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板橋区民、ヌイグルミに向かって話しかける。

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コロナ禍の影響でメンヘラ状態になったわけではありません。

8月31日をもって、練馬区のランドマークであり、たくさんの人々から愛された「豊島園」が94年の歴史に幕を閉じた。特に最後の一ヶ月間の閉園フィーバーは凄かった。30年近く前には、来園者の減少に悩んだ末に”自虐CM”を作り続けた時代もあったが、巨大スクリーンの映画館ができたり、温泉施設を経営したり、近年はわりと経営は順調だったと聞く。特に夏は東京都内屈指の規模のプールや花火などのイベントで賑わっていた。

閉園後もとしまえんグッズの販売は、ゲートに近い園内の木馬の会事務所で続けられている。この事務所は戦前から残る施設で、当初は「古城レストラン」として営業していたものだ。その販売も本日(9月27日)をもって終了し、一般の人達が園内に入れるのも最後の日となる(グッズ販売はネット上で継続される)。最近のニュースでも、としまえんのプール存続署名運動が盛り上がっていると報道されていた。正直、今後は企業や行政が閉園後のプロジェクトを粛々と進め、反対運動もどうなるのかな、と思ったりもしたが、意外に善戦しているのではないか、と感じている。

板橋区民は、様々な物を収集しているけれど、それは主に板橋区に関する資料やグッズであり、練馬のグッズは昭和23年よりも前の物でなければ触手がわかない。しかし、部屋を見渡すと一つだけ練馬区グッズが飾られている。それが冒頭のヌイグルミだ。残念ながら愛称がわからないのだが、ダイコンをモチーフにした(鼻はキャベツか?)ヌイグルミである。首?から下げられているメダルを読むと、「70TH ANNIVERSARY Toshimaen Exposition in Nerima」とある。

これは、少々歴史的な背景を説明しなくてはならない。1979年から東京都知事を務めていた鈴木俊一知事は、1970年に開催された大阪万博で事務総長理事を務めた経験があった。万国博の会場選定において、当初から鈴木は首都圏開催を主張しており、最後まで東京にこだわっていた。そんな鈴木も高齢となり、自身の知事在職中に、果たせぬ夢であった「首都圏での博覧会開催」をどうしても実現させたいという強い希望から、1988年2月、東京での万国博覧会開催に意欲を見せた。しかし、バブル崩壊後の1995年に行われた都知事選で、都市博反対を旗印に勝利した青島幸男は、都議会の開催決議を覆して都市博を中止に追い込んだ。すでに様々なグッズや入場券の販売も行われていたが、全てが無駄に終わり、東京都は610億円の損失を出してしまった。

翌年の1996年、としまえんで「とし博」と題したイベントが行われた。言うまでもなく、この時期に博覧会が行われるはずだったことに対する皮肉で、CMには三波春夫が出演していた。このダイコンのヌイグルミは、その年の豊島園開園70年に引っ掛け「練馬のとしまえん博覧会記念」として販売された、いかにも「としまえん」らしいグッズなのだ。

 

2枚目の写真は、一緒に飾っている「板橋区のひとみちゃん」とのツーショットだ。1988年〜1994年にかけて少年マガジンに連載されていたギャグマンガ「激烈バカ」に出てくるキャラクターで、手に根性焼きの跡が大量にある犬である。(しかし、板橋や練馬にはこんなヌイグルミしかないのか)それはそれとして、ちょっと斜めから世の中を眺める皮肉好きの「豊島園」は、閉園に際してどんな感想(皮肉)を持ったのか、聞いてみたいものだ。

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