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2020年1月

⭐️祝!2020年⭐️板橋区民、恒例の初詣に行く。

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皆さま、明けましておめでとうございます。穏やかな新年を迎えられましたでしょうか。

令和2年1月2日、皇居長和殿にて一般参賀が行われた。新天皇即位後初めての一般参賀であり、午前中の回のみ上皇上皇后両陛下も参列された。板橋区民は、天皇陛下は神官の最上位の方と思うので、初詣のつもりで一般参賀へ詣でる。そのように感じている方がどのくらいいるのかわからないけれど、晴天に恵まれた皇居には大勢の善男善女が訪れていた。

昨年退位された上皇陛下もお健やかなご様子で何よりである。

それにしても、毎回毎回立錐の余地も無いぎゅうぎゅう詰めの満員電車のような状況の長和殿アリーナ、そんな状況に慣れていないお年寄りの方も多く訪れるので本当に危ない。特に2回目のお出まし後は、帰りの人波と前へ出ようとする人波がぶつかり合い、いつ将棋倒し事故が起きやしないかとハラハラするばかりだ。

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板橋区民、赤塚郷に降臨した天使を確認する。

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ここのところ穏やかな日が続きますね。

いまから2年ちょっと前に、「赤塚郷に天使が舞い降りた。」と言ったタイトルの記事をUPしたことを覚えておられるでしょうか。それは、現在は廃業してしまった栄湯の先から赤塚ライフ方面へ向かう路上で映画のロケをしていて、広瀬すずちゃんと三浦春馬がいる!との情報を元に書いたものでした。

その後、映画「SUNNY」は2018年8月31日に公開されましたが、ロケで使われるシーンは本編ではカットされてる可能性もあるし、赤塚郷のシーンなんてほんの一瞬だろうからDVDの発売まで待つかなと思いましたが、2019年春の発売直前に出演者の一人(ほんのワンシーンにしか出て来ない)が警察に逮捕され、販売が延期されてしまいました。

で、それから数ヶ月後にようやく解禁となり、アマゾンプライムでもレンタル配信できるようになったので、正月休みに確認してみました。映画のストーリーはざっくりですが、1990年代のコギャル全盛時代を女子高生として過ごした仲良し6人グループが、それから20年余り経ってそれぞれの人生を歩んでいる時に、グループの一人が余命わずかとわかり再結集する。と言った話です。

さて、肝心の赤塚郷のシーンですがありました。開始54分ころで、主人公のコギャル時代を演じた広瀬すずちゃんが、友人宅で一目惚れしたDJ志望の三浦春馬クンと夜道を歩く場面、すずちゃんはこの近くに住んでいるという設定です。恋に恋したすずちゃんが舞い上がっている他愛も無いシーンですが、しっかり見慣れた場所が映っておりました。

それにしてもなんでこんな地味でマイナーな場所が選ばれたのか、それは大根仁監督がこの映画を撮る直前に、テレビドラマ「ハロー張りネズミ」の撮影を赤塚商店街で行っており、おそらくその時にロケハンしていてその風景が頭の中に残っていたのでしょう。それにしても、板橋区内では映像作品の撮影が日常風景のように行なわれている感じがしますね。昨秋の「ドクターX」も一部シーンを高島平で撮影してましたし。

 

 

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板橋区民、音楽の春が始まる。〜さらばアリスの時。〜

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板橋区民は八王子にいる。駅に降りるのは初めてかもしれない。

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目的のオリンパスホールは八王子駅に隣接している。

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すでにタイトルに書いてあるけど、訪れたのはアリスのライブである。昨年、武道館に参加したけど、今回の復活が最後のような気がするので、サヨナラを言うつもりでやって来たのである。

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オリンパスホールは観客席とステージの距離が近くて、ライブハウスっぽい。

 

午後6時半から始まったコンサートは途中20分の休息を挟んで午後9時に終了した。前半はアリス初期時代の3人仕様の演奏、後半はメジャーヒット曲中心といった構成だ。アリスはニューミュージックと分類されるけれど、ロックな部分もある。板橋区民は1階の真ん中やや後方の座席だったが、ステージ左右のアンプスピーカーから響く爆音に驚いた。すぐ前の席が空いていたのだが、休息が終わるとその席に人が座り「ステージ前の席だったけれど音が大きすぎてスタッフに後方の席に変えてもらいました。」と隣の人にしゃべる声が聞こえた。どうやってチケットを手に入れるのか、大抵、ステージ前方は熱狂的な信者が席を占め、統一された応援行動を取るのだが、アリスの場合はシンボルカラーの赤の光る棒や、最近ではタオルも振るようになっている。光る棒は左右前後だけではなく、オタ芸のような振り方をするように進化していた。

板橋区民が初めてアリスのコンサートに参加したのは1980年(ちょうど40年前!)の武道館だったが、その一年後にグループとしての活動を休止した。それから2000年前後よりしばしば再結成をしていたけれど、今回からはメンバー全員が70代となった。思えば中学生の頃から聴いており、アルバムのほとんどを持っていた。板橋区民の隣の席に、70歳をとうに過ぎたであろう質素な身なりのマスクをしたお婆さんが、お独りで座っていた。演奏中、ちらっと目をやるとマスクの中でモゴモゴと口を動かし、一緒に歌っているのが伺えた。昔と変わらないアリスの歌声を聴きながら、板橋区民の胸にグッとこみあげるものがあった。アンコール、ラストの曲「さらば青春の時」では、気がつけば板橋区民も一緒に歌っていた。

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板橋区民は見逃さない。〜大山ハッピーロードはバッドロードになるのか?〜

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暖かい日が続きますね。

先日のTBSテレビ「噂の東京マガジン」の名物コーナー”噂の現場”で、大山ハッピーロート分断問題が取り上げられた。番組では1992年9月にもこの問題を取り上げていたが、近年、事業化計画が認可され、いよいよ具体的に動き出しそうだとのことで、今回の再取材となったようだ。

具体的には、現在、板橋区役所付近から老人医療センターを通り東上線の踏切まで伸びている道路をそのまま川越街道まで延長し、それに加え大山駅付近を高架線にし、現在のカーブ状態のホームを西側へ移動、直線になった辺りに新大山駅を造りロータリー化し、ハッピーロードの中心部と川越街道近くの土地を再開発し高層マンションを建てる、そんな計画のようだ。

ハッピーロードが現在のようなアーケード街になったのは1978年のことで、そもそもこの計画を阻止するために作られたのだと番組で取材を受けた元商店会会長がおっしゃっていた。ただし、根本的にはこの道路計画は終戦直後の1946年に地図上に引かれている。

番組を見ていると、当然ながら反対派はハッピードロ沿いに住居や利権を持っている方々であり、提示される立退料や条件に納得がいかないことが反対の根源要因となっている。事業の趣旨は、家屋密集地帯に大きな道路を通して災害に強い街にするという、江戸時代からある考え方が基本になっている。大山近辺が発展したのは、関東大震災で東京郊外地域に追われた人たちが住み始めたことからなのだが、なんだか皮肉なことだ。

地域の問題を語るのは難しい。葬儀関係や保育園などは必要な施設と理解はあるけれど、いざ自分の生活圏に計画されると、なんでここに作るんだ!と猛然と反対運動が起こったりする。ハッピーロードの件も、同じ板橋区でも年に一度税務署に行く時か板橋区民まつりくらいしか大山方面に縁のない赤塚郷民からすれば、大山駅が高架化するとか、再開発されるとかいい話じゃん、としか思えない。東武練馬のイオン(当時サティ)が出来る際は、ようやく駅前に広がる陰鬱な灰色の大工場がなくなるのか、商業施設から東武練馬駅まで直結して遊歩道で繋ぎ、成増を超える素敵な駅前になるのか!!と夢を描いていたが、結局、再開発は工場のあった場所だけかい。とがっかりしたことを思い出す。

 

「噂の東京マガジン」では、番組の最後に東京の街の移り変わりを流すコーナーがあるけれど、今回は問題とした「大山駅界隈」が紹介されていた。何枚か使われた昔の写真にこんな一枚があり、板橋区民はすかさず突込みをいれた。

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おい!8000系が1950年(昭和25年)に走ってるわけないだろが!昭和45年(推測)やろこの風景は! 板橋区民は、ささいなことを見逃さない。

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⭐️祝!板橋区立郷土資料館リニューアルオープン⭐️〜板橋区民、動体視力に自信を持つ。〜

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雪。板橋区民は暑さ寒さに弱い。

そんな悪天候の中、板橋区民は我が赤塚郷にある板橋区立郷土資料館へ出向いた。昨秋から館内リニューアル工事のため閉館していたが、本日1月18日よりオープンし、そのこけら落としとして令和元年度特別展「高島平の歴史と高島秋帆」が始まるのである。

午前10時より坂本板橋区長以下、元山板橋区議会議長ほか区議会議員や郷土資料館の評議委員や地元の有力者の方々を迎え、新常設展完成記念式典が行われた。約30年ぶりのリニューアルで、旧との大きな違いは、巨大なジオラマ模型が姿を消し、その代わりに大型映像ディスプレイが館内何箇所かに配置され、板橋区の様子が映像で紹介されることになったことでしょうか。あ、それとトイレにウォシュレットが導入されました。

板橋区の施設は建築30年で内装がリニューアルされ、40年で全面改装がなされるそうで、昨年、板橋区立美術館が全面改装となりました。今回の特別展は、資料館の全フロア使っての展示ではなく、2階の一角を使ってのことなので、正直、資料点数は多くはありませんが、その分、とっておきのお宝が並んでいますので、興味のある方は、天気の良い日に散歩がてら訪ねると良いですね。

 

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さて、式典終了後は、中庭古民家前にて、我が板橋区が誇る”西洋流火術鉄砲隊保存会”による、資料館リニューアル記念&高島秋帆先生展を祝す空砲発砲演武が行われた。鉄砲隊では、赤塚城の千葉氏にちなみ、戦国和流砲術の披露も行っており、冷たい雪の降りしきる中、保存会員達による勇ましい演武の披露となった。

板橋区民は、その様子を撮影させていただいたのだが、それが上の写真である。どうです、凄い迫力でしょ。むき出しの黒色火薬に点火するので音も凄い。火蓋に火縄が落ち、火道から銃後部に溜まっている火薬に点火され、ドカンと発砲に至るわけですが、その瞬間を捉えるのは至難の技なので、通常は高速連写でなければ撮るのが難しい。しかし今回、板橋区民は同時に別カメラでビデオ撮影しながら、iphone11pro一発勝負で撮りました。いや〜日頃老眼に悩み、特に夜になると目がかすむ状況ですが、われながらよく撮れたと自信を持ちました。どれだけ難しいのかは下の動画を御覧くださいませませ。

 

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縁の下の板橋区民。〜大河ドラマ「麒麟がくる」〜

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久々に戦国時代大河ドラマが始まりましたね。

初回は主役の長谷川博己さんが火縄銃の存在を知り、主君の許しを得て堺へ旅立ち無事に銃を手に入れるという展開でした。来週予告では長谷川さんが火縄銃をカッコよく放つシーンがありましたが、実は最初に長谷川さんに火縄銃の扱い方を教えたのが、我が板橋区の誇る西洋流火術鉄砲隊保存会でした。

指導は2012年に栃木の日光射撃場で行いましたが、今回の大河の撮影の時に、きっとあのときのことを思い出していただけたことと思います。指導時、長谷川さんに感想を聞くと、「いや〜興味深いですね〜」とおっしゃってましたっけ。

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板橋区民、あまり寒いので昔通ったラーメン屋を思い出す。

 

今年は暖冬だけれど、平年並みの気温の日はとても寒く感じますね。特にみぞれまじりの天気の時は。

そんな寒い日には、温かい饂飩やおでんや鍋物が食べたくなりますね。でも、やっぱりラーメンがいいかな。ラーメンは、未だにマスコミで特集される不思議な料理であり、1980年代からずーっとブームが続いているような気がする。そのきっかけは、たぶん1982年(S57)に料理評論家の山本益博氏が出版した、「東京 味のグランプリ200」からだろう。この本では山本氏が選んだ店を星印で評価する方式で、元はミシュランガイドブックにヒントを得たのだろうけれど、「すし」「そば」「天ぷら」「うなぎ」など日本独自の料理別に分けられており、そこに「ラーメン」のジャンルがあった。

世の中はちょうどバブルの入り口期、もはやファミレスも浸透していて外食も当たり前の世の中となっていた。当時、グルメと言えばフレンチとかイタリアンとかビフテキとか本格的な中華料理などだったけれど、星印グルメ本に”ラーメン屋”が入っているのが斬新だった。権威に弱いのは日本人の特徴であり、”敷居の低い庶民食の代表のようなラーメン屋が権威に認められた、ラーメンが美味いって堂々と言っていいんだ”、と多くの日本人がこの本で気がついたのである。もちろん、マスメディアも飛びつき、以降、ラーメン特集番組が作られるようになっていった。

基本的なラーメンとブームの変遷については、「ラーメン博物館」のHPで確認していただくとして、いろいろな種類のラーメンの中でも板橋区内でもっとも流行ったのが、いわゆる”環七ラーメン”と呼ばれたカテゴリーに属し、常盤台の環七沿い、東上線高架近くにあった「土佐っ子」だ。閉店してすでに20年以上経つので若い人は知らないだろうけれど、それはそれは大人気で、バラックチックな店に、毎晩大勢の客が詰めかけていた。

「土佐っ子」は、いわゆる背脂チャッチャ系のラーメンを提供する店で、店内全てが油でヌルヌルし、清潔でお上品な人は絶対に近づけない所だった。あまり客が多いので独特なルールが存在していた。10人程度が横一列に並ぶカウンターしかないような店で、注文をするとマジックで印を付けた割り箸を渡してもらい、カウンターで食べている人の後ろにならぶ。ドアはたしか開けっ放しで、なんだか巨大な屋台のようでもあり、運動会でかけっこの順番を待つような気持ちがした。もちろん、前の人が食べ終われば入れ替わりとなり、友人と一緒におしゃべりしながら食事をできる雰囲気ではなかった。

板橋区民も何度か通ったけれど、翌日はお腹を必ず壊した。しかし、それでも食べに行くという魔力が、確かにあのラーメンにはあった。ある年の冬、大雪の降りしきる中で食べた”土佐っ子ラーメン”は忘れられない。今でも、寒い日には、あの不健康そうな背脂がたっぷりかかった、ジャンキーで悪魔的なラーメンを思い出す。。

 

今年に入って、当時の様子を取材したテレビ番組が、ある方のおかげでYouTubeにUPされていた。あの時の思い出が一瞬にして蘇ったが、飢餓感は増すばかりである。

 

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板橋区民、本気出す。2020。〜「成増陸軍飛行場の記憶」公開〜

今週は天候が悪く、前半は東京も雪模様のようです。

出ました、”本気出す宣言”。いったい何度目の宣言だか。でも、今年は違います。先の大戦が終わって75周年、56年ぶりの東京オリンピック開催、板橋イオン開業20年などなど、紀年行事が目白押しである。そこで、板橋区民も重い腰と痛むヒザを上げ、自分が取り組んできた成果を板橋区及び周辺地域の方々に還元すべく、ほんとの本気を出すことにしました。

さて、その記念すべき第一弾として、過去に板橋区民が製作した映像作品「成増飛行場の記憶」を公開します。この作品は、1995年から成増飛行場の調査を続けていた板橋区民へ、2005年(平成17)に板橋区立郷土資料館から、終戦60周年の企画のひとつとして、飛行場を知る関係者の証言を是非公開してほしいとの依頼があり、結果約60分の作品としてまとめたものでした。映像は、同年の終戦記念日近くの日に、板橋区大山の旧・産文ホール(現・グリーンホール)で、応募の区民100名余りの方々の前での公開と相成りました。

あれから15年。映像は板橋区民の元で眠り続けておりました。当時すでにYouTubeはあったけれど、容量制限(データ量1GB以下、映像10分以内)など、使い勝手が悪い時代でした。それが今では4K画質で長時間のUPが可能なんて、驚いちゃいますね。撮影に使用したカメラは、初期の頃はSONY VX1000、そして当時最新のSONY PD150、編集はMacのG5+ファイナルカットプロだったかと思いますが、現在はiPhone11proとiPadpro+iMovieなんて、映像機器、というよりデジタル機器とインターネットの進化は驚異的ですな。これが通信5Gだ6Gだなんて時代が来たら、一体どんな世界になるのだろう。

おっと、話が逸れてしまいました。

撮影は2000年2月、志村三丁目駅近くで発見された不発弾騒動から始まり、2001年6月、成増飛行場の戦友会「成増会」会長であった、飛行47戦隊整備中隊長の刈谷正意大尉へのインタビュー、翌年、仙台在住の元震天制空隊員だった山家曹長の撮影を行っていましたが、この時は公開の予定はありませんでした。2005年初め、板橋区の資料館から戦後60周年企画の話があり、すぐに不発弾騒動のシーンを冒頭に入れることから作品を構築することを思いつき、一気に撮影を進めました。

当時の話をしてくださる方々への協力願いなど、なかなか高いハードルを勢いで突破し、最後の知覧での撮影を終えたのは6月下旬のことでした。それからは怒涛の編集作業へ。へろへろになりながら出来上がった作品にほっとしましたが、後で見直すと、動画に重ねた静止画の位置がずれて下の画像がはみ出していたり、テロップが小さくて読みづらかったり、ラストシーンのテロップ表記で殉職を殉死と間違えていたりと、数々の不備に気がついたけれど後の祭り。すでにプロジェクトデータを消去しているので再編集はムリ。そんな映像を今になって公開するのは恥ずかしいことですが、精魂込めた作品ですので、約60分と長編ですが、どうぞ視聴いただければ幸いです。

大きい画像で観たい方はこちらへ→ https://youtu.be/BipWsZYKzP0https:





 

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