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⭐️祝!ハレンチ学園誕生50周年。⭐️

 梅雨明けはフェイクだったのですかね。。

「ハレンチ学園」
このタイトルだけでトキメキを覚えるのは50代以上のおじさんだろう。

「ハレンチ学園」は、漫画家・永井豪により1968年11号から1972年41号まで『週刊少年ジャンプ』にて連載されたギャグ漫画だ。作品中に「モーレツごっこ」を登場させ、子供達の間で、スカートめくりが大流行する一因となった。

板橋区民もちょうどその頃から漫画本を購入し始めた記憶がある。徳丸の宮の下交差点西側にあった文房具店で漫画雑誌を売っていたので、主にそこで買い、無ければ東武練馬駅前の塩野書店(今はココイチだったかな。)まで行った。初期はジャンプ、それからチャンピオン、サンデーを読んでいた、と思う。

永井豪先生の丸みを帯びた絵柄が好きで、後で知ったが、手塚治虫先生のアシスタントもしていたそうだ。「ハレンチ学園」は、最初の頃は他愛もないエッチなギャグ漫画だったけれど、後半はなんだか生徒(学校)と教育委員会との戦争物となり、その描写がシリアスさを帯びてきて、もはや少年の読み物ではなくなり購読をやめてしまった。

連載当時は、学生運動が最後の光を放っていたころで、その影響を受けていたのかと思っていたが、作品が社会的に槍玉に上がり(現在の表現では”大炎上”し)、PTA等からの激しい批判の標的となって作者の人格攻撃にまで発展した。永井豪先生は、当時の教育制度に対しての痛烈な皮肉と、戦争を生むのは醜い人間の欲望と偏った思想であるとの思いを込め、この戦争描写を展開させたらしい。先生は、ハレンチ学園連載後半ころからマガジンで「デビルマン」の連載を始め、ハレンチ学園終了後から「マジンガーZ」の連載を始めた。

少年期の私の好きなギャグ漫画家は、永井豪、吾妻ひでお、山上たつひこ、鴨川つばめ達であったが、皆、最初は他愛もないギャグ漫画を描いていたのが、だんだん精神世界方面へと行ってしまった。これはなぜなのか今持って不思議である。


ん?今回は思い出の漫画について記事にしているだけか?

いやいや、実は、永井豪先生は「都立板橋高校」出身であり、「ハレンチ学園」は板橋高校をモデルとして描かれた作品と言われているのだ。

板橋区民が覚えている板橋高校は、板橋区内No.-1の高偏差値を誇る、都立高第43群の最高峰グループに属するエリート校であった。それがなんで”ハレンチ”になったの?永井先生は逆説的に描いたの?と思ったが、先生の在学していた頃は、まだ学校群制度前の時代(学校群制度は1968年から)だった。

永井先生によると、学生時代に教諭が女子生徒の体を触り、その場は教諭個人の冗談を含む一過性の性的揶揄と思ったが、後で隠れて泣いている女子生徒を目の当たりにし、その目撃談を元にデフォルメして作品を描いた、と言う。当時の糾弾者達は、ハレンチ描写よりも、余りに理想の教師像からかけ離れた教師達の描写を問題視し、教師という権威をからかったことに怒りを覚えたらしい。


現在は普通に教師の不祥事がニュースに上がるけれど、昔は確かに聖域のように守られていましたね。学校もずいぶん変わり、兎跳びなんてとんでもない、運動の際、水を飲むとバテるからダメだ。なんてもはや過去のこと、給食にハラールフード提供やジェンダーフリー対応も当たり前、なんて時代だ。当時、常識が変わるなんて思いもしなかったけれど、長い時を経ると変化はあるものですね。。

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