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板橋区民、神様に会いに行く。釧路まで。

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先日、板橋区民は北海道を周遊した。我が赤塚郷を発ち、大宮→新函館北斗→札幌→登別→札幌→網走→釧路→函館→赤塚郷というルートで、移動手段はすべて列車を使い、その移動の様子はリアルタイムで当ブログ上にUPしました。

今回の北海道行きの目的の一つに、ある人物、板橋区民にとっては”生き神様”にお会いすることを楽しみにしていた。その方は、戦時中、成増陸軍飛行場を根拠地とする本土防空第47戦隊第3中隊・桜隊に所属していた、空中勤務者(パイロット)の石原行雄少尉である。

おかげさまで当ブログも開設してから約10年、今回の記事で664回目のUPとなりました。記事によってはコメントをいただくこともあり、それが励みにもなっております。お叱りや記事の間違いを指摘していただくこともありますが、中には板橋区民にとって、研究調査の後押しをしていただけるような情報を提供いただける場合があり、その時は水面下でやりとりしていただいたりもする。(プライベートな情報もありますので。)
石原少尉とお会いすることに至った経過も、そんな情報のやりとりから始まったことである。

板橋区民が、本格的に成増陸軍飛行場について調べ始めたのは、戦後50周年の年、1995年からである。当時を知る何人かの方々に実際にお会いし話を伺ったり、戦友会である”成増会”の末席に加えていただき、毎年の靖国神社昇殿参拝にも参加させていただいていた。

それから24年、もう当時をリアルで知る方々から直接話を伺えることはないと思っていた。しかし、幸運にも当ブログが縁で、お会いする機会ができたのである。
石原氏は大正10年(1921年)のお生まれで現在97歳、今年の誕生日で98歳!を迎えられる。板橋区民にとっても、お話を聞かせていただいた中で、最高齢の方だ。

石原氏は昭和19年8月、飛行47戦隊に少尉として着任した。第3中隊・桜隊に所属し、配属機である二式戦の訓練にあけくれた。その後機種改変があり、昭和20年に入ってからは四式戦の訓練を始める。そして2月16日。硫黄島上陸を控えた米軍は、空母機動部隊を集結させ、関東各地に展開する日本軍基地を、艦載機により攻撃する”ジャンボリー作戦”を敢行した。

16日午前、成増飛行場では、全力出動で邀撃に上がった。第1中隊と第3中隊が攻撃に向かい、第2中隊は援護のため、上空旋回の任務についた。戦闘機の一番の弱点は、離陸と着陸の時であり、これを援護するためである。

石原少尉にとっては、これが初陣であった。第3中隊・桜隊の波多野隊長は、緊張する石原少尉に向かい、「俺の側に着いていろ」と命令をした。やがて千葉県の八街上空に達すると、波多野隊長が、眼下を飛ぶ6機編隊のグラマンF6Fヘルキャットを発見する。「攻撃!」の合図とともに桜隊が一斉にグラマンに覆いかぶさる。敵機上空後方位置という、絶好のポジションからの攻撃を受け、グラマンの編隊はなすすべもなく、全機が火を吹き墜落していった。

この時のことを石原氏は、「グラマンはね、真っ黒なカラスみたいなんだ。もうね、無我夢中で突っ込んで弾を撃ったんだ。確かに翼に弾が命中するのは見た。だけど、墜落するところまでは見届けられなかったんだ。全身がカッとなってね、興奮状態だったんだ。」とおっしゃっていた。
この一撃の後、桜隊は成増飛行場に戻り、隊員の休息や機の整備を行い、石原少尉を含む数名を残し再出撃したが、この邀撃により、中島准尉と中西軍曹の二人が帰らぬ人となった。

この日は、日米の戦闘機が入り乱れての大空戦が行われ、米軍機約90機あまりを撃墜したが、日本側も地上で撃破された機を含め120機以上の大損害を被ってしまった。このため、防空戦闘機隊を温存するため、47戦隊は翌日からの出撃を禁止された。

47戦隊にとってこの日の戦いは、特攻攻撃によるB-29撃墜に次ぐ戦果をあげた日で、その攻撃に実際に参加された方にお会いできるとは思っていなかったので、板橋区民も感激のひと時だった。ちなみに、当ブログでも何度か記事に書いた桜隊の一楽少尉もこの邀撃に参加していたのだが、自分は会敵できなかったとおっしゃっていた。

冒頭の写真は石原行雄氏の現在のお姿である。背筋がビシッと伸び、とても今年98歳のお年とは思えない。さすが元帝国陸軍将校殿である。氏は、戦後は教師として過ごし、数年前まで習字の指導をされていたと言う。戦争中の話をすることを好まず、家族もあまりご存じなかったそうだ。そのため、過去成増会とも何度かやりとりをしたこともあったが、距離をとっておられたと言う。それが90歳を超えてから、戦争のことを伝え残そうと思われたそうで、光が丘の平和記念碑を訪問したり、地元のNHKや釧路新聞の取材を受けたりもしていた。今回の訪問はごく短い時間であったので、また機会ができれば是非再会し、当時の話をお聴きしたいと心から願っております。


今回の石原氏との邂逅にご尽力いただいた方々に、心より御礼を申し上げます。

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