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2018年6月

板橋区民、自衛する。

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 本日から6月。一年も半分が過ぎましたがいかがお過ごしでしょうか。

今月、板橋区民(赤塚郷民)が愛用してきた場所が2つ消えてしまう。

ひとつは赤塚新町にある「おふろの王様 光が丘店」、そしてもうひとつは東武練馬駅近くにあるスーパー「みらべる」だ。

おふろの王様は19年間、みらべるはその前にあった三徳時代と重なりいつから始まったのか定かではないけれど、たしか旧板橋サティが開業した頃に変わったと記憶する。三徳は当時板橋区内としては高級スーパーで、サティ開業で確実に打撃を受けることから戦略上撤退したのだろう。その後に来たみらべるは、サティとは別の激安スーパー路線で、気軽に店に立ち寄れる店構えとドンキぽい商品の陳列法で客を獲得してきた。

スーパー「みらべる」はチェーン展開していて、板橋区内に5店舗、あとは巣鴨や練馬区、北区、南浦和に計11店舗がある。今月、同時に志村店も閉店してしまい、板橋区内は3店舗となってしまう。我が赤塚郷にはもう1店舗、下赤塚店があり、東武練馬店がなくなったらそちらへ行けば良いのだが、みらべるはチェーンではあるけれど、地域密着型独立店舗の一面があり、品揃えやセール品の設定は店ごとに違う。

東武練馬店は2月までポイントカードがあり、特徴としては乳製品類の安売りが充実していた。なかでも毎週土曜市では明治ブルガリアヨーグルト(400g)が1個105円で販売され、長年、板橋区民の必須食品として買い求めてきた。

しかしである。

下赤塚店はたまごの88円セールはあるが明治ブルガリアヨーグルトのセールはないのである。これは困った。俯瞰して考えればライフで買うのとは数十円の違いしかないのであるが、一度安売りに慣れるとなかなか手が出なくなるものなのだ。今、PBブランドとして100円ほどで売られている製品をいくつか試したが、感覚がまったく違う。

どうしよう。

そこで、amazonセールで目にしたヨーグルトメーカーを購入してみた。一定の温度を一定の時間保温できる機能しかないのでとても安い。よし、これでクローンヨーグルトを生産しよう。1リットルの牛乳パックがすっぽり入り、一度に1000gのヨーグルトができる計算だ。

牛乳は成分無調整のものを使用し、タネとして最低50gの市販ヨーグルトを使う。今回は、あの、憧れの明治R-1ヨーグルトを使ってクローン作りをしてみた。R-1は乳酸菌の種類を表していて、EPS(多糖体)を作りだしてくれる乳酸菌であり、ESPはインフルエンザウイルスや風邪ウイルス、がん細胞等と戦い体の免疫力を上げてくれるNK細胞(ナチュラルキラー細胞)を活性化してくれると言う、スーパーヨーグルトなのだ。

そのため値段が高く、1個100ミリリットルで130円もする高級品で、1日1本消費すると1ヶ月で4000円はかかる。もはやグレーンモルトのウイスキー並みのコストで、板橋庶民には高嶺の花であり、ハレの日でなければおいそれと手が出ない代物であった。しかし、ヨーグルトメーカーを使用すればその1個が10倍に増えるのである。

それでは早速、仕込みをしよう。

ライフで購入した格安PB牛乳を用意。牛乳が冷えたままだとタネヨーグルトと混ぜて発酵させる時に初動が遅れるのでレンジで少し加温する。加温してタネをよく混ぜたら装置に入れタイマーを入れて放っておく。40度で8時間が目安だ。


ZZZZZZZZZZZ‥


8時間後、装置から取り出すと、おお、ジェネリック・R-1ができていた。うん、味もなかなかだ。牛乳と混ざりやすいようにドリンクタイプを使用したがちゃんと固まっていた。注意すべき点は、雑菌が混ざるとうまく出来上がらない点で、混ぜるときのスティックなどは熱湯消毒をしなくてはならない。タネはクローンからでも何度か再生できるとのことだけれど、あまり繰り返すのは良くないそうだ。おそらく、古いタネは雑菌が発生したり乳酸菌の疲労から劣化するのだろう。

よし、これで、みらべる閉店の準備はできたぞ。

‥でも、よく考えてみたら、ちょっとお高くなるが今まで通り明治ブルガリアを2個買うのと経費は変わらんのじゃないだろうか?


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板橋区民、夏を感じる。

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 梅雨ですね〜ムシムシジメジメいやですね〜。てなことで扉写真だけでもスカッとした気分を。


と、前回からだいぶ間が空いてしまいました。


今の時期、真夏に多くなる戦争関連の展示やテレビ番組関連やらで、戦時中の写真や資料を求められることが多くなる。そんな依頼がくると、ああ、夏はもうすぐなのだな、と感じる次第である。

資料類は自分の手元で門外秘にしててもしょうがないので、企画に賛同できれば可能な限り応対する方針でいるけれど、個人の所有物は、役所や機関や企業とは違ってどうしても扱いが軽くなり、とくにマスメディア対応は効率が重視されるのもあり、電話一本、メールひとつで依頼が来て、「じゃあデータをメール添付で送ってください。」で済まされてしまう場合が多い。もちろん相手から対価について提示されることはなく、提供してくれることを前提で依頼をされる。

‥どうも釈然としない。

あなた方にとってはワンオブゼムだが、こちらにとっては一つ一つが思い入れの深い資料なのだ。て言うか、それらの物は板橋区民が電話やメール一本で入手したものではない。時間と労力と根性と金をかけて収集してきた大切な代物なんやで!ということを特に若い方々にはわかっていただきたい。

「じゃあどうすればいいんですか?」「使用料一回いちまんえんください。」「えっ、お金かかるんですか、では結構です。」

それでいいのかどうか。。


最近、成増飛行場など戦争に関わる記事をUPしていないのはわかっております。ただし、今月は成増飛行場でこんなことがあったな、とか、今日は板橋区内が空襲された日だな、とかはいつも気にしている。先日10日は、旧上板橋村地域が被害を受けた空襲のあった日だ。常盤台南口の平和地蔵ではお祀りが行われたことと思います。

6月10日の空襲については過去に記事にしたこともあるし、「常盤台 空襲」とググればその記事はウエブ検索の上の方に出てくる。伝統芸能のように、同じことを何度も繰り返しUPするのも意味はあると思うけれど、それじゃあきられるしなあ‥とおもったりもする。

昔のことは、その時代を直接知っている方に取材できない状況になると、ソースが細り新たなネタが発掘できにくくなる。一次資料などは、時間が経たないと公開されなかったりするし、公開されていることに気がつかないといけない。

しかし、過去に拾ったネタでもその時は気がつかなかったけれど、改めて見直してみると、あれ、こんなことがあったんだっけ、なんてショックを受けることもよくありますので、成増露頭ではなく自宅の資料も発掘してみるよう精進いたします。


なんて、久しぶりの記事なんですがあまり中身がないので、「いたばし大交通展」の先行情報でも。

都営三田線についての講演会講師が決まりました。その道の大御所同士による対談形式で行われます。他、開催初日翌日には、お子さまも大きなお友だちも喜ぶ様々な催しが行われる予定です。

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板橋区民、惑う。

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 たまに天気がいいとムシ暑いですね〜


前回、マスコミ関係に資料を貸す際の対応について愚痴を書いた。すでに過去4〜5回は書いていることで、我ながらいい加減しつこいなあと反省したりもする。

いま、練馬区役所からも成増飛行場の写真借り出しを依頼されているけれど、役所の場合は、貸すに当たってもいろいろ書類のやりとりがあり、それはそれで面倒だけれど、安心感がある。

写真や資料を役所から借りる場合は、担当部署に出向き、いろいろ書類に書き込みハンコを押して提出しなくてはならない。例えば板橋区の公文書館では個人ブログに使用したい場合でも貸してもらえるけれど、赤塚郷からわざわざ板橋本町まで出向かなければならないので、よほどのことがなければ借りたいとは思わないのも本音である。

さて、今回練馬区に貸す写真について、いくつかキャプションを求められた。送られてきたリストを見て過去に貸した写真のキャプションも見直してみると、これは間違いではないか、というものがいくつかあった。校正は不思議なもので、どうしてこんな間違いをしていたのだろうと後になって気がつくことがままあるのだ。

貸して欲しいリストの中に、47戦隊の二式戦が集合で写っている写真があった。板橋区民も一番好きなカットの一つである。それは、47戦隊整備中隊長だった刈谷正意中尉が撮影した写真で、帝都防空へのあふれんばかりの闘志を感じさせる素晴らしいショットだ。

昔、赤塚の東上線線路近くの刈谷さんご自宅書斎にて、この写真のオリジナルプリントを見せられながら、「これは調布飛行場から成増に移動するときに、私が飛行機を並べさせて撮ったんだ。」とお聞きしていた。だから、この写真は刈谷さんがおっしゃった通りの解説をずっとしてきた。

しかしである。

板橋区民には(勝手に)師と仰ぐ、戦史家の渡辺洋二氏がおり、昔からご著作を愛読してきた。その中に、軍航空に関する執筆に専念してまもなく関わられた「記録写真集 日本防空戦 陸軍編 1980年刊行」という本がある。この本の表紙こそ、先に紹介した、刈谷さんが撮影した47戦隊の勇姿が使われているのだ。

本文にも載るこの写真には、こんなキャプションが付けられている。(一部抜粋)

「ズラリとならんだ47戦隊第3中隊の2式戦2型甲・鍾馗 昭和19年初めの成増飛行場での撮影。〜以下略」

キャプションには、「成増飛行場で撮影。」と解説されており、板橋区民が刈谷さんから聞いた話とは違うのである。刈谷さんは”調布飛行場で撮影した。”とおっしゃっていた。う〜ん、どちらが正しいのだろう‥
実は、この本は刈谷さんが亡くなられてから古本で入手したもので、お会いしたときにはこのキャプションの違いについては知らなかったのである。だから、もはや真相をお聞きすることは叶わず、今持って不明なのだ。

状況的には、渡辺氏が刈谷さんに直接インタビューしたのは1970年代で、当時、刈谷さんは60歳前後であった。このころ、神田にあった交通博物館へ、終戦時に記念に取り外した4式戦のメーターなどの部品を寄贈している。

板橋区民が刈谷さんにお会いしたのは80歳くらいのころで、記憶にいささかの不足が生じていたことは考えられなくもない。日本防空戦の本には、他に、調布飛行場で同じように刈谷さんが仕切って並べさせた47中隊時代の2式戦集合写真が載っており、それと混同した可能性も考えられる。

このように、決定的な事が判断できない写真を検証するのはとても難しい。これは、オカルト的なことかもしれないけれど、たびたび例に出す、板橋区や練馬区で使用されている「終戦直後の成増飛行場で撮影された写真」と紹介される、胴体だけとなった戦闘機の機体が真ん中にころがる写真がある。

板橋区民の尊敬する、調布飛行場を研究している方によれば、ころがっている機体は3式戦のものであり、調布飛行場で撮影されたものである。と断言されている。調布と成増は所属する司令団が同じで頻繁に連絡機が行き来していた。だから、成増に3式戦の残骸があってもおかしくはないのでは?とも言えるのだが、調布飛行場の写真を何種類も見ている研究者の目には”直感で”調布と映るのだそうである。

ということで、曲がりなりにも何枚も成増の写真を見て来ている板橋区民の目にも、これは成増飛行場で撮影された写真なのだろう‥と惑いながらも思う近頃なのである。

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板橋区民、我は行く。2018.初夏



梅雨の晴れ間の猛暑の日、我が赤塚郷のスーパー銭湯である「おふろの王様」を訪れた。


「おふろの王様 光が丘店」は今週を持って、20年の歴史に幕を閉じる。見た目には利用客も多く、残念な思いを抱く人もたくさんいるだろう。少し早いが板橋区民は今日の利用で最後となる。長い間、お世話になりました。。


おふろの王様でスッキリした後、板橋区民はアウェーの地、渋谷に向かった。目的地は文化村オーチャードホール。昨年秋?にも来ましたっけ。


今回もファン歴40数年の谷村新司コンサートである。ホントは予定になかったのだが、急に行けなくなった方から安く券を譲ってもらい、代わりに参戦したのだ。


今回、なかなか良い席である。


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ということで午後9時コンサート終了。


いや〜素晴らしかった。
今夜のスペシャルゲストは平原綾香嬢であったが、さらに度肝を抜く超スペシャルな方が降臨された。

第1部が終わり、休息を挟んで第2部が始まる直前のこと、なんだか会場の空気が突然変わった。と、2階バルコニー席の扉が開くと、なんとそこには天皇皇后両陛下のお姿が‼︎

会場一気にオールスタンディングで拍手の嵐。両陛下もそれに答え手を振ること5分以上は鳴り止まなかった。
ステージより近いところに両陛下が‥ガラス越しでないお2人の姿を拝見するのは初めてだ。

来年ご退位されるということで、こんな僥倖はこの先ないだろう。
その後、コンサート最後まで臨席され、ラストのサライはまさかの両陛下ご一緒の大合唱で終わった。うーん凄すぎる。アウェーの地まで出向いて良かった!

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板橋区民、会いに行く。埼玉へ。

今日も暑いですねー


ということで、いま埼玉スーパーアリーナにいる。かつてジョンレノンミュージアムがオープンしたとき以来だから何年ぶりだろうか‥


さて本日の目的は‥小田和正のコンサートである。3年くらい前の横浜アリーナが最後だったかな。


玉アリで見るコンサートは初めてだ。席からの眺めはこんな感じだ。レベル200なのでそんなに悪くないかと思っていたが、うーんやっぱり遠い。でも花道全体が見渡せるから良いかな。


しかし小田さんは凄い。板橋区民が中高生の頃からメジャーだった。オン年71歳!区民の父親が亡くなった年齢と同じだ。日大板橋病院のベッドに横たわる姿は老人そのものであったが、小田さんは2万人を超える観客の前で、歌い、走り回るのだ。
この差は一体なんなんだろう?果たしてその年齢の時、自分はどうなんだろう。。そんな思いを持ちながら、コンサート開始を待つのである。



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午後9時半終了、最初の曲「会いに行く」からラストの「また会える日まで」と、一気に駆け抜けた素晴らしいコンサートでした。

それにしても3時間、歌って走って歌っていきなりピアノ曲、また走って歌って風船ボール蹴飛ばして、、小田さんは本当に71歳なのかと奇跡を目の当たりにしたようだ。ホント超人デス。

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板橋区民、茫然自失となる。




我が赤塚郷は梅雨が明けたんですかね?小田和正コンサートの後、東京から離れたので情報がわからないのだ。

ということで今は栃木県さくら市の喜連川早乙女温泉にいる。確か2、3年前にも訪れたのだが、あの素晴らしい泉質が忘れられず再訪したのだ。

泉質は含む硫黄ナトリウムカルシウム塩化物泉で、微かに石油の匂いのする、薄い緑色の白濁した美しいお湯だ。北関東ではトップクラスじゃないだろうかと思います。しばし湯に浸かり、茫然自失状態を愉しんだ。

館内には昨年の温泉雑誌のコピーが貼ってあり、早乙女温泉は全国5位!とランキングされていた。(1位は大分の長湯温泉)だが、なんと3位に我が板橋区のさやの湯が堂々のランクインしていて、なんだか複雑な気分である。。

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