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令和元年の8月も終わるので雑談をする。

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8月最終日。月毎に最終日はあるのだが、12月31日の次ぎくらいに8月31日が感慨深く思えるのは、子供の頃の夏休みの感覚が残っているからなのかなあ。

この日、旧高島平第七小学校跡地で防災フェアが行われた。警察、消防、自衛隊ほか、電気水道などライフラインにつながる企業が出展してのフェアだ。このフェアに関しては今週初めにニュースになっていたが、それは、毎度のことながら自衛隊の出展と車両の展示はするなという強いクレームが市民から寄せられているというニュースだった。

今朝のニュース番組でも、盛んに九州や中国地方の豪雨災害の様子を伝えており、自治体の要請により災害派遣された自衛隊が住民救助や道路復旧などの活動に従事する様子が流れていた。それらを目にすると、防災の啓蒙活動する場への参加を阻止する活動は、いただけないように思える。クレームの結果か、展示車両もアメ車のハマーに似た高機動車と偵察バイクのみ、ブースにも配布物や災害地での自衛隊の活動を知らせる資料などいっさい置かれず、空の机が置かれているだけという状況だった。その様子を見て、子供にヘルメットを被せてバイクに乗せ記念写真を撮るだけなのか?災害に対してどんな意味のある展示なんだ?と思わざるをえない。この場にいる自衛隊員はいったいどんな気持ちで立っているのであろうか。

思い出すのは昨年12月に板橋区の郷土資料館で行われた「いたばし大交通展」のフィールドワークとして開催された”啓志線の歴史を辿る”のことだ。板橋区民はその講師役を仰せつかり、話をするなら初期の啓志線の終点である旧練馬倉庫駅のあった練馬自衛隊でするのが良いだろうと軽い気持ちで企画し、自衛隊と段取りをして協力をいただいた。ところがだ。フィールドワーク開催の告知と参加募集の知らせが広報いたばしに載った途端、自衛隊の敷地内でそんなことを行うのはけしからん!との強い抗議が資料館や区役所に押し寄せたのだ。別に自衛隊の広報を行う目的ではないのにもかかわらず、だ。啓志線の痕跡は、すでに練馬自衛隊の敷地内にしか残っていないのである。すったもんだの結果、フィールドワークは実施できたけれど、非常に後味の悪い物となった。なによりも、講師である板橋区民自身のモチベーションが著しく低下したのは否めない。

旧高島平第七小跡ではこんなこともあった。この場所では、毎年10月に高島平まつりが行われている。そのまつりには、我が板橋区の誇る「西洋流火術鉄砲隊保存会」が協力し、火縄銃の空砲演武を披露していた。西洋流火術鉄砲隊は、幕末の高島平(徳丸原)にて、高島秋帆率いる日本初の西洋式砲術隊が、幕閣や全国から集まった諸藩重役達の前で最新の砲術を披露したことに因んで設立された保存会である。その保存会が古の高島流砲術を、現代になって”高島平”の地名にまでなったまさにその場所で、地元の方々に披露するのはもっとも原点なことであるはずだ。ところがだ。一市民が「音がうるさい!」とクレームを付けてきた。感覚や感情は人それぞれである。演武にはたくさんの人々が集まった。西洋流演武の時間は約15分間、各人が5発空砲を撃つ。確かに空砲発砲はうるさい。砲術は、音と煙幕も重要な要素だ。年に一度、高島平まつりの日に15分間しか行われないのだが、クレームにより結果として、鉄砲隊保存会はまつりから追い出されてしまったのである。他の場所ならともかく、発祥の地である高島平から追い出されることは、保存会の存在そのものを否定されたような気がしてしまう。高島平民は、歴史なんてどうでも良いとでも思っているのだろうか、とさえ感じた出来事だった。

・・と、昔の怒りに任せて書きなぐってしまったが、高島平警察署の裏には病院があり、まつりで何が行われるのかを知らずに入院している患者の中には、不快感を持った方々もおられたことだろう。ただでさえ音の反響が大きくなる高層団地内で行うには、無理があったのかもしれない。

 

 

なんてことで、かように世の中はままならないとの結論を持って、8月の〆としたい。

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コメント

今年も厳しい残暑と湿気ですね。いかがお過ごしですか。
「うるさい」という苦情と伺って気がかりなことがあり、コメント差し上げます。
来春から風向きによって、羽田空港着陸便の一部が都内上空を飛ぶことが決まりましたね。
示されている地図によれば、まさに成増の上空を通って新宿方面に向かうみたいです。
他に仲宿・山手通りルートもあるそうです。
年に一度のお祭りに神経をとがらせる人が数時間続く飛行機音に耐えられるでしょうか。
引っ越すつもりなのかもしれませんが。

自衛隊にクレームをつけるエネルギーがあるのならば、東武の踏切をなくすように要望してほしいです。
今すぐの立体化が無理ならば踏切に替えて地下通路を作るよう地権者と交渉してほしいとか、建設的なことで。

私はときわ台駅改築後踏切警報音をなるべく耳に入れたくないためあえて駅前広場を通らず、環七の立体交差を歩くようにしていますが、その間にときわ台駅前の東武ストア(フエンテ)が閉店したそうで…全く気がついていませんでした。
またひとつ、母がいた頃の面影が消えました。
常盤台の建物も民間・公共問わず多くが建て替えの時期を迎えています。
今こそ踏切問題を解決する好機と思うのですが、景観原理主義ともいえる保守的な常盤台住民には通じそうにありません。

投稿: Windy 41 | 2019年9月 2日 (月) 13時47分

>>Windy 41さま
ご無沙汰をいたしております。若干涼しくはなったようですが、厳しいですね。私は飛行機を見るのは好きですので、見学している時の轟音は気になりませんが、生活圏での騒音はどうでしょうか。ルート上にはもっと大きな被害を被りそうな地域の人々がいるので、この騒動はどうなるのでしょう。お隣の国のようなデモが起きるのでしょうか。
常盤台住宅地域に住む方々は独特ですね。何日か前にこのブログの過去記事にカチンときて厳しい意見をしてきた該当地域に住む方がおられましたが、その記事は2008年に書いたもので今更蒸し返されても云々と返事を申し上げたところ、2018年のことと勘違いしました〜とのことで、やれやれです。返信に費やした労力と時間を返してくれと一人つぶやいた次第です。

投稿: | 2019年9月 2日 (月) 17時15分

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