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板橋区民、掩体壕を手にいれる。

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しかし雨が多い。スーパーへ行っても野菜の元気がありませんね。。

 

この8月に、板橋区民が出演した文化放送のラジオ番組でご一緒した詩人のアーサー・ビナードさんの言葉に触発され、赤塚新町の住宅街にひっそりと埋もれている「掩体壕」の行く末が気になっているのだが、まず、それがどんな物であるのかをビジュアルでご理解いただけるように、手先の器用な知人にジオラマ模型の制作を依頼した。

先日、その模型の掩体壕が完成したとの連絡があり、それが上の写真である。元となったキットが海軍用の掩体壕なので若干仕様が違うのだが、全体の雰囲気が伝われば良しとした。成増にあった個体は入り口上部の凹凸がなく曲線の仕様で、後ろの部分もなだらかな感じで終わっている。例えれば、お椀型ではなく、直接火にくべる弥生式土器を半分にしたような型をしていた。

「掩体壕」は敵の航空機による攻撃から人員や物資を守るための施設である。基本的には幾筋もの鉄筋を組んで形を作った骨組みをコンクリートで固めたもので、資材が少なくて済み、さらに強度を得られるようにカマボコ型をしている。全体が覆われている物を”有蓋掩体壕”、側壁の土塁だけの物を”無蓋掩体壕”と呼ぶ。

掩体壕はアジア太平洋戦争時代だけに使われた物ではなく、現代でも航空自衛隊基地に設置されている。掩体壕は頑丈に作られているため、いまも戦時中の物が残っており、全国に50基以上が現存しているようである。東京では、調布飛行場で使用されていたのが5基存在し、中でも味の素スタジアム近く、国道20号線に隣接した府中市白糸台の掩体壕は、府中市が購入して整備を行い、指定文化財として保存されている。

成増飛行場には、少なくとも10基ほどの有蓋掩体壕が存在したが、赤塚新町掩体壕を除いて約20年前までにすべて破壊されてしまった。戦後、飛行場跡は連合軍に接収され、グラントハイツと命名された米軍の家族住宅となり、1974年に日本へ返還されたのちは、広大な公園と高層団地群からなる「光が丘」の街が誕生した。2度の大建設工事を経た結果、成増飛行場時代を示す遺跡はこの掩体壕だけとなってしまった。東京23区内唯一の陸軍防空飛行場として存在し、特攻隊の訓練基地とも使われた歴史の生き証人として、保存整備を訴えていきたい。

 

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