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板橋区民、総括する。

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 万座温泉ではしゃいだ報いか、久しぶりに大き目の風邪をひいてしまいました。。


先週、とうとう「いたばし大交通展」が終了となりましたが、書いていなかった事をひとつ。


今回の特別展開催は一年以上前には決まっていたことで、開業50周年を迎える都営三田線を中心とした交通の展示を行うということだった。板橋区民としては近代交通のみで濃い展示をしていただきたかったが、郷土資料館としては、過去何度か板橋地域を通る街道の展示も行ってきたし、新たに発見された資料もあるので、1階を近世までとし、2階を近代の展示とに分けて行うことで決まった。

次に講演会をどうするかであったが、板橋区民が昔から知己を得ていた元・交通博物館館長の菅氏(板橋区在住)を紹介すると、現在、菅氏は鉄道150年史の編纂事業に関わりお忙しいところ、自分も板橋区に40年間世話になっているので、一肌脱ぎましょうと協力の快諾をいただけた。当初、都営交通局と東武鉄道両方呼んで一度にやりましょう、と菅氏が言うので、そりゃもったいないので2回にわけませんかとお願いし、今回の形となったのである。

そしてもう一つ、フィールドワークとして、啓志線の最初の建設目的であった、旧陸軍第一造兵廠練馬倉庫のあった場所を案内しつつ講義を行う、という案を出し了承をいただいた。講師はもちろん不詳、板橋区民が務めるのである。
最初は、資料館以外の場所で行うことに難を示されたが、これは、そのために人員が必要となりその確保や段取りなど大変な負担をかけることになるからなのであり、わがままを受け入れてくださった担当者の方には感謝をしております。

実は10年ちょっと前にも、板橋区民は文化財係に依頼され、啓志線跡地巡りの案内人を務めたことがあった。その時は東武練馬駅南口に集合し、自衛隊の中を巡り、錦町から上板橋駅までのルートで歩いた。東武練馬駅ー上板橋駅間は直線で1.5キロくらいだけれど、啓志線のルートを歩くとこれがなかなかの距離で、参加された人の中にはヘトヘトになってしまった方もおられたりして、今回も様々な方が応募されるだろうから基本座学のみで、あとは練馬倉庫駅があったであろう推定場所を見学する、と言う方針が決まった。

最初の案で示したのは、午前中に郷土資料館で展示見学と解説を行い、各自昼食後、成増駅へ集合。成増駅構内にて再利用されている古レールの見学をしつつ東武練馬駅に移動、練馬北町の浅間神社近くに封印された頑丈なコンクリート製の横穴式防空壕を見つつ練馬自衛隊へ、というルートだったけれど、これらの提案はことごとく却下されてしまった。これじゃ詰め込みすぎですからね。

さて、ここからが本題である。

啓志線の講演会は、資料館側の負担を軽減するため、集合場所は練馬自衛隊入り口に設定した。これは駅を集合場所にすると、駅から目的地まで集団を安全に移動する義務が生じるので、そのための人員を確保しなくてはならなくなるからだ。自衛隊には、講堂の使用と隣接の資料室見学と旧練馬倉庫駅跡地見学の許可をいただいていた。講演と見学のタイムスケジュールを組むと終わるのがちょうど昼時なので、自衛隊内でどこか昼食が取れる場所はないでしょうかと尋ねると、事前に申し出があれば380円で昼食を提供できます、とのことだったので、そりゃ安くていいやと思い、なんの気なしにお願いすることにした。(これが後に問題となる)

11月初め、「広報いたばし」に小さく応募告知が載った。制御できるキャパが限られるため、募集は30名とし、他に、10年前の跡地巡りの時も同行をお願いした、鉄道博物館の学芸員O氏なども加わっていただくことにした。
その告知記事を目にした時、「ん?これはどいういことだ?」と胸が騒いだ。見出しが練馬駐屯地見学会と太文字で表記され、ていねいに自衛隊員のマスコットイラストも添えられているではないか。記事の中で、「講義・グラントハイツ線の歴史を紐解く」と説明はされているけれど、これではまるで駐屯地見学会が主ではないか、と少々ムッとした。

まあ、確かに旧練馬倉庫駅は練馬自衛隊の中にあったので、自衛隊にご協力をいただくのだからしかたないかな、と思い直したが、それから数日後、事態は急変したのである。その記事を見た、自衛隊を違憲とする方々の抗議が資料館や役所に殺到したのだ。ようするに、行政が主導して自衛隊の見学会を催すとは何事だ!というわけだ。板橋区民も遠回しに尋問され、「そりゃもともと啓志線は第一造兵廠練馬倉庫線として敷設されたんやし、その終点である場所が、現在は練馬駐屯地の中にあるんやからそこで話をするのは筋の通ったことやないんか、ほかに他意はないで」と申し上げた。

それから数日間、開催も危しとなりかねない状況に板橋区民はムカムカしながら過ごしたが、昼食の提供をしないなどの譲歩の末、中止とならずに至った次第である。

いったいなぜ、そんな事態になったのか?

これも、遠回しに聞き及ぶところによると、問題の広報記事は、区役所がアウトソーシング(外部委託)している会社が制作したもので、原因はその会社にありチェックが甘かった、ということだった。

なんだそれは。

その通りなんだろうがお粗末すぎやしないか。結局、ちょっとした騒動はあったけど開催されるんだからモウマンタイ。と言う事にされた次第で、板橋区民の気持ちの中にはモヤモヤが残ったままであった。

そんな騒動があったからなのかどうか、募集30名に対し、応募総数は120通と倍率4倍の狭き門となったのである。この結果に、一時、やる気度が著しく下がった板橋区民も、期待に沿おうと再び奮い立った。

今回の講義では、とっておきの目玉資料を用意していた。それは3年ほど前、某所に寄贈された「地籍図」で、そこには昭和23年頃の、いわゆる啓志駅が記載されているものであった。「地籍図」とは、土地台帳などに利用されるもので、土地の所有区分がわかるようになっており、市販の地図よりは信用のおけるものだ。

”駅”という概念は何を持って駅とするかが問題であり、一般的には乗降客が利用する場所を駅と呼ぶけれど、ホームがなければダメなのかとか駅舎がなきゃだめなのかとか貨物駅はどうなんだとか、いろいろ解釈がある。啓志線に関してはグラントハイツ建設地に着いてから様々な方向に分岐するので、分岐先すべてが啓志駅ではないかという解釈もできるけれど、”乗降客のための駅”が建設当初の計画平面図には描かれており、実際に半年程度ガソリンカーの運行が行われていたのは確かで、「地籍図」掲載の啓志駅の場所は、計画図で記された位置と一致していたのである。それは、現在の練馬区立秋の陽小学校の校舎の建つ位置にあたる。

90分をオーバーした講義を終え、資料室の見学を終えてからフィールドワークに出た。まずは平和台方向から入線してくる場所へ向かい、そこから線路が通っていたであろう場所(現在ちょうど通路となっている)を、北町方向に抜ける道をたどりながら往時を偲ぶ。実は10年前、道を一本間違えて案内してしまい、今回はその訂正を兼ねていたのである。

東武練馬駅南口から練馬駐屯地まで向かうには、旧川越街道石観音の場所から川越街道へ直線に進む道を行く。この道は駐屯地で切れているけれど、戦前はそのまま現在の平和台駅の方角に続いていた。その道の跡は、今も駐屯地内に痕跡があり、その道と啓志線の線路が交差する辺りに、練馬倉庫駅は存在していた。そこで立ち止まり解説をしていると、鉄道博物館のO先生から、あれは線路の切り通しなんじゃないの?と指摘を受けた。それはちょうど隊員食堂と福利厚生施設のある建物の間の小道で、確かに左側の食堂とは段差ができている。

O先生によると、機関車は勾配を嫌うので平地に線路を敷く時にも平衡を保つため、低いところは埋めたり築堤を築いたり、高い部分は切り通しにしたりするのだと言う。今回たどった道はほぼ平坦であり、軌道が通っていたと考えるのは不自然ではないそうだ。

やはり、鉄道に詳しい方に来ていただいてよかった。と同時に、機関車のことなど幅広い知識がなければ見過ごす事や、間違いや勘違いに気がつかないままになるのかと、愕然としてしまった次第でもある。もう一つ、ガソリンカー運行に関しては、戦時中は燃料不足から気動車の運行はままならず、ずっと休車状態にあり、それは戦争直後も変わらず気動車は余っていた。だからこそ進駐軍はそれに目をつけ走らせたようだが、故障が非常に多かったため、代替えの車両も含め多めに車両を確保した可能性があるという。

それと、ガソリンカーは専用の免許を持った人間でなければ動かす事はできず、修理場や修理の人員、ガソリンの貯蔵施設なども必要で、それまで気動車の運行がなかった東武鉄道ではどうやりくりしていたのか、不明な点がまだまだ多いとの指摘をいただいた。また、東京駅まで運行するという計画があったのではないかとする指摘については、ガソリンカーが山手線などの煩雑路線に入線して走るのは不可能なことだ、と一蹴されてしまった。

いやはや、勉強する事はまだまだ多そうだ。。


啓志線講演会が終了して数日が経ち、参加者へのアンケート調査結果が送られてきた。過去同じ内容で話を行ったことがあったので、概ね好評との結果に胸をなでおろしたけれど、資料館の分析では、参加の半分近くの方が自衛隊の見学に興味があったことが応募動機につながったのではないか、とのことだった。

なんだかなあ〜〜〜

板橋区民渾身の啓志線の話は二の次ですか。そう言えば、講演の際に質問の時間が取れなかったので、自衛隊構内見学の途中で声をかけてくださいとお願いしておいたけど、道すがら声をかけてきた熟女のおばさまから、話を聞いてなかったんかい!な質問をいただいたりしたっけ。

そんな複雑な思いを受けつつ、「大交通展」を終えたのであった。

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