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成増の空。

Photo200

 

前回の続き。

 

元、本土防空第47戦隊第3中隊・桜隊所属の石原行雄少尉(97歳)は終戦を知覧で迎え、戦後は教職の道に進んだ。教え子たちが、戦時中の手柄話を聞きたがるのがいやになり、以降、当時の話を一切封印して生きてこられた。戦争の話は家族にもせず、戦友会とも距離を取り、手元にあった資料もいつしかほとんど失くしてしまったという。
そんな石原氏であったが、今回、板橋区民が釧路まで訪ねて来るということで、これだけは手放さなかった何葉かの写真を用意してくださっていた。それは、知覧分教所や宮崎や中国での飛行訓練時代に撮影した写真と、配属された成増陸軍飛行場での写真だった。
その写真の中に、不思議な一枚の写真があった。
石原氏は写真を手に取り、こう話された。
「これはね、自分が見た、経験した、成増飛行場そのものなんだ。」
写真には、風向きを示す吹き流しと、その後ろの空には、戦闘機が作り出す幾筋もの飛行機雲が映っていた。
「たくさんの飛行機雲。我々の戦闘機が、この空で戦った証拠なんだよ。」
石原氏が、長い間封印してきた戦時中の話を語り始めたのは90歳を過ぎてからだった。あの時代の話を残しておくべきだ、との思いがこみ上げてきたのだそうだ。板橋区民はいままで何人かの当時を知る方にコンタクトをとってきたが、話を伺うことを拒否されたこともあった。「戦後、ずっと戦友たちの供養を続けてきたし、当時の話を聞きたいというリクエストにも応じてきた。もう、あれから何十年も過ぎた。これからは残り少ない時間を、自分だけのために使いたいんだ。」
‥いろんな考えを持つ方がおられますが、昔の話を伝え残すことは大切なことであると思います。

 

 

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コメント

戦後70年以上たった現在、戦前、戦中当時のことを知り、語ってくださる方が赤塚や板橋区内にどれだけいらっしゃるか、、と想像すると、私も昔の話を伝え残すことは大切なことであると思います。

投稿: しがき伸也 | 2019年3月29日 (金) 07時50分

>> しがき伸也さま
コメントをありがとうございます。もうあの時代を語れる方は、ごく少なくなってしまいました。私の父親は成増飛行場建設工事に勤労動員されましたが、憶えているのは「暑かった。背中に火ぶくれが出来て参った。」のみで、経験してもきちんと語れる方は限られますね。
ちなみに私はそんなに爺いではありません、東京オリンピックも徳丸田んぼリアル風景も知らない世代です。

投稿: | 2019年3月29日 (金) 08時41分

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