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ゴールデンウィークは、赤塚郷から始まった。(4年ぶり3回目)

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G.W.も始まろうというのにお天気がイマイチですね。

昨晩放送されたNHK「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」で”ゴールデンウィークの名付け親が判明。”というネタを取り上げていた。これについては過去何度か当ブログで記事にしましたが、せっかくなので一部修正して再掲します。

 

1951年(昭和26年)5月5日(土)、同じ原作を大映と松竹が同じ題名で映画化した「自由学校」が同時に封切られ、大映版の方は会社創業以来の興行成績を記録した。正月映画やお盆映画に匹敵するヒット作が出たことに気をよくした当時の大映常務取締役の松山英夫が、この時期を「ゴールデンウィーク」と名付けて宣伝に利用したのが定着し、一般にも使われるようになったのが始まりとされている。

「自由学校」は朝日新聞に1950年5月26日~同年12月11日に連載された獅子文六による長編小説である。獅子文六は当時の人気作家の一人で、その作品の多くが映画化されており、この作品については松竹と大映の両方が映画化権を得たことで競作となった。
 ストーリーは、自由が欲しいという理由で会社を辞めた五百助(松竹:佐分利信、大映:小野文春)が妻の駒子(松竹:高峰三枝子、大映:木暮実千代)に家を追い出され、ルンペン暮らしの末に和解して家に戻るまでを描いたものである。

この映画「自由学校」の大映版、実は我が赤塚郷で撮影されている。(‥全編ではないですが。)

主人公夫婦は、空襲の激しくなった都心を離れ、郊外の農村地帯へ疎開して来た設定だ。戦後になっても、まだ農家の離れに住んでいる。その、最寄駅が下赤塚駅なのだ。(映画内では駅名を武蔵間駅と変えられている。)撮影に使った農家も、おそらく赤塚の農家だろう。昭和50年頃まで、茅葺の大きな農家はあたりまえのように存在していた。

映画に登場する”下赤塚駅”の駅前風景は、さすがに70年前だけあって今とは全然違うけど、でも、よく見ると理解できると思う。特に駅横の踏切のカットは、カーブの様子や北側が低くなっている感じは現在と変わらない。それと、手前に写る旗、なんだかわかります?古い人には懐かしく、若い人には意味がわからんですね。これは踏切警手が電車の接近や通過を知らせてる風景です。昔の踏切は”手動”で踏切の開け閉めをしてたんですよ。

映画が撮影された頃は、まだ北口は無くて駅舎は南口だけだった。佇まいの古さから、昭和5年(1930年)12月29日に開業した初代駅舎と思われる。2枚目の写真左手の”ハヤシ薬局”は雑居ビルになったけど、ダイナマイト酒場の隣に今もある。奥の大きな日本家屋は、現在、1階が「すき屋」で2階が居酒屋「はなの舞」が入ったビルだけど、建物の角度が同じで、形も今と似ていますね。

他にも疎開先の農家から飛び出した五百助が駅まで向かうシーンや、雑木林で暴漢に襲われるシーン(コメディタッチ)なんかもありますが、いったいどこのド田舎なんだ?というロケーションで、撮影場所は見当もつかないけれど、でも赤塚郷のどこかなのは間違いない。それは、この、どこのド田舎なんだ?という雑木林の風景を、遥か昔の子供時代に、自分は確かに見ているからだ。

 

 

この回「大型連休のおなまえ」が、明日、4月27日午前10時05分からNHK総合で再放送されるので、観ていない方はどうぞ。放送中、大映版の赤塚郷撮影シーン2カットが一瞬ですが映ります。(農家の屋内と畑地を歩くシーン。)

 

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コメント

 こんにちは。
 最近ある映画サイトで情報提供をしたところです。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~nuage001/photokimitowakarete1.html
ここにはたまたま辿り着いたのですが、成瀬監督の別作品でやはり当方のすぐ近所でのロケーション撮影があったことを知りました。その作品は私は未見のため全く知らなかったものです。
 映画ロケ地のデータベースというのもウェブにありますが、古い作品の場合漏れている情報は相当あると思います。作品の上映機会が少ないのと、情報提供を出来る者が限られてしまうためやむを得ないでしょう。板橋地区でのロケーション撮影のデータはまとめていますか?
 尚、大田区は松竹蒲田撮影所があったにも拘わらず、その方面には関心が低いままです。郷土博物館で映画関連の特別展が催されたことは無かったはずですし、地元ロケのデータベース作成のために区民に協力を求めるというような動きもかつてありませんでした。

 ところで過去の記事をすべて読んでいるわけにもゆかないのでおききします。
 昨年江戸時代初期に六郷用水ほかを開鑿した小泉次大夫について調べているうちに、こちら大田区(の糀谷地区)と板橋を結ぶ線が存在していたことを知りました。小泉家は旧来の糀谷に加えて、用水開発の恩賞として板橋にも所領を得たとあります。
 これまでにこの件に関する記事は書かれていますか?
 

 

投稿: 大森山谷 | 2019年4月27日 (土) 12時45分

>>大森山谷さま
コメントをありがとうございます。当ブログ趣旨のとおり板橋地区の古い情報について収集はしておりますが、映像ロケ地については纏めておりません。今回の映画は東武鉄道の月刊広報誌の読者投稿欄にロケ見学の思い出として載った記事で知りました。
”江戸時代初期に六郷用水ほかを開鑿した小泉次大夫”という話は初めて聞きましたが、この赤塚郷(板橋区のうち西台、徳丸、赤塚、高島平、成増地区)には小泉姓の旧家が多くありますので、関係はあるのではと思います。これからの課題として調べていきたいと思います。貴重な情報をありがとうございました。

投稿: | 2019年4月27日 (土) 13時30分

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