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検証・1945.2.16.グラマン対疾風、成増上空一騎打ち。

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年に数度かかるひどい風邪(コロナウイルスではありません)をひいてしまい、さらに田遊び強化週間で無理をしたため、当初予定していた2月16日にUPできなかった記事をようやく書き上げました。

 

今からちょうど75年前の1945年2月16日早朝、米軍第58任務部隊(空母を中心とする機動部隊)が、突如、東京南西200キロの海上に姿を現した。この日より行われる硫黄島上陸作戦(上陸開始は19日)を援護するため、日本本土から来襲する戦闘機を封じるために、主に関東地区の飛行場や軍需工場などの攻撃を目的としたものだった。

米軍側は、この攻撃を「ジャンボリー作戦」と命名し、空母15隻が投入された。16日未明、第58任務部隊は東京から約232km・本州沿岸からは約111kmの地点まで接近し、攻撃隊を発進させた。天候は不良状態で、雲が低く垂れ込めてみぞれが降っていた。午前中に制空任務の戦闘機から成る5波の攻撃隊が発進し、各地の日本軍飛行場を攻撃した。第1波である第58.2任務群の攻撃隊は房総半島上空に侵入、第5波である第58.3任務群の攻撃隊は悪天候の合間を縫って西方まで進出し、米艦載機として初めて東京上空に達した。

米艦載機は、日本軍のレーダーサイトのある八丈島付近を低空で通過したため発見が遅れ、沿岸近くにある海軍飛行場への奇襲を許してしまい、多数の飛行機が離陸前に失われてしまった。関東地区の陸軍飛行場にも全力出動が下され、成増飛行場の47飛行戦隊も即出動した。時間は不明であるが、朝食はすでに終わっていた頃だったと言う。

47戦隊は、旭隊、桜隊が千葉方面へ出撃。1月、2月の対B29邀撃で戦力が低下した富士隊が成増上空の哨戒任務にあたった。戦史家の渡辺洋二氏によれば、「富士隊は、午後2時半頃に燃料補給のため順次着陸を始めたところ、米空母エセックス搭載の戦闘機隊、VF-4所属のF6Fに襲われた。この時、富士隊の大石少尉は、僚機であった大森中隊長に続いて着陸をしたところだった。ふと、後ろを振り返ると、後続の僚機分隊の2機の姿が見えない。両機は着陸の途中で直上から襲いかかる敵機に気づき、あわてて主輪を引っ込め急上昇したのであった。しかし、不利な体勢であり、敵機の射弾を避けるのが精一杯で、飛行場上空を右に左に逃げ回るしかなかった。戦闘機にとって、離発着時に攻撃を受けるのがもっとも危険な状況なのである。ようやく一機が敵を振り切って着陸してきたが、安岡軍曹機の姿が見えない。じりじりと心配をしていると、池尻の陸軍病院から連絡があり、安岡軍曹は落下傘で降下し、火傷を負っているが無事であることがわかった。後でその時の状況を聞くと、敵機と正面から撃ち合い、両方とも被弾・炎上して墜落したが、安岡軍曹は、落下傘が焼けながらも奇跡的に無事降下出来た。」と、ご著作で描いておられる。(取材は1980年代

では、米軍側はどうであったろうか。以下、いつもお世話になっている、ブログ「連合国海軍による日本本土攻撃」の主催者様が公開している戦闘報告書の該当部分から引用させていただきます。

Unit: VF-4, Base: USS ESSEX, Report No. VF-4 #86 部隊編成: F6F-5ヘルキャット×11機
当初任務: 関東地区飛行場群の戦闘機掃討
発進位置: 北緯34度27分 東経141度47分
発進時刻: 午前11時15分
目標到達: (記載なし)
帰還時刻: 午後2時10分

「編成及び作戦概要」

第一小隊 
P・H・ゴードン大尉
E・キーンホルツ少尉
J・F・ラドフォード中尉
J・R・スティールJr少尉

第二小隊
E・I・キーア大尉
W・C・ガイルズ中尉
T・J・グラハム中尉
C・E・グスタフソン少尉

第三小隊
W・W・タイラー大尉
W・G・シュルデン少尉
W・C・ローズ中尉

2月16日午前11時15分、関東地区にて割り当てられた飛行場群に対する戦闘機掃討を実施するため、戦闘機11機が空母エセックスを発進した。カウペンス隊と共にあったゴードン大尉小隊及びキーア大尉小隊は、東京の南西部へ進撃し成増飛行場への攻撃実行を準備している。各機とも、高度5500m(18000フィート)から高速での滑空にて4300m(14000フィート)まで降下。その時、三時の方向、下方に上昇中の鍾馗4機を認めた。両小隊とも、この敵に向かって旋回し、乱戦となった。

最初の鍾馗は降下して戦闘から逃れようとしたが、ゴードン大尉機がこれをつかまえ短い連射を浴びせると、それは敵の操縦員を落下傘降下させるのに十分であった。キーア大尉機とその列機が別の鍾馗を追跡すると、その操縦員はもはや安全な場所は無いと急に悟ったようだ。その鍾馗が乱戦から降下して逃れようとしたところで、キーア大尉機が短い連射を撃ち込み、列機のガイルズ中尉機がこれに追随していく。その見返りは、日本の操縦員がまたも機体を放棄して落下傘降下する、というものであった。

キーア大尉小隊の第二区隊長、グラハム中尉機とその列機は、ゆっくりとした旋回で第一区隊が降下していくのを援護していたが、下方、高度約2400m(8000フィート)を北寄りに進む疾風一機を発見した。二機がこの疾風に突っ込むと、東京の北にある飛行場へ向かって緩やかに降下していく。グラハム中尉機が上方からその背後について、エンジン、操縦席付近を12.7mm(0.5インチ)機銃弾で一杯にする。敵機はひどく発煙し、グラハム中尉機が連射しながら通過したときには下降姿勢となっていた。グラハム中尉機の列機であるグスタフソン少尉は、その疾風が600m(2000フィート)ほど逆さまで落ちていって墜落するのを見ている。

 

現在確認できる、2月16日に成増飛行場を目標とした米軍の戦闘報告書は、上に掲げたものだけである。戦闘報告書は戦闘を終え帰還後に各パイロットの記憶を頼りに記載されるので、誤認している場合が多々ある。確実に信用できるのは出撃時刻や帰還時刻くらいで、戦闘記録、特に撃墜記録は日米ともに怪しいもので、他には無帰還機の有無だけが信じられる記録である。(全く信用できないという意味ではなく、記録を読むのには注意を要するということ。)

さて、渡辺氏の書いたものと米軍戦闘報告書を比べると、整合性にズレが多い。富士隊側は、午後2時半頃にF6Fに襲われた、とあるが、米側は午前11時15分に発進とある。東京までは232㎞の位置なので、直線で飛行していないとしても成増上空まで2時間はかからないと推察できる。すると、午後1時前後には成増上空に達すると思われるが、富士隊側では午後2時半と証言されている。

ゴードン大尉小隊とキーア大尉小隊は上昇中の鍾馗4機を認めているが、47戦隊では1月下旬までに鍾馗から疾風に機種変更を終えているとされているので、成増飛行場から鍾馗が飛び立つとは考え難い。47戦隊の鍾馗は柏飛行場の70戦隊へ引き渡されているので、70戦隊の鍾馗ではないかと考えられる。(47戦隊には震天制空隊機の鍾馗はあったが、武装を外しているので艦載機邀撃に上がったとは考え難い)

グラハム中尉とその列機が発見し攻撃を加えた疾風は、東京の北にある飛行場に向かって降下している途中であり、攻撃を受けた疾風は600mほど逆さまで落ちて墜落したと報告されているが、この機が安岡軍曹機である可能性はあるが、午後2時半より後のことと考えられ、VF-4中隊がエセックスに帰還したのが午後2時10分なので、やはり整合性は見られない。

邀撃に出た旭隊や桜隊の公式の攻撃記録は存在せず、桜隊が八街上空で眼下にF6Fの編隊を発見、1、2撃で6機を撃墜したとの報告がなされているけれど、米軍の戦闘報告書では当該空域で撃墜されたF6Fの記録はない。47戦隊の戦闘報告書を纏めていた宇津木少尉が、「照準して射撃したらそれは撃墜、とカウントしていた。」と話しておられ、昨年お会いした、この時の戦闘に参加されていた桜隊の石原少尉も、有利な位置から一撃を加え、弾は確実に命中していたけれど撃墜までは見届けていない、と話しておられた。

 

この日の攻撃で確実なのは、桜隊の中島准尉機と中西軍曹機が未帰還となり、それぞれ戦死されたということである。

 



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