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縁の下の板橋区民、2020年11月。

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秋晴れの好天が続き、野菜が安くなりましたね。

今週月曜日の朝日新聞夕刊に、高島平と赤塚、徳丸の一部地域を紹介する特集記事が掲載された。「まちの記憶」と題された連載シリーズで、選ばれた街の地域史を深掘りする。

板橋区民は、コロナ禍緊急事態宣言で揺れていた4月〜6月の時期に、練馬区光が丘地域の特集記事のおり取材に協力をした。その時の記者の方とのやりとりで、光が丘団地もすごいけれど、我が板橋区の高島平地域も歴史的にはとてもすごいんですよ、と宣伝をしておいた。この記者氏は団地に興味があり、以前も多摩の団地を取材したと言う。

その時のロビー活動が幸いして、今回の記事へと繋がったのである。板橋区民自身は前回の光が丘で登場したので、こんどは取材先の推薦をさせていただいた。記事中に登場している、板橋区立郷土資料館の学芸員氏と西洋流火術鉄砲隊保存会と高島平新聞である。大体の歴史とポイントを記者氏にレクチャーし、取材は10月に入ってから行われた。

前に新聞記者とのやりとりの大変さをブログ記事でお伝えしたが、取材対象の方々も「なんだあのしつこさは」と苦情ではないけれど根掘り葉掘りの根拠を求める質問攻めに辟易とされたようだ。例えば、絵地図に書き込まれている赤塚溜池公園の梅の木の数について、板橋区のHP上では200本とあるけれど、実検分するとそんなにあるとは思えないがどういうことだ?との質問があった。

ぶっちゃけると、そんな実証資料はなく、昔、赤塚城址一帯の土地を所有していた古老が梅を植え、城址の梅と溜池周りの梅が全部で200本くらいある(実際数えたわけでは無い)と30数年前に板橋区が出版した書物上で証言した数字を、今持って使用しているのである。板橋区役所としては面倒なことを問い合わされたわけで、話し合いの結果150本となったのである。

そして、この赤塚城址だけれど実は衝撃的なことが記載されている。客観的な言い方をすると、存在自体が疑い深く、発掘調査でも城のあった証拠はなく、武蔵千葉氏が治めていたことを示す古文書も存在していない(未発見)のである。あるのは”あってもおかしくはない。”という状況証拠だけだ。ああ、書かれちゃったか。寝た子を起こすなよ、といった感がしますね。中世時代の赤塚郷は謎が多く、だからこそ歴史オタクの方々の想像力を買い、いろんな解釈があるゆえに時に大問題となることがある。

世の中には事実を追求されると困ることがいくらでもあり、新聞社もそれはわかっているけれど、追求のさじ加減と記事として出る結果にその新聞社の姿勢が垣間見えるのである。

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