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板橋区民、「としまえん」ではなく「豊島園」の写真をUPする。

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季節の移り変わりを感じる今日この頃。

板橋区民の部屋はタイムカプセルである。江戸時代最初期に我が赤塚郷の一部を所領していた、京都所司代・板倉重宗の書状から、昨日収集したマンスリーとーぶ令和2年9月号まで、有象無象の収集品で溢れている。そんな板橋区民の部屋から、おそらく昭和10年前後に「豊島園」で撮影されたオリジナル紙焼き写真が発見された。これは、一時期豊島園のスポンサードをしていた企業が、豊島園を借り切って行った宣伝興行の記録写真と思われる。

看板にある「レートクリーム」は、平尾賛平商店が販売していた化粧品で、かつて東京に存在した日本の化粧品メーカーである。1878年に開業し、1954年に廃業した。化粧品のレートブランドを立ち上げ、世に知られていた。「lait」とはフランス語で「乳」を意味する語であり、フランス語を化粧品名にした日本初の企業であった。

一枚目の写真は武蔵野電車の豊島園駅頭で、なかなか珍しい写真と思われる。戦前の駅前の写真は見た記憶がない。2枚目は入り口付近の写真と思われるが、現在のメインゲートあたりの風景とは違うような気がするのだけれど他の場所なのだろうか。3枚目は名物・ウォーシューターと「大遊舟池」の風景。4枚目は、プールの横にあった「シャワーの塔」の下のにあった階段前で演じられた、バレイがオベラの出し物だろうか、とてもモダンな感じですね。さて写真はもう一枚ある。

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それは、当時の豊島園の花形、ウォーターシュートのボートが着水した瞬間を捉えた写真だ。なんという躍動感!当時としたら画期的な素晴らしい写真だ。きっと船頭さんは子供達にとって憧れの存在だったろう。板橋区民の所蔵する1929年に撮影された豊島園の動画では、船頭が派手にジャンプするパフォーマンスはしていなかったようで、自然に変化していったのだろう。そして、とうとう船頭がわざと池に落ちるパフォーマンスへと進化したと記録にある。

「としまえん」が閉園してから半月が過ぎた。どうやら本格的な撤去作業も始まったようである。 大正時代の最初の園主である藤田好三郎は、豊島園開業の理念としてこんな言葉を残している。「営利に走らぬ豊島園、それはどこまでも小さい皆様の豊島園だからで御座います」果たして秋の空の雲の上から、翁はどんな思いで閉園してしまった豊島園を覗いているのだろうか‥

 

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