« 1942年4月18日。 | トップページ | ゴールデンウィークは、赤塚郷から始まった。(4年ぶり3回目) »

板橋区民、地元旧家からネタを仕入れる。〜ミュージシャン・山下達郎は、赤塚郷で誕生した〜

Photo_2
桜が終わり、今は藤の花が咲き始めましたね。
先日、赤塚郷でも指折りの旧家の方と話す機会があった。その方をT氏としよう。
T氏は60代後半で、音楽、それもジャズが大好きな方だ。前に、T氏所蔵の厖大なジャズの名盤やCDのコレクションを見せていただいたことがある。残念ながら、板橋区民はBGMとして聞くジャズは好きだが、アーチスト情報などには詳しくなかったので、ほとんどその価値はわからなかった。
そのT氏へ、最近、板橋区民はレジェンドアーチストのコンサートへ足を運ぶようになったんですよ、と言うと、こんな話をしてくれた。
板橋区民が思春期の頃から活動を続け、現在もその人気の衰えないアーチストに山下達郎がいる。山下達郎といえば毎年12月になればどこからともなく聞こえて来る名曲、「クリスマスイブ」が有名ですね。
T氏にはN氏という親戚がいて、N氏は赤塚郷民ならば必ずその名を目にする不動産屋を経営している。N家は、明治の後半に赤塚村の村長を務めた家柄であり、下赤塚駅の開業に尽力もした。そのN氏と山下達郎が中学の同級生で、音楽の話で意気投合し、アマチュア・バンドを結成した。グループは高校進学後も活発な活動を続けたが、高3の年に一時解散状態となった。しかし解散はしたものの、N氏は音楽活動を続け、結局、山下達郎も1969年の秋頃からその集団に参加するようになった。メンバー全員が大学に進学した1972年の春、今までの活動を自主制作のレコードにしてはどうかという提案が出されたのである。
そして、さっそくレコーディングをすることになり、その場所となったのが、N氏家の所有していた倉庫だった。その倉庫は、三園通り沿いの赤塚4丁目側にあったと言う。そこへ、ギター、ベース、ドラム、電気オルガン、ピアノを持ち込み、ヤマハのミキサーを使いステレオ録音を行った。収録曲数はA面B面で12曲、アルバムタイトルはADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」と付けられた。そのアルバムにはしっかりと録音場所として、”S.R.S.(SURFIN' RABBIT STUDIO)東京都板橋区赤塚”と記されている。
アルバム製作枚数は僅か100枚で、ほとんどがタダ同然で配られてしまった。しかし、レコードという形でしっかりと残したため、これをきっかけとして山下達郎のプロミュージシャンとしての活動が始まり、現在まで活躍は続いているのだ。
N氏と山下達郎との交際はいまも続いていて、T氏もN氏に連れられてコンサート中の楽屋へ連れて行ってもらったことがあるという。ちなみに、この100枚しか作らなかったレコードは、いまでは超希少版として100万円を超える値段で市場取引されている。

|

« 1942年4月18日。 | トップページ | ゴールデンウィークは、赤塚郷から始まった。(4年ぶり3回目) »

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

美容・コスメ」カテゴリの記事

育児」カテゴリの記事

芸能・アイドル」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

趣味 」カテゴリの記事

コメント

こちら、「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」 https://www.youtube.com/watch?v=fmcb98x_Fqg ですね。これが赤塚で録音されたとは驚きです。
しかも英語でというのがすごい。
当時あったグラントハイツもこの曲をつくるイメージのなかに含まれたりしていたのかなあ、とかいろいろ勝手に想像してしまいました。
情報ありがとうございます。

投稿: しがき伸也 | 2019年4月25日 (木) 03時21分

>>しがき伸也さま
いつもコメントをありがとうございます。山下達郎は池袋生まれで、高田中学校に入学後すぐに一家は練馬区平和台へ越しましたがそのまま越境通学していたそうです。高校は都立竹早ですから優秀ですね。洋楽はラジオで聞きまくっていたそうですが、グラントハイツも近いので影響はあったかもしれません。

投稿: | 2019年4月25日 (木) 08時52分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 1942年4月18日。 | トップページ | ゴールデンウィークは、赤塚郷から始まった。(4年ぶり3回目) »