« スーパー戦線異常アリ。in 赤塚郷 | トップページ | 板橋区民の祖父、東京オリンピックで儲け損なう。 »

祝!700回記念!〜目出度い回だが、板橋区民から悲しい報告。〜

43 Photo_20191001101201
令和元年10月1日。最近の学校は2学期制が浸透し、この日から新学期が始まることが多い。当ブログもおかげさまで掲載第700回を迎えた。開設してから約11年、超個人的なつまらない記事や自己満足な数々のスクープ記事をお届けしてきた。ちなみにブログタイトルである「板橋ハ晴天ナリ。」は、ブログを始めた時にNHKの大河ドラマとして放映されていた「坂の上の雲」から単純にお借りしたもので、たいした意味はない。ちょうど日露戦争のパートが佳境に入った頃で、勢いで決めただけなのだ。
さて記念すべき700回目、そして年度始めにあたって喜ばしいニュースでも、と思ったけれど人生は忌避こもごも、”禍福は糾える縄の如し”のようで、マイナスな面もまた人生の事実である。
板橋区民が風邪を引き始めた先月中旬、日ごろ貼り巡らせている収集警戒網に、ある情報が引っかかった。それは、成増陸軍飛行場に関わる品が売りに出ていたことだった。令和に入った早々、成増飛行場の終戦直後の平面図を入手したが、それに続いてのお宝ゲットか!と喜んだのもつかの間、結局は板橋区民の元に来ることはなかったのである。
そのお宝とは、成増飛行場に関わった方の遺品であり、肖像写真を中心に階級章や履歴などが配された額縁だった。肖像の主は、成増飛行場を管理していた第43飛行場大隊に所属していた高橋正治中尉。高橋中尉は大正3年生まれ、昭和13年に陸軍士官学校教官となり、19年9月に第43飛行場大隊本部作戦司令部付として成増飛行場に着任した。そして終戦を迎え昭和20年10月31日、市ヶ谷の陸軍航空本部に成増飛行場の残務整理終了の報告を行い、飛行場の最後を看取った方であった。
成増陸軍飛行場は、昭和18年8月より本格的な工事が始まり、10月上旬に主滑走路の舗装を終え仮に完成した。”仮”とは、陸軍の命令が10月に運用開始であったため、突貫工事でとりあえず飛行機の離発着ができるようにしたまでであり、付帯設備がほとんどない状態で、まるで野戦飛行場のような状況であった。工事は引き続き行われ、ようやく完全に完成したのは昭和20年に入ってからだった。その時、完成した飛行場の状況を纏め、航空本部に提出する書類を作成したのが高橋中尉だった。
資料には「軍事極秘」の印が押され厳重に管理されており、終戦が決まり焼却処分されるはずであったが、高橋中尉は戦後も手元に秘匿し、ようやくその存在を公開したのは、平成の初めころであった。これが、成増飛行場に関する唯一の具体的な資料で、残された超一級の一次資料なのである。
今回、高橋中尉の遺品が売りに出ていたけれど、手元にあったであろうこの極秘資料の所在は不明だ。流出元である方には様々な事情があるとは思うけれど、この資料の行方は一体どうなったのか、非常に心配である。処分されていないことを、切に願う次第である。幸い、板橋区民はこの極秘資料のコピーを刈谷氏からお借りして再コピーを所蔵しているし、練馬区発行の書籍にもトレースして掲載されている。だから内容は把握されているけれど、オリジナルの資料が失われるのは悲しい。。
実は、こうして資料が失われるケースは非常に多く、特にお孫さん以降の代になり、祖父の記憶を直接継承していない場合は処分されてしまう傾向にある。せめて、処分する前に地元の資料館や図書館に相談して欲しいのだけれども・・

|

« スーパー戦線異常アリ。in 赤塚郷 | トップページ | 板橋区民の祖父、東京オリンピックで儲け損なう。 »

携帯・デジカメ」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« スーパー戦線異常アリ。in 赤塚郷 | トップページ | 板橋区民の祖父、東京オリンピックで儲け損なう。 »