り合いであったので、最初の頃から店に出入りをしていた。店先に掲示していた証明写真のモデルも板橋区民が務めていたのである。時が流れ、デジカメが主流となりDTPの注文が減るとともに現像焼付けの機械を処分してからはパートを置くほどのこともないので、倉庫兼事務所のような形での営業が10年以上続いていた。そのせいで近所を通る人にとっては、”常にシャッターの閉まっている不思議な店”となってしまったのだ。商店街にはそんな一見、やる気のなさそうな不思議な店があり、最近はそれをネタにした”つぶれない店”的なテレビ番組も作られていますね。

初代のおやじさんはもう20年くらい前に亡くなられているが、戦前のオリエンタル写真学校(のちの小西六=コニカ、と言っても平成生まれにはわからないかな)を卒業後、徴兵されて中国大陸へ送られ、ソ満国境付近で写真偵察隊として敵陣の撮影をし、荒野の戦場に立てた暗室テントで現像引き伸ばしを行い、その写真は敵陣地攻略作戦に使用された。

戦後は調布でオンリーさん(米軍人とその日本人彼女)の記念写真を撮っていたが、昭和20年代半ばに新制の都立北野高校(今の都立有徳高校)の写真屋さんとなり、その後、まきば幼稚園や志村高校、田柄高校や練馬高校、北町中学校など近隣の学校を顧客として営業してきた。だから小売の写真業をしなくても良かったのだが、二代目が一緒にやることになり、カラー自現機を入れる都合もあって東武練馬に店を構えることになったのだ。ちなみに板橋区民の幼稚園のアルバムも、初代おやじさんが撮影した物である。

もう40年以上の付き合いであり、閉店する流れもわかるのだけれど、やっぱり寂しい。ふといろいろな思い出が交差する。二代目は光が丘団地に住んでおり、息子さんが女優の上戸彩ちゃんと保育園からの幼馴染で、デビュー当時のまだフィルムが主流だった頃は、得体の知らない店に現像に出して流出されるのを避けるため、プライベートの現像プリントはこの店で行っていた。志村高校の卒業生である俳優の寺田農さんは、若い頃、北町に住んでいた初代おやじさんの家へよく麻雀をしにきていたそうだ。

 

今後、いつまでこのコロナ禍が続くのか、終わりの見えない日々で心が折れ、廃業を決めてしまう店も出てしまうかもしれないけれど、本当に悲しい。苦しいのは飲食店だけじゃないんだが、どうにかしろとマスクを外して叫びたい。

 

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