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2019年3月

平成最後の赤塚城鉄砲隊演武 in 赤塚梅まつり

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 今日は楽しいひな祭りですが、朝からあいにくの冷たい雨でした。


昨日から我が赤塚郷のため池公園では恒例の「赤塚梅まつり」が行われておりましたが、こんな天気でしたので本日の行事はほとんど催行されなかったと思われます。

と、言うことなので、初日2日の様子をUP。

梅まつりでは恒例の「赤塚城戦国絵巻武者行列」が行われ、赤塚城址では着到状のやり取りなどの儀式や、鉄砲隊による空砲発砲がおこなわれた。鉄砲隊の諸君は、昨年西洋流火術鉄砲隊に加入した新人諸君である。緊張しつつも立派に役目を果たし拍手喝采でありました。重い鎧兜に身を包んで火縄銃を撃つのは、けっこう大変なんですよ。

動画を撮りましたので、どうぞご覧くださいませ。(約6分間)

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板橋区民、平成最後の逃避行をする。〜北へ。〜

3月5日。昨日までの雨模様と打って変わり、良い天気だ。


そんな小春日和の中、板橋区民は我が赤塚郷から逃避行する。さて何処へ‥


と言うことで着きました、新函館北斗駅。なんか暖かくて拍子抜けだ。


おお、長ーい貨物列車が来た!イイねぇ旅情が盛り上がりマス。


特急スーパー北斗に乗り替えて先へと逃避行します。


東室蘭を通過。大工業地帯が広がる。しかし、雪が全くないなぁ。車内放送で鹿と接触することがあります。なんて言ってますがさすが北海道。


ようやっと札幌駅に着いたので、先ずは駅ビル地下の四つ葉カフェで誕生日のケーキ代わりに白いパフェをいただく。


さて、軽く前菜のパフェをいただいたお次は札幌ラーメンの名店、純連へ。


いやー、熱々のスープにほんのりと生姜の香り、やっぱり札幌の本店で食べる味噌ラーメンはうまい!


本場の札幌味噌ラーメンを堪能した後はススキノへ移動、なるとキッチンへ。本店は小樽にある鳥の半身揚げで有名な店ですね。いやー美味いっス。クリーム系の甘いもの、ラーメン、鳥の素揚げ。いずれも板橋区民子供の頃からの大好物だ。誕生日に相応しいディナーでした。。

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板橋区民、逃避行を続ける。〜道央へ、そして東へ。〜

板橋区民の朝は早い。なにせ逃避行中ですから。


そんなワケで潜伏先のススキノを立ち、札幌駅へ向かう。街路が非常に整っているせいか、早朝の街は閑散として見える。


札幌駅に着く。昨日は地下鉄移動したので気がつかなかったが、凄く近代的な駅舎へと変わっていた。


札幌駅6番ホーム、特急すずらん2号が滑り込んできた。


乗車1時間15分、登別温泉駅に到着。


登別温泉は5年前にも来たけど、凄く良かったので再訪することにしたのだ。


今回は超メジャーな第一滝本本館を訪れる。前に寄ったのは銭湯みたいな所で湯温が高く板橋区民的には厳しかったのだ。


いやー期待をあまりしてなかったが、スミマセン、良かったデス。板橋区民が至高とする白濁硫黄泉、酸性緑ばん泉が滲みました。中でも白濁硫黄泉の寝湯は感動もの。寝湯はジャグジー付きの場合がよくあり、板橋区民はあまり好まない。ジャグジーはなんだか忙しくて落ち着かないのだ。


登別駅から再び札幌に戻り、旭川駅に着いた。この旅程はタイトなので最後まで悩んだけど、どうしても登別温泉に行きたかったので賭けに出た。それはスーパー北斗からカムイへの乗り換えが14分しかなく、遅延が常態化してるJR北に一抹の不安があったのだ。結果不安は的中、カムイ出発時刻ギリギリに札幌駅に着いてしまった。ただ、運の良いことにギリギリだったのでカムイが出発を少し待ってくれ、走り込みセーフで間に合ったのであった。
めでたしめでたし。


午後7時、北見駅にてまたまた乗り換え。旭川ー北見間の真ん中辺は結構雪が積もっていたけど、北見は海側に近いせいかあまり雪がないですな。


午後8時半、ようやっと網走駅に到着。分類的には乗り鉄な板橋区民ですが、日が落ちて暗くなるとさすがに辛いですね。ポケモンジムの少ない場所では、たいてい駅にジムが設けられているので、すれ違い待ちの時に潰したりして過ごしました。地元の方、ごめんなさい。


駅舎を出ると小雪舞う寒い寒い網走でした。逃避行の果てに辿り着くと言う設定にぴったりのシチュエーションですネ。駅前にはほとんど店がないので、すき家で遅い夕食。昼もセブンのおにぎりだけでした。明日は北海道グルメを楽しみたいなぁ‥

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板橋区民、逃避行する。〜オホーツクが呼んでいる。〜


新しい朝が来た。網走の朝だ。


良い天気だけど、やっぱ寒い。我が赤塚郷の一番寒い日のようだ。


さて、砕氷船乗り場に到着。果たして流氷に巡り会えるのかどうか‥


出航後、穏やかなオホーツク海を進む。流氷の気配はまったく無い。


と、カモメが遊びにやってきた。


すると、おおー、流氷地帯に突入だ!


乗船券窓口のお姉さんは、本日は流氷がありませんので変わりに乗船時間が30分延長されますと言っていたので諦めてました。


いやーいいねえ。真冬じゃないのでさすがに氷をバリバリ、ってなワケにはいかないけど、雰囲気は味わえる。温暖化で流氷が接岸し難くなっているそうで、近い将来はもう見れなくなるらしい。


さて無事流氷ミッションを完了して次のプランは?網走監獄はこないだ行ったし、オホーツク流氷博物館とか‥でも今日は天気が良いしアウトドア日和かな、ってな事で網走バスに乗り、釧網線の北浜駅へ。


この駅はオホーツクの流氷を眺められる駅として有名だ。


駅舎の中はこんな有様ですね。


駅の横には展望台があり、知床の山々が望める。


今はもう無人駅だけれど、元の駅務室は改装されて洒落た食堂になっている。洋食メインなのだがせっかくなので海鮮ラーメンをいただく。


ゆっくり昼食を楽しんでからまたバスで網走へ戻り、釧網線に乗る。わざわざ戻らなくても北浜駅で待っていれば乗れるのだが、ある情報によれば最近、知床観光を終えた中華客が増え、しかも車両は一両編成なので途中から乗ると座れないことがあると聞かされたのだ。しかしホームへやってきた車両は二両編成で、しかも団体はおらず車内は余裕であった。


それにしても、車窓の景色は素晴らしい!この釧網線は北海道の中でも屈指なんではなかろうか。


午後6時50分、終点釧路駅に着く。夕方便なのでせっかくの釧路湿原の風景は真っ暗で見られない。昼便ならオオワシやツルや鹿や北キツネとかに会えるのに、まったくもって残念だ。にしても釧路市内はチョー寒い。明日朝はマイナス10度になるかもしれないとか。ブルブル。

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板橋区民、逃避行しているのか?〜釧路で凍れる。〜

おはようございます。凍れますな。


晴天の釧路の朝。釧路河には氷が浮いてます。さて、今日のスケジュールはいかに。


‥いかに、なんて言ってるうちにもう釧路を出る時間になってしまった。そう、板橋区民は逃避行中なので一箇所に長く居れないのである。


午前11時24分に出発したスーパーおおぞらはようやっと南千歳に到着し、慌ただしくスーパー北斗に乗り換えた。これも時差5分で遅れたらアウトだった。


やれやれ、やっと函館に着いた。まだ夜7時前なのだが、閑散とした雰囲気だ。ちょっと意外。


函館の夜は塩ラーメン。


この店は、1965年創業で函館市内で最古のラーメン屋だ。麺を食べ終わると追加100円でおじやにしてくれ、これがまたとても美味しかったですよ。

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板橋区民、逃避行の果てに。〜歳さん、あなたは何を思う‥〜

遥々来たぜ函館。


昨夜は湯の川温泉にて旅装を解いた。今日の函館は、さほど寒くはなく、我が赤塚郷の平年並みくらいであろうか。


逃避行先にて、汚れてしまった心を清めるためトラピスチヌ修道院を訪う。


今までいろんな国の修道院へ行ったけど、つくづく良くできた造りだと思う。


心がいくぶん清まった後は、隣接の市民の森で日本一と呼ばれる濃厚ソフトクリームを食べる。‥確かに濃厚でした。


腹ごなしにトラピスチヌ修道院から歩くと、函館名物ラッキーピエロが見えてきた。まだ腹は減ってないが寄らなきゃならない。修行かよ。


店一番人気のチャイニーズチキンバーガーセットを注文。旅、いや、逃避行は身体が頑強でなければいけないけど、胃袋も強くないといかんですナ。


お腹はあまり空いていなかったが、チャイニーズチキンバーガーが食欲を呼んで完食。膨れた腹をさすりながら湯の川から市電に乗る。やっぱり道路を走る路面電車はいいなぁ‥


さてさて、今回のハイライト、一度訪れて見たかった土方歳三最後の地、一本木関門跡。本当にこんなんだったの?といった感じのレプリカ門の側に、碑がひっそりと建っている。


今年は土方先生がこの場所で壮烈な戦死を遂げてから丁度150周年にあたる。いまは住宅に囲まれた一画となっている。


没後150年、時代は明治、大正、昭和、そして平成も終わろうとしている。先生、土方先生、あなたは今の世をどうご覧でしょうか‥


いや〜でも一本木関門が函館駅からわりと近いところにあったなんて思いませんでした。


函館山や五稜郭は今回はパス。


赤煉瓦倉庫街は行ったことがないので寄りました。中華観光客で賑わってますね。これがインバインド効果かと実感。


さて、板橋区民も現実に戻る時が来たようだ。逃避行はもう終わり、懐かしの我が赤塚郷へ帰ろう。さらば函館、さらば北海道。


青函トンネル内にて函館名物、ハセガワストアのやきとり弁当を広げる。どこでもマネ出来そうだけど、これが不思議と旨い。結局、今回はラーメンとコンビニお握りとハンバーガーしか食べてなかったけど、このやきとり弁当が一番だったような気がする。ううむ、海鮮丼も食べたかったなぁ‥

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板橋区民、ジャポン!と入る。

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赤塚郷はもう春ですね。


すでにオープンしてから一週間経つけれど、東久留米市に新規開業した温泉スパ「スパジアム・ジャポン」へ行ってきた。

ご覧の通り、関東最大級の大きさを誇るだけあってなかなかの威容である。このあたり一帯は大規模開発中のようで、周辺には今後も大型施設ができるような感じだ。
館内はさすがに広々としている。さっそく温泉へGo!

基本の温泉成分は炭酸水素塩泉で、地下1500メートルから汲み上げている。近場にあるおふろの王様志木店は茶色っぽい色だけれど、スパジャポの湯は無色透明だ。

風呂は15種類ということだけど、特に珍しさはない。良かったのは寝湯の湯の高さがある(さやの湯処より高い)ことと、高濃度炭酸泉にも温泉を使っていることかな。ただ、この大きさの施設にしては洗い場の数が少ないような気もします。まっ、ファーストインプレッションはそんなところですかね。車での来館を想定しているのか駐車場はとにかく大きい。今回は岩盤浴も食事処も利用していないけれど、また次回体験してみよう。

成増からは車で約30分くらいかな。わかりやすい道順は、川越街道から和光市樹林公園方面へ外環道の側道に入って司法研修所前の信号を右折、ずっと行って36号を左折、関越を越えて栗原の信号を右折、次のセブンイレブンの信号を右折して川を渡り道なりに進むと左手に見えてきます。手前には巨大ビバホームがある。

https://spajapo.com/spa/


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板橋区民、神様に会いに行く。釧路まで。

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先日、板橋区民は北海道を周遊した。我が赤塚郷を発ち、大宮→新函館北斗→札幌→登別→札幌→網走→釧路→函館→赤塚郷というルートで、移動手段はすべて列車を使い、その移動の様子はリアルタイムで当ブログ上にUPしました。

今回の北海道行きの目的の一つに、ある人物、板橋区民にとっては”生き神様”にお会いすることを楽しみにしていた。その方は、戦時中、成増陸軍飛行場を根拠地とする本土防空第47戦隊第3中隊・桜隊に所属していた、空中勤務者(パイロット)の石原行雄少尉である。

おかげさまで当ブログも開設してから約10年、今回の記事で664回目のUPとなりました。記事によってはコメントをいただくこともあり、それが励みにもなっております。お叱りや記事の間違いを指摘していただくこともありますが、中には板橋区民にとって、研究調査の後押しをしていただけるような情報を提供いただける場合があり、その時は水面下でやりとりしていただいたりもする。(プライベートな情報もありますので。)
石原少尉とお会いすることに至った経過も、そんな情報のやりとりから始まったことである。

板橋区民が、本格的に成増陸軍飛行場について調べ始めたのは、戦後50周年の年、1995年からである。当時を知る何人かの方々に実際にお会いし話を伺ったり、戦友会である”成増会”の末席に加えていただき、毎年の靖国神社昇殿参拝にも参加させていただいていた。

それから24年、もう当時をリアルで知る方々から直接話を伺えることはないと思っていた。しかし、幸運にも当ブログが縁で、お会いする機会ができたのである。
石原氏は大正10年(1921年)のお生まれで現在97歳、今年の誕生日で98歳!を迎えられる。板橋区民にとっても、お話を聞かせていただいた中で、最高齢の方だ。

石原氏は昭和19年8月、飛行47戦隊に少尉として着任した。第3中隊・桜隊に所属し、配属機である二式戦の訓練にあけくれた。その後機種改変があり、昭和20年に入ってからは四式戦の訓練を始める。そして2月16日。硫黄島上陸を控えた米軍は、空母機動部隊を集結させ、関東各地に展開する日本軍基地を、艦載機により攻撃する”ジャンボリー作戦”を敢行した。

16日午前、成増飛行場では、全力出動で邀撃に上がった。第1中隊と第3中隊が攻撃に向かい、第2中隊は援護のため、上空旋回の任務についた。戦闘機の一番の弱点は、離陸と着陸の時であり、これを援護するためである。

石原少尉にとっては、これが初陣であった。第3中隊・桜隊の波多野隊長は、緊張する石原少尉に向かい、「俺の側に着いていろ」と命令をした。やがて千葉県の八街上空に達すると、波多野隊長が、眼下を飛ぶ6機編隊のグラマンF6Fヘルキャットを発見する。「攻撃!」の合図とともに桜隊が一斉にグラマンに覆いかぶさる。敵機上空後方位置という、絶好のポジションからの攻撃を受け、グラマンの編隊はなすすべもなく、全機が火を吹き墜落していった。

この時のことを石原氏は、「グラマンはね、真っ黒なカラスみたいなんだ。もうね、無我夢中で突っ込んで弾を撃ったんだ。確かに翼に弾が命中するのは見た。だけど、墜落するところまでは見届けられなかったんだ。全身がカッとなってね、興奮状態だったんだ。」とおっしゃっていた。
この一撃の後、桜隊は成増飛行場に戻り、隊員の休息や機の整備を行い、石原少尉を含む数名を残し再出撃したが、この邀撃により、中島准尉と中西軍曹の二人が帰らぬ人となった。

この日は、日米の戦闘機が入り乱れての大空戦が行われ、米軍機約90機あまりを撃墜したが、日本側も地上で撃破された機を含め120機以上の大損害を被ってしまった。このため、防空戦闘機隊を温存するため、47戦隊は翌日からの出撃を禁止された。

47戦隊にとってこの日の戦いは、特攻攻撃によるB-29撃墜に次ぐ戦果をあげた日で、その攻撃に実際に参加された方にお会いできるとは思っていなかったので、板橋区民も感激のひと時だった。ちなみに、当ブログでも何度か記事に書いた桜隊の一楽少尉もこの邀撃に参加していたのだが、自分は会敵できなかったとおっしゃっていた。

冒頭の写真は石原行雄氏の現在のお姿である。背筋がビシッと伸び、とても今年98歳のお年とは思えない。さすが元帝国陸軍将校殿である。氏は、戦後は教師として過ごし、数年前まで習字の指導をされていたと言う。戦争中の話をすることを好まず、家族もあまりご存じなかったそうだ。そのため、過去成増会とも何度かやりとりをしたこともあったが、距離をとっておられたと言う。それが90歳を超えてから、戦争のことを伝え残そうと思われたそうで、光が丘の平和記念碑を訪問したり、地元のNHKや釧路新聞の取材を受けたりもしていた。今回の訪問はごく短い時間であったので、また機会ができれば是非再会し、当時の話をお聴きしたいと心から願っております。


今回の石原氏との邂逅にご尽力いただいた方々に、心より御礼を申し上げます。

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成増の空。

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前回の続き。

 

元、本土防空第47戦隊第3中隊・桜隊所属の石原行雄少尉(97歳)は終戦を知覧で迎え、戦後は教職の道に進んだ。教え子たちが、戦時中の手柄話を聞きたがるのがいやになり、以降、当時の話を一切封印して生きてこられた。戦争の話は家族にもせず、戦友会とも距離を取り、手元にあった資料もいつしかほとんど失くしてしまったという。
そんな石原氏であったが、今回、板橋区民が釧路まで訪ねて来るということで、これだけは手放さなかった何葉かの写真を用意してくださっていた。それは、知覧分教所や宮崎や中国での飛行訓練時代に撮影した写真と、配属された成増陸軍飛行場での写真だった。
その写真の中に、不思議な一枚の写真があった。
石原氏は写真を手に取り、こう話された。
「これはね、自分が見た、経験した、成増飛行場そのものなんだ。」
写真には、風向きを示す吹き流しと、その後ろの空には、戦闘機が作り出す幾筋もの飛行機雲が映っていた。
「たくさんの飛行機雲。我々の戦闘機が、この空で戦った証拠なんだよ。」
石原氏が、長い間封印してきた戦時中の話を語り始めたのは90歳を過ぎてからだった。あの時代の話を残しておくべきだ、との思いがこみ上げてきたのだそうだ。板橋区民はいままで何人かの当時を知る方にコンタクトをとってきたが、話を伺うことを拒否されたこともあった。「戦後、ずっと戦友たちの供養を続けてきたし、当時の話を聞きたいというリクエストにも応じてきた。もう、あれから何十年も過ぎた。これからは残り少ない時間を、自分だけのために使いたいんだ。」
‥いろんな考えを持つ方がおられますが、昔の話を伝え残すことは大切なことであると思います。

 

 

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板橋区民、平成最後の年度末に花まつり。

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花曇り&低温が続きますね。そのおかげで桜の開花が長く持ちそうです。

 

年度末の週末、我が赤塚郷の青蓮寺(成増4丁目)で花祭りに伴う稚児行列が行われた。

花祭りは、戦前までは灌仏会(かんぶつえ)仏生会(ぶっしょうえ)浴仏会(よくぶつえ)降誕会(こうたんえ)竜華会(りゅうげえ)などとも言われましたが、釈迦の誕生を祝う仏教行事で、お釈迦様の誕生日である4月8日に行われる法要のことです。花祭りがいつ行われるかは寺院によって違い、5月の場合もあります。どの寺院でも甘茶を用意しお釈迦様の誕生仏に灌ぎお祝いをします。

また、稚児行列とは、お稚児さんが御遠忌法要などに装束をつけ、仏様の智慧と慈悲を身に受け、かしこくやさしい子供に育てようという願いを込められて行列するものです。が、神社神道の世界では、神が幼く清浄なる稚児の姿に、好んで宿り心から和まれるという信仰があって、どちらかというと神道行事の意味合いが強いですね。

まっ、どちらにせよ昔は神道と仏教は仲が良く、それに日本人の素養も加わりどっちでもいいじゃん、といった曖昧さもあって花祭りに合わせて稚児行列も行うことが多いようです。

この稚児行列は、毎年行う寺院もありますが、たまにしか行われない場合が多く、青蓮寺では実に16年ぶりのことでした。なので、この行事を見られる機会は滅多になく、行列に遭遇することはとても希少なチャンスでもあります。今回の行列には、板橋区内で古刹として有名な蓮沼の南蔵院や上板橋の安養院のご住職が導師として参加され、坂本板橋区長や有力区議会議員、地元名家のご当主も列に加わり、なかなか壮観な行列でした。

 

 

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