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板橋区民の御朱印帳。未完。

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天気が悪く土鍋が乾かない。

秋もそろそろ本番に向かい、新米の季節がやってきた。コロナ禍で家食の機会が多くなり、糖質制限も気になるので、玄米食に変えようと思い立った。どうせなら土鍋で炊いてみるかと購入したが、ネットで調べると使用までにいろいろな儀式が必要なことがわかった。まずは重曹で鍋を煮詰め、乾燥し、最初にお粥を炊く。土から生成されているので、こんな手順を経てようやく使えるようになるのだそうだ。

先日、板橋区南端にある熊野神社で頂いた、アマビエ様の御朱印を紹介した。熊野神社には印刷したお札もあるけれど、直筆で書いていただくには御朱印帳持参とあるので、使いかけの御朱印帳を取り出した。

使いかけには理由があり、表紙には「豊島八十八ヶ所納経帳」とある。これは、20年ちょっと前、まだ現在のような御朱印ブームが来る以前に、「東京遍路 豊島八十八ヶ所霊場案内」という本を見かけ、板橋区内の多くの寺院(真言宗)が参加していることを知り、全部廻ってみるかと企画し遍路を始めたのであった。

まず最初に訪れたのは、霊場第1番の「安養院」で、最寄りはときわ台駅。板橋区内ではおそらく最大の敷地規模のりっぱな寺院だ。題字の記載をお願いしてみると、快く応じてくださった。こうしてお遍路ワークを始めたわけだが、四国遍路のように泊まり歩きながら廻るわけではなく、いちいち自宅から出発するので、遠いところにある場合は最寄駅まで公共交通機関を使った。

東京都内や周辺部を廻る三十三ヶ所や八十八ヶ所巡りは、明治の日露戦争直後に創設され、御朱印収集が当時のブームとなった。しかし、昭和の時代には廃れてしまった。これは戦時下や終戦直後の混沌とした空気や、その後の高度経済成長やバブルといった時代が関係しているのであろうか。現在のブームはリーマンショック以降に起こったと書いている本もある。こういった御朱印集めはスタンプラリー的な楽しみもあり、また義務感も生じてきて、御朱印帳が埋まると次はここだ、ここを廻ると効率が良い、ここでは地元のグルメ店にも寄ってみようかと面白さが増してくる。

寺院は、基本的には静かな場所である。特に、商店街などから離れた場所にある、およそ名物となるようなものがない寺院は、お彼岸などの時期を除いては、なおさらに人の出入りは少ない。そんな所にある寺院は、たいてい辿り着くのに苦労し(何時間も歩いたりするわけじゃないが)、果たして社務所に人はいるのだろうかと不安になりつつ訪れる。ある時、そんな閑静な場所にある寺院へ行き、社務所へ声をかけると人がいた。ほっと安心し、御朱印帳を差し出し、御朱印をお願いすると、その方から「チッ」という小声が漏れ、面倒くさそうに私の朱印帳を持って奥へと消えた。しばらく待たされた後、ようやく朱印帳を受け取ることができ、お参りをしてその寺院を出た。その時、正直、疲労も相まって不愉快な感情が浮かんできてしまうのを抑えられなかった。

そんなことが何度か続き、結局、20数箇所訪れたところで廻るのをやめてしまった。最初は熱中しており気にもしなかったが、寺院によってあからさまに迷惑そうにされた感じを受けることが度々あった。どんな事情があるのかはわからないが、普段、人も訪れないルーティーンに慣れ、信徒でもない興味本位と思しき人間が差し出す御朱印帳に、わざわざ墨と朱印を準備し、書かなければいけない鬱陶しさがそうした態度に出るのであろうか。そんなようなことで、一気に熱は冷めてしまったのである。(当然だが安養院さんや蓮沼の南蔵院さんのようにウェルカムな寺院もあるけれど。)

昨今の状況がどうなのかはわからないが、特にコロナ禍のこんな時代でもあるし、寺社の方々も積極的に対応をしていただければ良いな、と思う。先日の熊野神社では、若い方が担当しておられるせいか、御朱印受領後すぐにSNS上にUPした所、ご参拝ご苦労様でしたとの返信ツイートがスマホにあった。

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コメント

オーク様
こんばんわ。
私は昭和33年、徳丸3丁目生まれで
志村高校出身です。
あまりに身近で懐かしいサイトなのでコメントをします。
すでに二人とも他界していますが
父親は徳丸8丁目生まれで大木伸銅に勤務した事があります。
母親は成増飛行場近くの小鳥屋の娘で大木伸銅に勤務している時に
社内恋愛で結婚しました。
おじさんは国際興業バスの運転手で、志村高校行きの路線で
ばったり会った事があります。
バス代は・・・。
すべての記事が懐かしく読んでいます。
また、お邪魔します。
時節柄、お体には充分にお気を付けください。

投稿: ミコファン | 2020年9月26日 (土) 19時12分

>>ミコファンさま
コメントをありがとうございます。徳丸人としては素晴らしい経歴ですね。おじ様がご健在ならば、草創期の徳丸近辺の国際バス事情をお聴きしたいものです。母上様の小鳥屋の娘というのもかわいいお話しですね。

投稿: オーク | 2020年9月26日 (土) 21時04分

 こんにちは。
 この記事を読んでいて思い当たったのですが、オークさんの近所にはごく近在で設けられている霊場巡りというのはありませんか?
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/
このサイトは、私は元々は『山海経』(中国の古代地誌)関連で発見したと思いました。この方は埼玉県との境に近い葛飾区に住んでいます。近所を歩き回ることが好きで、近郷の獅子舞い見物や石仏探しなど、実に様々なことに関心を持っていて面白い方です。
 オークさんの板橋と同様に、葛飾も昔は全くの農村地域でした。それで気が付くと身の回りにはいくつもの霊場巡りが設けられていたらしい(以下はそちらにある「札所(霊場巡り)関連の記事一覧」をご覧ください)。
 私のところ(大田区大森)も60年前には全くの田舎でしたが、漁村だったせいか、身近にこのような霊場巡りというのは見当たりません。

 で、もしかしたらオークさんの近所にもこういうものが有るのではないかと思っているのですが、どうでしょう。これまでそのような話題が出たことはありませんよね。

投稿: 大森山谷 | 2020年9月28日 (月) 10時11分

>>大森山谷さま
コメントをありがとうございます。ご紹介のサイトを拝見しましたが、いろいろな札所巡りがあったのを知り、驚きました。私が把握しているのは「豊島」と「御府内」だけですが、本文にある通り途中で投げ出し、以降調べてもおりません。しかし、件のサイトを見てもっと古い時代に、いつの間にか忘れ去られた札所巡りがあったのかもしれません。少し興味が出ましたので、これから注視していきたいと思います。そういえば、境内に88箇所巡りがある真言宗のお寺があったことを思い出しました。

投稿: オーク | 2020年9月28日 (月) 21時20分

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