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2019年12月

板橋区民、音楽の秋がスタートする。〜其の五〜

とうとう12月になってしまった。最近、ロクな内容の記事をUPしておらず心苦しい限りですが、暫く堪えてつかあさい。

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さて何回目の国際フォーラムだ!と言うことで、今夜のレジェンドは細野晴臣氏。あの伝説のYMOである。

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今宵の国際フォーラムは年齢が幅広い。若い層はどこに惹かれるのだろうか。それにしてもYMOの登場は衝撃だった。電子音楽の先駆けでもあり、一見はちゃめちゃなレコードアルバムは斬新だった。

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しかしどんな趣向のステージになるのだろうか、楽しみだ。

 

さて映像によるナイツの司会で始まったステージは・・なんと全員集合ばりのお茶の間セットが組まれ、コタツコントが繰り広げられた。お父さん役を細野晴臣、おじいさんを高橋幸宏、お母さんは宮沢りえ、息子役を星野源(映像シーンのみ出演)、娘を水原希子、他に犬猫の役でタモリクラブのミュージシャン枠でよく見かける二人が出ていた。途中休息をはさみ後半は、清水ミチコ登場でユーミンや矢野顕子のものまねによる細野氏との共作の歌の披露、リトルグリーンモンスターが登場し風のナウシカを歌った後、ようやくYMOの生演奏(坂本龍一は等身大の映像でキーボード演奏)が行われましたが10分間で終了!その後はみなさんのおかげです!みたいな教室コントのセットが現れ、ロッチ司会により宮沢りえ以外の出演者総出で、”細野氏が転校をするクラスメート”と言うシュチュエーションのコントが繰り広げられて、もう一本リズムコントをやって終了!という内容でした。前半はコントでもいいけど、後半は細野氏やYMOの演奏を聴きたかったなあと欲求不満な板橋区民でした。

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板橋区民、師走初めに行列する。

気持ちの良い晴れ間ですな。

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板橋区民は皇居の乾通りを歩いてます。

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先月に執り行われた大嘗祭で使われた大嘗宮の見学に来ました。

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いつもの検問を過ぎ坂下門から入って大嘗宮裏に着くまでに40分。これから大嘗宮見学まで1時間かかるらしい。

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そんな馬鹿な、と思いつつ行列に続くとなんと列は大迂回を始めた。

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マジで1時間かかってようやくたどり着いたけど、押すな押すなの阿鼻叫喚である。

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警察官の立ち止まるな!の連呼に、遠い昔モナリザやパンダを観に行った時のことを思い出す。

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サイド側へ廻ると多少は混雑も減った。それにしてもこんなに高層ビルが近いとは。大嘗祭のとき、あのビルから覗いていた人もいたのだろうか。

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ふと目をやるとこれから見学する人の列が凄い‥

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まあ大変な状況でしたが、大嘗宮は静謐な空間である事が実感出来た。もう自分が生きているうちは二度と観れないだろうから、貴重な経験でした。帰りは大天守台の跡を通りましたが天守閣復元計画はどうなったのかなあ。

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板橋区民、音楽の秋がスタートする。〜其の六〜

洗濯日和が続きますね。

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またまたまたまたやって来ました東京国際フォーラム。

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本日のレジェンドはさだまさしさん!

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さだまさしは初期のグレープの頃から聴いている。と言うか初めて出来た彼女が貸してくれたカセットテープに入っていたのである。昭和の頃は、自分の好みの曲を編集したカセットをダビングして渡したりしたものである(遠い目‥)

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板橋区民、根拠地で語る。

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早いもので、師走も半ばに入ろうとしております。

 

さて、最近ろくな記事をUPしておらず、何度も訪れていただいている方々には面目ないことです。どうも怠け癖がついたと言うか、感度が鈍ってしまっているようで、心に刺さる事象に気がつかない状態が続いております。

そのような状況ですが、先日、練馬区の光が丘図書館にて講演をしました。今回は招聘元の希望により「成増飛行場と特攻隊」のお題で話をすることに。光が丘はまさに成増飛行場の存在していた場所であり、本拠地である。そこで話ができるのはありがたいことだ。今回の記事のお題を”根拠地”としたのは、駐屯していた飛行隊の47戦隊が成増を「根拠飛行場」としていたからで、陸軍の飛行戦隊は母港とする飛行場が決められており、たとえ命令により他の飛行場へ移動しても、それはあくまで”出張”というわけで、本部機能は根拠地に残したままなのである。

講演は、図書館単位での応募告知であったにもかかわらず、消防法による定員70名はすぐに埋まったそうで、さすが本拠地、成増飛行場に関心のある方々がたくさんおられるのだと改めて思った。当初は、1時間15分の講演時間で頼まれ、その尺ではほぼ最初から特攻隊の話をしないと時間内におさまらないと準備していましたが、その後1時間半と少し時間が加算されたので、急遽、昔、当事者の方々にインタビューした動画を挟み込むことにし、会場上映用に再編集をしてDVDに焼いた。

当日、冒頭の挨拶をし、手元に配ってあった資料の説明をしました。ここで一言、「お配りしてある資料は、信用しないでください。」とかました。自分で作った資料を信用するな、とはふざけた話だけれど、もちろん理由がある。それは、近年インターネット上に公開される資料が飛躍的に増えたため、新たに資料が見つかるケースが出てきたからだ。成増飛行場に関する一次資料はとても少なく、聞き取り調査による情報が多かったのだけれど、聞き取りの情報は、話すほうも記憶頼りなので勘違いや思い込みがあり、裏取りも難しい。だから、今後新たな一次資料の発見により上書きされるとの期待を込めての”(盲目的に)信用しないでください。”なのだ。

資料説明を終えいよいよ本題に入る。と、ここで問題が起こった。用意したノーパソウィンドウズ機パワポのスライドショー画面が、どこを触ってしまったのか秒数で切り替わる設定になってしまっていたのだ。板橋区民は根っからのマカーである。はっきり言って、ウィンドウズの操作には慣れていない。ただでさえ時間がないのに、あたふたと操作しているうちに時間がどんどん過ぎてゆく。お客さまの視線はすべて板橋区民に向けられているので、よけい頭が真っ白になる。

ええい、と開き直った途端、画面はなぜか通常設定に戻ってくれたが、完全に調子が狂い、話すべきことをだいぶすっ飛ばしてしまった。”特攻隊の話を中心に”という依頼であったが、それでも飛行場設置前後のことを少しは入れないと説明がつかないところもあるため時間を割くつもりでいたが、結局はお手元の資料を読んでくださいと濁してしまった。これは反省点である。

 

 

特攻隊の話からは調子を取り戻し(動画上映作業に多少もたついてしまったが)、特に当事者へのインタビュー動画には非常に関心を持ってもらえたようで、急遽上映することにして良かったと思いました。最後に、持参していた掩体壕の模型を披露し、赤塚新町掩体壕保存について話をさせていただき終了。その後、一番前に座っていたお歳の方が、成増飛行場で勤労奉仕をしていたとのことで、お話を伺った。奉仕をしていたのは1945年春ころで、飛行場内にあった畑や飼っていた豚の世話などをしていて、昼食に出た握り飯が美味かったという思い出であった。こういった話はありがたいことで、講演をして良かったと思うのである。来年は、板橋区内で話が出来ればと考えております。

 

 

 

 

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板橋区民、音楽の秋がエンドする。〜其の七〜

今週に入ってからいきなり銀杏の葉が落ち始めてますね。

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板橋区民は三軒茶屋にいます。ここも普段は通り過ぎるばかりで、歩くのは数十年ぶりかな。

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本日は板橋区民の秋のコンサートラストライブ会場、昭和女子大学内の人見記念講堂へやって来ました。さて今夜のレジェンドは誰?

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フュージョンと言えばこの人物、レジェンド・高中正義!彼のアルバム「虹伝説」はカセットテープが擦り切れるくらい聞きました。まさに板橋区民青春のアイテム!でした。

 

 

 

ライブは2時間弱で終了。ナイキのヘアーバンドとスニーカーに真っ赤なラメのスーツ姿で登場し、名曲”朝焼けのブルーラグーン”で始まりMC無しで1時間ノンストップ演奏。メンバー紹介とCD&DVDの宣伝をしてから怒涛の後半へ。一階席は総立ちで高中氏はサーフィンボード型のエレキを演奏しながら客席へ突入すると会場のボルテージは最高潮!客のほとんどを占める高齢のおっさん達は大盛り上がりし、さながらクラブ状態に。アンコールのブルーラグーンでは頭上でタオルを振り回し続け、これが高中信者の様式美と感心しました。

 

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祝❗️⭐️写真史「飛行第47戦隊」発刊!!⭐️

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師走も後半に入りました。

 

さて、2019年末にビッグニュースが届きました。それは、成増陸軍飛行場を根拠地とした飛行第47戦隊の姿を描いた写真史が、メジャー出版社から発行されたのです。もう写真集はあきらめていたのですが、まさかまさか、でも、さもありなん。な出来事でした。

出版社は、雑誌「航空ファン」でおなじみの文林堂、編集・執筆を手がけたのはあの渡辺洋二氏だ。ページ数は127頁、巻頭には47戦隊使用機のカラー塗装図も掲載されている。さもありなん、と書いたのは、本書が「世界の傑作機」シリーズのスペシャル・エディションとして発行された本だからだ。「世界の傑作機(世傑)」は単独の機種を取り上げた解説書で、1966年から刊行が始まった息の長いシリーズであり、飛行機ファンならば必ず手に取ったことがあるはずだ。

二式戦「鍾馗」や四式戦「疾風」の世傑も昔から発売されていて、中には47戦隊を捉えた写真もたくさん使われている。それらの写真は、47戦隊の整備中隊長であった刈谷正意氏が提供した写真が多い。刈谷氏と「航空ファン」誌との付き合いは古く、昭和30年代後半の誌面には、すでにお名前が登場していたと記憶する。(バックナンバーで拝見した記憶) 編集・執筆を担当した渡辺洋二氏も、1980年代始めころから47戦隊の取材を行っており、板橋区民が調査をした時にはすでに故人となられていた方も多くいる。

渡辺洋二氏は、おそらく千人単位の元軍人と会い、インタビューを行って、たくさんの関連本を世に送り出してきたレジェンドだ。その渡辺氏が、「航空ファン」2010年12月号誌上で突如、断筆宣言をした。その理由の一つとして、過去に取材した方と再会した際、前に話したことを全否定されたりして、心が折れたことなどを上げておられた。理由は他にもいろいろあるだろうと思うが、渡辺氏の心情はわかるような気がした。

そうして断筆をされた渡辺氏だったが、厖大な情報を持つレジェンドを出版社が放っておくはずもなく、数年前から連載や新刊を見かけるようになっていた。板橋区民は渡辺氏にお会いしたことはないけれど、現在、お歳は70歳前後と推察している。おそらくは、過去に書いたことの総決算をされておられるような、そんな気がする。だから、写真史という形ではあるけれど、長年取材をした47戦隊の本を出したのだろう。

 

 

板橋区民が写真史「飛行第四十七戦隊」を拝読した感想だけれど、掲載写真の9割くらいは過去に出版された雑誌で見たことがあり、残り1割強が記憶にないものといった感じだ。中でも、給油のため成増に降り立った振武隊が、出撃地へ向け再び飛び立つ様子を整列して見送る写真が胸を打つ。写真には丁寧な解説がなされており、とてもありがたい。過去に他雑誌に載った同じ写真でも新たな情報が加えられていたりしていて、参考になる。個人的に惜しいな、と感じたのは、成増飛行場自体の写真(戦闘指揮場や無線施設、射撃演習場や対空砲などの設備等)をもっと期待したのだけれど、新たな写真はほとんどなかったことだ。まあ、これは仕方がないことで、もともと刈谷氏は、整備の仕事に使用するために家一軒分の金でカメラを購入したのである。しかしその分、事故を起こした戦闘機の写真がパーツ部分も含めてふんだんに掲載されているので、機体マニアにはたまらないだろう。新品組み立て時のものはあっても、事故で壊れた状態の細部写真はなかなかないと思う。

表紙の写真は、調布飛行場に仮寓していた47戦隊が、新造の成増飛行場へ移動する直前の様子を捉えたもので、後ろ姿は戦隊長の下山登中佐である。

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板橋区民、ドキュメタリー映画を見に行く。

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最近はハロウィーンが派手になってきたせいか、クリスマスの盛り上がりを感じなくなりましたね。

先日、ドキュメンタリー作品を上映しているポレポレ東中野へ行きました。ミニシアターは塚本晋也監督作品「野火」を渋谷の箱へ観にいった時以来でしたか、この「野火」は、その後ヒットして現在アマゾンプライムでも観れるようになっています。今回ポレポレ東中野で鑑賞したのは、「陸軍前橋飛行場」という作品だ。

前橋飛行場は、アジア太平洋戦争の開戦により航空要員の急速な養成を目的とした教育用飛行場として群馬県高崎市に計画された。陸軍の担当者が飛行場建設を予定地の住民に伝えたのが1943年の5月で、9月に工事が始まり翌年2月に仮設滑走路が完成し、8月から運用された。いきなりの土地強制買収と地元住民や国民学校生徒、青年団や在郷軍人会による勤労奉仕、前橋刑務所の囚人や朝鮮人労働者を動員した突貫工事による建設。飛行場は少年飛行兵や特別操縦見習士官の訓練場として使用され、1945年2月からは特攻隊の訓練も始まった。根拠地とする戦隊こそ置かれなかったけれど、成増陸軍飛行場と似たような経過を辿っている。そんな経過を経た飛行場を題材にしたドキュメンタリー作品なので、興味を抱いて映画館まで足を運んだのである。

東中野駅に隣接した雑居ビルの地階にある映画館、ポレポレ東中野は初めての訪問だ。メジャーでは配給上映できない個性的な作品のパンフレットが並ぶ階段を降りると受付がある。館内は3割くらいの入りか、本日は最終日なので上映後、飯塚俊男監督による舞台挨拶があるのだがちょっと寂しい感じがした。(すでに一年以上前に公開されていて、地元高崎はもとより全国各地で上映されている) 映画の構成は、戦争勃発により陸軍前橋飛行場が設定されたことから始まり、当時の状況を知る方々へのインタビュー、地元の村の責任者が書き残した緻密な記録の存在、飛行場が出来る前後の地元の人との関わりや風船爆弾の製造、前橋空襲の様子、特攻兵と女学生のエピソードと感化された現代の十代?の若い女性が思いをはせる場面、そして最後に過去の記録を保存するアーカイブの大切さを訴える、と言った流れだ。

 

上映時間は約70分、このドキュメンタリーを観た板橋区民の感想だけれど、おそらくは戦争を知らない、あるいは余り知識のない方々へ向けての映像作りをしているので、説明のための真珠湾攻撃の映像やミッドウェー、サイパン島の戦いや特攻隊などメディアで幾度となく使われてきた動画が多用されており、映像で見せるオリジナル資料が少なかったためなのか、そのあたりを証言者へのインタビューで補うが、(しかたがないことだけれど)すでに軍人や関係者として直接関わった方々がいなくなってしまっていたので、当時子供だった世代の体験したことや、彼らが親から聞いた話しが主で、迫力に欠けた感は否めない。さらに、地元を意識したためか、特産品であるコンニャク糊を使った風船爆弾製造や前橋空襲の状況を時間を割いて入れ込み、最後には記録資料保存の大切さを訴えるため、福田元首相(息子のほう)へのインタビューやアメリカの公文書館の紹介までするという念のいれ方であった。実質60分強の映像でこれだけ詰め込まれると、陸軍前橋飛行場の存在が霞んでいるのでは、と感じた。

当時の資料の少なさには同情するけれど、このドキュメンタリーの肝となるであろう、冒頭で紹介された地元の村の責任者が残した「戦時中の記録」をもっと生かした映像作りは出来なかったのだろうか。もっとも、執筆をした方が子孫へ向けこの記録は公開するな。と命じており、これは、足かせを嵌められるというか、いわゆる”呪いをかけられた”状態であり、この問題を克服してくれる過程があれば、板橋区民にとって非常に有益なドキュメンタリーとなったのではと惜しまれる。

ではなぜ記録の公開を止めたのだろうか。その理由の一つとして、記録を丹念に行ったため、戦時中、村民の誰がどんなことを発言し何をしたのかということが残ってしまい、無条件降伏の敗戦となり、戦後は価値観ががらっと変わってしまった時代にそんな記録が公開されれば、村の秩序が保てなくなることを恐れたのだろう。記録の公開には百年単位の時間が必要で、「歴史は乾いてから歴史になる。」といわれる所以なのだ。

いろいろ思いつくままに書き連ねてしまったが、この映画は、前橋飛行場をメインタイトルにしなかった方が良かったかもしれない。

 

 

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2019年も年末なので、今年のお宝No.-1を発表する。

とうとう2019年も年の暮れ、押し詰まってまいりました。

そんなこんなで、年末恒例、今年1年間に板橋区民が収集したお宝の中から、No.-1を発表いたします。それでは・・

・・ドコドコドコドコドコドコドコドコドコ、ジャーーーン!

紹介します!本年のお宝オブ ジ イヤー イーズ・・

 

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「成増陸軍飛行場終戦直後の平面図」に決定!!

うん。異議なし、文句なし、お宝間違いなし、である。

成増飛行場の工事が始まったのが1943年8月(一部は7月から)。10月に滑走路が仮設置され、付帯設備が整い予定の通りに完成したのが1945年1月である。現在、練馬区発行の書籍などに記載されている成増飛行場の図は、飛行場大隊に所属していた方が秘匿していた軍極秘資料に載っているもので、成増飛行場が完成した姿である。しかし、その姿は飛行場の存続した2年間のうちのわずかな期間でしかない。

飛行場の1943年10月時点での姿は、占領した島嶼部に急造された野戦飛行場のようなもので、かろうじて戦闘機が離発着できる程度だった。それから飛行隊のピストや格納庫、本部や兵士の宿泊所や食堂や射撃場や対空機関砲などなど、飛行場としての付帯設備の建設が始まったが、完成した時にはすでに東京空襲が始まり、その空襲の標的にならないために、飛行場設備の一部を破壊せねばならなかったのである。

今回のお宝は、終戦直後、おそらくGHQに提出するために作成された平面図をコピーした物と思われる。当時はもちろん現在のようなコピー機はなかったので、「青焼き」とよばれる湿式のコピーで作成されている。ごらんの通り経年劣化が進み、ほんの少し残った文字の陰影を読み取る作業が必要だ。ざっと観察すると、建物などは日本語と英訳で表記されており、伝承通り本部建物などが破壊されているのが確認できた。

 

前回、飛行47戦隊の写真史が発刊されたことを記事にしましたが、年月が経ち、当時のことをリアルに経験した方々からの情報を得ることが難しくなった反面、現在だからこそ出てくる資料もあります。さて、来年はどんなお宝に出会えるのでしょうか、楽しみにしながら新年を迎えたいと思います。旧年中、当ブログ「板橋ハ晴天ナリ。」に訪れていただいた方々、また、素敵なコメントを残していただいた方々に感謝をし、皆様が穏やかな年を迎えられますように念じつつ、少し早いですが、2019年の締めの記事といたします。

 

 

 

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