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板橋区民、惑う。

1980

 たまに天気がいいとムシ暑いですね〜


前回、マスコミ関係に資料を貸す際の対応について愚痴を書いた。すでに過去4〜5回は書いていることで、我ながらいい加減しつこいなあと反省したりもする。

いま、練馬区役所からも成増飛行場の写真借り出しを依頼されているけれど、役所の場合は、貸すに当たってもいろいろ書類のやりとりがあり、それはそれで面倒だけれど、安心感がある。

写真や資料を役所から借りる場合は、担当部署に出向き、いろいろ書類に書き込みハンコを押して提出しなくてはならない。例えば板橋区の公文書館では個人ブログに使用したい場合でも貸してもらえるけれど、赤塚郷からわざわざ板橋本町まで出向かなければならないので、よほどのことがなければ借りたいとは思わないのも本音である。

さて、今回練馬区に貸す写真について、いくつかキャプションを求められた。送られてきたリストを見て過去に貸した写真のキャプションも見直してみると、これは間違いではないか、というものがいくつかあった。校正は不思議なもので、どうしてこんな間違いをしていたのだろうと後になって気がつくことがままあるのだ。

貸して欲しいリストの中に、47戦隊の二式戦が集合で写っている写真があった。板橋区民も一番好きなカットの一つである。それは、47戦隊整備中隊長だった刈谷正意中尉が撮影した写真で、帝都防空へのあふれんばかりの闘志を感じさせる素晴らしいショットだ。

昔、赤塚の東上線線路近くの刈谷さんご自宅書斎にて、この写真のオリジナルプリントを見せられながら、「これは調布飛行場から成増に移動するときに、私が飛行機を並べさせて撮ったんだ。」とお聞きしていた。だから、この写真は刈谷さんがおっしゃった通りの解説をずっとしてきた。

しかしである。

板橋区民には(勝手に)師と仰ぐ、戦史家の渡辺洋二氏がおり、昔からご著作を愛読してきた。その中に、軍航空に関する執筆に専念してまもなく関わられた「記録写真集 日本防空戦 陸軍編 1980年刊行」という本がある。この本の表紙こそ、先に紹介した、刈谷さんが撮影した47戦隊の勇姿が使われているのだ。

本文にも載るこの写真には、こんなキャプションが付けられている。(一部抜粋)

「ズラリとならんだ47戦隊第3中隊の2式戦2型甲・鍾馗 昭和19年初めの成増飛行場での撮影。〜以下略」

キャプションには、「成増飛行場で撮影。」と解説されており、板橋区民が刈谷さんから聞いた話とは違うのである。刈谷さんは”調布飛行場で撮影した。”とおっしゃっていた。う〜ん、どちらが正しいのだろう‥
実は、この本は刈谷さんが亡くなられてから古本で入手したもので、お会いしたときにはこのキャプションの違いについては知らなかったのである。だから、もはや真相をお聞きすることは叶わず、今持って不明なのだ。

状況的には、渡辺氏が刈谷さんに直接インタビューしたのは1970年代で、当時、刈谷さんは60歳前後であった。このころ、神田にあった交通博物館へ、終戦時に記念に取り外した4式戦のメーターなどの部品を寄贈している。

板橋区民が刈谷さんにお会いしたのは80歳くらいのころで、記憶にいささかの不足が生じていたことは考えられなくもない。日本防空戦の本には、他に、調布飛行場で同じように刈谷さんが仕切って並べさせた47中隊時代の2式戦集合写真が載っており、それと混同した可能性も考えられる。

このように、決定的な事が判断できない写真を検証するのはとても難しい。これは、オカルト的なことかもしれないけれど、たびたび例に出す、板橋区や練馬区で使用されている「終戦直後の成増飛行場で撮影された写真」と紹介される、胴体だけとなった戦闘機の機体が真ん中にころがる写真がある。

板橋区民の尊敬する、調布飛行場を研究している方によれば、ころがっている機体は3式戦のものであり、調布飛行場で撮影されたものである。と断言されている。調布と成増は所属する司令団が同じで頻繁に連絡機が行き来していた。だから、成増に3式戦の残骸があってもおかしくはないのでは?とも言えるのだが、調布飛行場の写真を何種類も見ている研究者の目には”直感で”調布と映るのだそうである。

ということで、曲がりなりにも何枚も成増の写真を見て来ている板橋区民の目にも、これは成増飛行場で撮影された写真なのだろう‥と惑いながらも思う近頃なのである。

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