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板橋区民、己の最古級の記憶映像を見て泣く。Vol.−3

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いきなりの夏!しかも台風来襲!そして今日は土用の丑の日!赤塚郷の皆様は本日うなぎを召し上がるのでしょうか?板橋区民は一昨日食べたので、胃にも暑さにもやさしい梅粥(”う”で始まるし)にしますかね。しかし、それにしても近年のうなぎの価格高騰はすごい。先日、亀戸駅近くの京葉通り沿いにある鰻屋の前を通りかかった時、”土用の丑の日、天然うな重7100円”!!!!の張り紙を見た。日本橋とかの店ではなく、老舗かもしれないけれど国道沿いのごく庶民的な構えの店だ。さすがに板橋区民には無理な値段である。いや、見栄を貼ればまあ季節もんだし年に一度と思えば、、と言うこともないけど‥ 前に、成田に住んでいる知り合いと食事をする際、せっかく成田に来たしうなぎでも、と提案すると、ばかいっちゃいかんよ、飯に鰻が乗っかってるだけじゃないか、そんな金出すんならフレンチレストランでコースを頼んだ方がリッチな気分だろ。と言われ確かになあと同感した次第だ。それでも板橋区民は鰻が好きなのでどうしても食べたい。そこでスーパーで買うのだが、もはや中国産でも結構なお値段である。東武練馬のハナマサプラスは比較的大きなうなぎ一匹990円とがんばっているけれど、昨年より小ぶりなのは否めない。他の店は昨年から100円〜200円値段が上がっている。

・・うなぎの話に熱くなってしまった。

記憶映像Vol.−3、今回は下赤塚駅前の写真である。板橋区民は1966年の頃の下赤塚駅周辺には全く縁がなかったので、当時の記憶は無い。現在の赤塚中央通りが整備されたのは昭和30年代の初めころ。もともと赤塚地区の中心地は松月院あたりで、赤三中の場所には赤塚村の役場があった。

最初の写真は、踏切を背に北口交番あたりから撮影したもの。丹頂鶴型の電話ボックスが懐かしいですね。下赤塚駅北口改札が出来たのは戦後になってからで、最初の入り口は踏切横、現在靴の修理屋になっている部分で、よく見ると今でもそっくりそのまま残っている。2番目の写真の奥の大きな建物は、板橋区役所赤塚支所と赤塚記念公会堂で、現在はパチンコ屋や洋服屋が入ったビルが建っているが、出来た当時はボーリング場だった。ボーリングブームが始まったのは万博の頃だったと記憶している。その隣には阿弥陀湯という風呂屋があった。

3番目の写真は2番目の位置から少し右(北)へカメラを振って撮ったものだけれど、ブティックと庚申塔の風景は、基本、現在とほとんど変わっていない。これはおそらく、ブティックのオーナーさんがきちんと面倒を見ていらっしゃっているからだろう。この庚申塔は、宝暦4年(1755年)12月に建立されたもので、東武練馬方面への道が整備される前は、もっと踏切り寄りにあったと言う。赤塚中央通りの元の道は少なくとも270年前にはあったのだろうけれど、赤塚6丁目のウエルシアとの交差部分(バーミヤン方面の地下鉄出入り口横へ続く)が鎌倉街道なので、中世戦国時代はそちらの方がメイン道だったのだろう。歴史本を見ると、上杉謙信の部隊が小田原城攻めの際に、赤塚大堂あたりに広がっていた大伽藍を焼き尽くして鎌倉街道を進軍して行ったと解説されています。

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