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⭐️祝!800回記念⭐️板橋区民、ようやく確証を得る。

1960

メリークリスマス。

一週間後は2021年元旦、コロナ禍により静かな年明けになりそうですね。

最近、ろくな記事を上げていないことは承知しております。SNS上では、更新が止まっているとの書き込みも見かけました。期待に添えなくて心苦しい思いをしておりますが、こんな他愛もないブログでも、記事を上げるには心がうごかされる動機がなければ書く気が起こらないのです。

では記念すべき第800回目の記事を贈ります。

15年近く前になりますが、板橋区民は、成増飛行場で艦船特攻の訓練をし、出撃地の都城東飛行場で終戦を迎えた振武隊の方に当時の話をインタビューしました。その時、「休日は何をして過ごしましたか」の質問に、「成増駅の方にある郵便局近くの慰安所へ行きましたね」と答えがあり、板橋区民は一瞬、やっぱり成増にもあったんだなあと「いわゆる従軍慰安婦のいる所」と思い込み、下卑た笑顔を浮かべ、「料金は幾らくらいでどんな接待を受けたんですか」と踏み込んだ。

すると、「いやいや、そういういかがわしい所ではなく、慰安の女学生さんたちがきて話をしたり、トランプをしたりのきわめて健全な場所でしたよ」との答えで、恥ずかしい思いをした。場所は郵便局の近く、としか記憶がなく、正確な場所がわからなかったのだけれど、ある時、成増の重鎮の方に聞いてみると、「それは”武蔵野”という旅館のことじゃないか」と教えていただいた。そこで、所有している1969年度版の住宅地図を見ると、川越街道からスズラン通りに入ってすぐの場所に存在することが確認できた(現在は三井住友銀行並びの駐車場)。

よし、これで解決。と思ったが、心の隅に「郵便局の近くと聞いたけど、成増郵便局は川越街道対面(南側)の少し離れた場所にあるのが気になるなあ、ま、昔の記憶なので郵便局がランドマークとして頭に残っていたのかな」とさして気にしていなかった。ところが、最近別の調べ物をしている際に、1960年の住宅地図を見る機会があった。1960年発行なので、情報としてはその少し前の時期(1950年代後半)だろう。

残念ながらこの地図は縮尺があまり正確ではなく、土地が省略して描かれた部分もあるのが難点だけれど、現在の情報で補足できる程度ではある。1960年の地図は、成増駅が今の位置に移動する前の時期なので、とても重要なものだ。早速、確認すると「おお!ビンゴ!」である。「旅館 武蔵野」に隣接して「成増郵便局」があるじゃないか。恐らく、新南口建設の際の道路拡張で移動したのだろう。

これで確証を持って人に話すことができる。旅館であるので、戦時中、成増飛行場にいる関係者や特攻隊員に会いにくる家族親戚が滞在したこともあったのだろうと想像する。

 

 

昔どこに何があったとかの思い出話しは、話題として盛り上がるけれど、それは30年かせいぜい40年前の景色であり、60年以上前の住宅地図は、その当時の原風景を知らない人にとっては「へー」くらいにしか感じないだろうが、この中に様々な情報が隠れているのである。

 

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