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板橋区民、本気出す。2020。〜「成増陸軍飛行場の記憶」公開〜

今週は天候が悪く、前半は東京も雪模様のようです。

出ました、”本気出す宣言”。いったい何度目の宣言だか。でも、今年は違います。先の大戦が終わって75周年、56年ぶりの東京オリンピック開催、板橋イオン開業20年などなど、紀年行事が目白押しである。そこで、板橋区民も重い腰と痛むヒザを上げ、自分が取り組んできた成果を板橋区及び周辺地域の方々に還元すべく、ほんとの本気を出すことにしました。

さて、その記念すべき第一弾として、過去に板橋区民が製作した映像作品「成増飛行場の記憶」を公開します。この作品は、1995年から成増飛行場の調査を続けていた板橋区民へ、2005年(平成17)に板橋区立郷土資料館から、終戦60周年の企画のひとつとして、飛行場を知る関係者の証言を是非公開してほしいとの依頼があり、結果約60分の作品としてまとめたものでした。映像は、同年の終戦記念日近くの日に、板橋区大山の旧・産文ホール(現・グリーンホール)で、応募の区民100名余りの方々の前での公開と相成りました。

あれから15年。映像は板橋区民の元で眠り続けておりました。当時すでにYouTubeはあったけれど、容量制限(データ量1GB以下、映像10分以内)など、使い勝手が悪い時代でした。それが今では4K画質で長時間のUPが可能なんて、驚いちゃいますね。撮影に使用したカメラは、初期の頃はSONY VX1000、そして当時最新のSONY PD150、編集はMacのG5+ファイナルカットプロだったかと思いますが、現在はiPhone11proとiPadpro+iMovieなんて、映像機器、というよりデジタル機器とインターネットの進化は驚異的ですな。これが通信5Gだ6Gだなんて時代が来たら、一体どんな世界になるのだろう。

おっと、話が逸れてしまいました。

撮影は2000年2月、志村三丁目駅近くで発見された不発弾騒動から始まり、2001年6月、成増飛行場の戦友会「成増会」会長であった、飛行47戦隊整備中隊長の刈谷正意大尉へのインタビュー、翌年、仙台在住の元震天制空隊員だった山家曹長の撮影を行っていましたが、この時は公開の予定はありませんでした。2005年初め、板橋区の資料館から戦後60周年企画の話があり、すぐに不発弾騒動のシーンを冒頭に入れることから作品を構築することを思いつき、一気に撮影を進めました。

当時の話をしてくださる方々への協力願いなど、なかなか高いハードルを勢いで突破し、最後の知覧での撮影を終えたのは6月下旬のことでした。それからは怒涛の編集作業へ。へろへろになりながら出来上がった作品にほっとしましたが、後で見直すと、動画に重ねた静止画の位置がずれて下の画像がはみ出していたり、テロップが小さくて読みづらかったり、ラストシーンのテロップ表記で殉職を殉死と間違えていたりと、数々の不備に気がついたけれど後の祭り。すでにプロジェクトデータを消去しているので再編集はムリ。そんな映像を今になって公開するのは恥ずかしいことですが、精魂込めた作品ですので、約60分と長編ですが、どうぞ視聴いただければ幸いです。

大きい画像で観たい方はこちらへ→ https://youtu.be/BipWsZYKzP0https:





 

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