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2018年5月

板橋区民、G.W.にプチ遠出する。

G.W.後半、いかがおすごしでしょうか?



板橋区民は基本的にG.W期間は遠出しませんが、プチ遠出してみました。今は道の駅おかべで休憩してます。

さて、何故に岡部か?


で、たどり着いたのは高島秋帆先生幽囚の地、岡部陣屋跡である。徳丸原洋式砲術調練の一年後、目付の鳥居耀蔵の諫言により逮捕され、この地にあった岡部陣屋の一角に幽囚されてしまったのだ。



跡地の周りは畑地に囲まれた長閑な場所だ。先祖代々、長崎乙名を務め、西洋流砲術の先駆者として全国に名を広め意気揚々としていた矢先の幽囚生活。その時の秋帆先生の落胆はいかばかりか、地図や写真上ではなく、その地に立って思えば、感慨は深い。



感慨にふけっていると、腹が、減ってきた。
陣屋跡から移動し、やって来たのはスイーツパラダイス"花園フォレスト"
甘党にはたまらない場所だ。ここはパンも有名で、惣菜パンは一律108円!で提供されているのだ。


それでは早速、いただきマス!

よし、お昼も食べたし次はスイーツだ!と思ったが、いやいや慌ててはいかん。ここから荒川を渡ったところに、新たなパラダイスがあるじゃないか。



で、やって来たのは埼玉プレシア工場直販アウトレット!
コンビニスイーツ激安の直販所だ。いざ、突撃!


スイーツの訪れたのは吉見百穴だ。幼稚園の頃以来と思う。ここに来たのは目的があるからだ。


その目的とは、戦時中、吉見百穴には中島飛行機の軍需工場があったからだ。



中は工場だけあって結構広い。この工場建設の為、いくつかの穴が破壊されてしまったのだそうだ。


ここで五家宝を頂く。甘いもの食べ過ぎや。


そしてお次は吉見百穴の入り口近くにある、あの岩窟ホテルへ。崩落の危険があるので立ち入りは禁止だ。


岩窟ホテルの対面には、ホテルを造った一族の方が経営する休憩処がある。その名も「岩窟売店」。興味を持つ人は結構いそうな気がするので、なんとか整備して見学できるようにならないかなあ‥




以上で本日のミッションは終了です。








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板橋区民、貪る。〜ストロベリーフィールズフォーエバー〜

連日、天気が良いですね。板橋区民は、今日も出かけております。


やって来たのは「しびらきファームいちご屋」さん。新大宮バイパス、彩湖近くにある去年からオープンしたいちご狩り農園だ。


午前10時、30分食べ放題開始!もうシーズン最後で実は小さいのばかりと伺っていたが、甘くて美味しい!

たった30分かよ、と思ったけどいやいやどうして、15分くらいモグモグしてたら腹が膨れてきた。

オンシーズンは2月で、子供の手のひらくらいの苺がたわわに実るのだそうだ。

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☆祝!ベビーロコ号、ときわ台駅展示60周年。☆

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 皆様方、G.W.はいかがお過ごしでしたでしょうか。


ときわ台駅舎リニューアル工事で思い出しましたが、当ブログ初期のころの記事で、かつて駅構内の線路脇に展示されていた蒸気機関車、”ベビーロコ”について書いたことがあります。冒頭の写真は、その記事にUPした1969年に撮影された写真で、ホームから写したものと思われます。

確かその時の記事では、ベビーロコは昭和50年代にときわ台駅から他所へ移動したとか車体が防錆処理のためウグイス色に塗られていたとか書いた覚えがありますが、それは全くの記憶違いでございました。。申し訳ございません(泣)。

ベビーロコがときわ台駅から撤去されたのは、写真の撮られた1969年の暮れ、12月19日のことでした。当時、城北交通公園建設が計画され、その際、板橋区より請われて修復工事が施されたのち、完成した公園へ移動しました。
(先ほど、車体がウグイス色に塗られていた記憶があったと書きましたが、どうもそんな印象が今でも残っていて、もしかすると移動する際に施していたのかもしれません。)

ベビーロコは、終戦間もないころ、和歌山の有田鉄道(2002年12月31日廃線)から東武鉄道の機関車と交換されて東上線へやってきましたが、使用されることはなく池袋駅南口で展示されていました。有田鉄道が開業したのは東上線開業の翌年で、ベビーロコはその第1号機関車として活躍していました。

その後、東武デパート建設が決まり、そのため今からちょうど60年前の1958年7月、ときわ台駅へ再移動したのでした。
ベビーロコの車体には、車番「1」が付いていたため、展示された機関車を見た人々は東上線の機関車1号と勘違いをし、いつしかそれが広まってしまいました。車番「1」は、有田鉄道時代からのものですのでくれぐれもお間違えなく。

現在は蓮根駅近く、坂下の城北公園内にD51や昔の都バスとともに展示されており、昨年にはリニューアルが施され、ピカピカの状態で板橋区民の方々の来園を待っております。

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板橋区民、10万年前の壁に挑む。〜サワガニとカルガモに癒されながら〜

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 フレンチレストランのメニューのような記事タイトルになったのは、先日、30年来の友人と五反田でディナーをしたせいかもしれない。


おかげさまで、たまに当ブログ宛に記事内容についての問い合わせをいただく場合がある。かつて、板橋区民が子供の頃、我が赤塚郷で貝化石の収集をしていたことに何度か触れたことがあったけれど、その記事が縁となって実現したプロジェクトが今回の出来事である。

貝化石の露出場所については、現在でも定期的にいくつかのポイントをパトロールしている。しかし、いずれもマンション建設などで消えていく運命にあり、その度にせめて短時間でも調べられないかと気を揉んでいた。

今回は自分がチェックしていたポイントではないけれど、いろいろな巡り合わせに恵まれ、調査の末端に加えていただけることになった。

調査地点は、板橋区立美術館の対面で行われているマンション建設現場だ。調査チームは、文科省のK氏、板橋区の文化財係H氏、郷土資料館I氏、そして板橋区民の4人である。

最初に当記事にアクセスをいただいたのはK氏で、氏は基本的に東京で出土する貝化石について研究をしておられ、特に”トウキョウホタテガイ”の収集研究に熱心なのだそうだ。板橋区内での出土例は仲宿あたりで見つかっている他は確認されておらず、生息範囲を確認するための調査の機会を伺っていたのであった。

板橋区の文化財関係の諸氏も地学や地層に仕事を超えた興味がおありで、各人の思惑が一致してのプロジェクトチームである。板橋区民も子供の頃の気持ちのまま参加を願い出たが、基礎知識からして浅学の身なので苦力としての参加であった。

現場は赤塚中央通りの松月院から荒川へ向かう道の延長上にあり、谷状になっていることから、以前は川が流れ削られた土地であることがわかる。調査地点は道路より若干上の地点で、海抜的にあの有名な「成増露頭」の下部と同じくらいと想定され、貝化石の痕跡が見つかるとの期待があった。

地上から1.6メートルくらいの所に礫層が認められ、そこから地下水が幾筋も流れ、あたりはグチャグチャである。足を踏み入れると場所によっては膝くらいまで埋まり、足が抜けなくなってしまう。久しぶりに底なし沼気分を味わった。

礫層は東京礫層(成増礫層)と呼ばれる地点で、この下部が「東京層」を形成しており、いわば古代の東京湾の層である。東京礫層に埋まり始めたのが10万年前で、この部分にてナウマン象の化石が見つかるらしい。我が板橋区でも加賀あたりで発見されてますね。

貝の化石が見つかるのもそのあたりなので、早速、壁に取り付き、泥にまみれながら円匙や移植や手ガリなどで削って行く。壁面を綺麗に削ると、”生痕”が認められた。これは、海底に住み穴を掘って暮らす動物の活動痕で、無数に存在していた。

泥土に足を取られながら円匙でガンガン削っていると、上の方から転げ落ちてきた物があった。なんだこれは?と拾い上げると、それは何とサワガニであった。
”板橋区でサワガニ?”ほとんど聞いたことはないかもしれないが、板橋区民が子供のころ、徳丸の鷹番の坂の崖線の水が湧いていた所に、サワガニが生息していたのを見たことがあった。それ以来、何十年かぶりの遭遇だ。まさに”生きとったんか、ワレ”という感じだ。(その後ネットで調べると、区内でサワガニの生息確認を記事にしておられる方がいたので、いくつかポイントがあるのだろう。)

一時、サワガニで和んだのち、また苦力作業へと戻る。成増露頭では大量の貝化石が認められていたが、ここの地点ではなかなか出てこない。ようやく小さな欠片(貝そのものでは無く土に圧着された貝殻の模様痕。)が確認できたところでタイムアウト。

調査はマンション工事中を無理を言ってお願いしたのであまり時間がなく、これまでとなった。貝殻痕の出土した範囲をサンプルとして切り出し、今回の発掘作業は終わった。詳細な分析結果は専門家であるK氏の分析待ちで、ただの苦力であった板橋区民に語るすべはありませんので悪しからず。ガマンできない方は、板橋区立郷土資料館でこの春に行われていた特別展、「水のゆくえ」の図録を買いましょう。成増露頭など詳細な解説が載っているので大変勉強になります。


肉体労働後の全身泥だらけになった体を引きずり、ため池公園にさしかかると、おお、今年もかるがもの親子が元気に泳いでいるじゃありませんか。思わず疲労も安らぐ景色ではありました。

徳丸には、まだ板橋区民の見つけた有望な場所が残っており、そこの発掘が叶うことを今後に期待したい。

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☆祝!ニュー・ときわ台駅誕生!☆

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 梅雨の走りですかな。

平成30年5月30日、東武東上線のときわ台駅舎がリニューアルし、始発より使用が開始された。

新駅舎の誕生日、何かオープニングイベントでもやるのかなあと思っていたけど、ひっそりと開業したようだ。もっとも、まだ工事は完成しておらず、今まで使用されていた改札口は解体され、跡地に駅ビルが建設される予定だ。おそらくその完成のあかつきには何がしかのイベントがあるのだろうか。

いや〜それにしても、ライト風にインスパイアされたモダンな外観といい、瓦風屋根と大谷石のコントラストといい、パステル調の色彩もマッチしていて凄く良い。都内でもこれだけモダンな駅舎は山手線の原宿駅くらいしかないだろう。(原宿駅は近々に建て替えが行われるようだ。)

駅名表示の看板もレトロな感じで素晴らしい。今後、映画やドラマのロケ地として使われるのは間違いないだろう。駅舎の東側の壁面には「武蔵常磐小径」と命名された、ときわ台駅と常盤台住宅地の歴史を映すパネルが展示されている。

一ヶ月ほど前、某所から板橋区民所蔵の常盤台住宅関連資料提供を求められたが、その資料の一部も掲示されており、新駅舎誕生のお祝いに花を添えることができたようだ。


板橋区民も爪痕を残せたからか、新駅舎誕生をだいぶ褒めちぎってしまったけれど、これから出来る駅ビルも含めての景観がどうなるのかが気になるところだ。普段、ときわ台駅を使用しない方々も、一度訪れて見学されることをお勧めする。

この秋に板橋区立郷土資料館で始まる特別企画展「いたばしの大交通展」にて、あの大物レジェンドな方の講演会開催が決まったようなので、お楽しみに。


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