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2020年も年末なので、今年のお宝資料No.-1を発表する。

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今日は12月30日。明日は大晦日で明後日から2021年が始まる。思い返せば今年はコロナ禍のせいで何にもしてなかった一年間だったような気がしてならないが、そんな中で手に入れた数少ない資料からNo.-1を選ぶ。

それでは、発表します。

                      ・・・ドコドコドコドコドコドコドコ・・・

2020年、お宝アワード発表!、第1位は「東上鉄道株式会社創立創始期資料群」に決定!!

 

この資料群は、東上鉄道の創立に、恐らくは最年少(20代半ば)で加わった、後年、北豊島郡大泉村(現在の練馬区大泉)の村長となる方の残した所蔵資料の中から発見した。現在の東武東上線は、大正9年(1920年)に東武鉄道が東上鉄道を合併して誕生したのであるが、当ブログでよく書くフレーズに”歴史は勝者が創る”という言葉がある。東武鉄道の社史を見ると、東武東上線の前身である東上鉄道株式会社は社長・根津嘉一郎以下、ほとんどの創立役員は東武鉄道の幹部達で占められており、最初から東武鉄道が創ったように書かれている。しかしである。もともと東上鉄道設立を目指していたのは、蓮根村で醤油醸造業を営んでいた「内田三左衛門」だった。

ここでは詳細は省く(過去の当ブログ記事に記載)けれど、内田三左衛門は自身の全財産を投げ打ち、その情熱に賛同した人々を巻き込んで東上鉄道敷設に邁進したが、結局は夢破れ、後のことを盟友・練馬村の上野傳右衛門に託し、失意を抱き去っていった。「なぜ、内田三左衛門は鉄道敷設をあきらめたのか」。これは単に「資金が続かなかったから」ということで片付けられてしまっているが、それが最大の原因ではあっても、それだけであるはずはなく、他にも様々な要因があったことは想像に難く無い。

今年手に入れた資料群は、その謎を解明する一端であることに間違いない。(冒頭の写真はその一部)特に、明治42年(1909年)6月1日から始まる”東上鉄道創立事務所が志村蓮根村の内田三左衛門宅に置かれた”と記されたメモ帳は、大変興味深い物だ。

これから何年かかるかわからないが、本資料群を読み解き、東上鉄道創立の真相を追い求めたい。

 

ということで、当ブログ本編は本日をもって年納めといたします。コロナ禍の続く中、2021年はどんな年になるのやら、期待よりも不安が先行しますが、2020年、お付き合いをありがとうございました。善男善女の皆々方様、よいお年をお迎えくださいませ。

 

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コメント

いつも楽しく拝読させていただいています!深い見識と洞察・探求にいつも敬服しております。
このほど、また一つ、町に密かに残る遺構が姿を消しました。
むつみ台団地の北東角に位置する、通りを挟んだ向かい側の一角につい先日まで残っていた、
グラントハイツ時代の名残(とおぼしき)10メートルほどの金網が、とうとう姿を消してしまいました。
かなり長い間、立ち入り禁止の空き地となっていたその一角に何かが作られることになったようです。
↓参考:2007年頃のネット上の記事
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=478634&id=15718886
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=478634&id=6215329
光が丘公園屋敷林敷地内の駐禁標識も最早赤錆だらけで原形をとどめない現在、
歴史を刻んだ遺構が無くなっていくのはとても寂しいですね

投稿: maco | 2021年1月 2日 (土) 20時59分

>>tacoさん
コメントをありがとうございます。探求は自負しておりますが深い洞察力には欠けております。むつみ台団地にGH時代の遺構が残っていたのですね、それは知りませんでした。GHが返還されてから50年近く経ちますので、しかたのないこととは言え残念なことです。あとは、かつての関係者が自宅で保管している資料がどのくらい残っているかですね。板橋区では無理ですが、練馬区のふるさと館でいつかGHの展示があることを願うばかりです。返還が1973年なので2023年の50周年がチャンスですね。資料館が本気で動くと、様々な資料が発掘されることが多いので、まだ知られていない遺構が見つかるかもしれません。

投稿: オーク | 2021年1月 2日 (土) 21時54分

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