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板橋原人て、いたのかなあ‥

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 風がとても冷たいですね。外へ出たくなくて運動不足です。


先週より板橋区立郷土資料館では特別展「再発見!いたばしの遺跡」が始まった。(しかし役所は何で”板橋”をいちいち平仮名で”いたばし”と表記するんですかね?)

板橋区民もさっそく開催初日に見学に行きました。寒いのであまり人がいないかなと思いましたが、いやいや結構な入場者で驚いた。

板橋区は、古代より海に接する高台に位置し食料が得やすかったため、4万年前からの生活の痕跡が残るとても住みよい土地だった。なので、旧石器時代から近代までの遺跡が満遍なく出土する稀有な場所でもある。

近年も考古展示は何度か行われていたけれどマニアックな展示が多かったので、今回のような普遍的というかシロウトにもわかりやすい展示はありがたい。なかでも、旧石器時代に触れた展示は、あの”大事件”が起こって以来、遠慮がちになりあまり触れられてこなかったので、ようやくか、という感じを持った。

平成の初めころまで、板橋区内のあちこちで遺跡の発掘調査が行われていて、たまに見学会が催されていた。板橋区民も見に行ったことが何度かあるけれど、資料館で資料を見るのと違い、生活が行われていたその場所を体感出来ることは感動の大きさがちがうのである。

しかし、最近はめったに発掘の情報を耳にしたり、見学会が催されることがないように感じる。これはどうしてなのだろう?板橋区内では今でも土地開発が行われている場所はあると思うのですが。環七通り小竹向原駅近くの小茂根一丁目にある根ノ上遺跡では、発掘のときに地面に突き刺さった状態で謎の鉄の筒のような物が数本出土し、そのままにして見学会を行ったところ、お年寄りの方から「こりゃ焼夷弾だね。」と指摘を受け調べるてみると、まさに空襲の時に落とされた物と判明したことがあった。


10年くらい前、志村の凸版印刷が転居するという噂を耳にした。凸版印刷構内では過去何度か遺跡の発掘調査が行われ、旧石器から江戸時代の道跡まで満遍なく出土し、板橋区最後のフロンティアと呼ばれていた。その後進展状況は耳にしなかったけれど、今年に入ってから、志村にある大手の病院グループが土地を取得したという新たな噂を聞いた。

凸版印刷は板橋区の遺跡包蔵地に指定されているので、土地を開発する際には遺跡発掘調査をすることが義務付けられている。土地が譲渡された場合には当然発掘が行われるだろうし、まだ敷地の80%くらいが未調査地と思われるので、さて何が出てくるのか今から楽しみである。もしかしたら板橋原人の痕跡が‥なんてね。


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