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さらば、国産モノクロフィルム。〜それは板橋区から始まった〜

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 今日は昼過ぎまで練馬自衛隊の創立イベントに行ってました。相変わらずの人出でしたが、映画「シン・ゴジラ」以降、ますます来場者が増えたような気がします。練馬が首都防衛の根拠地ということが周知されたからですかね。


先週末、ちょっとショックなニュースが飛び込んできた。富士フィルムがモノクロフィルムの生産を終了すると言う。ニュースをまとめるとこんな経過があったようだ。


富士フイルムは6日、白黒写真用のフィルムと印画紙の製造・販売を終了すると発表した。

同社は1934年1月に設立。同年2月から白黒用の印画紙など写真感光材料の製造・販売を開始し、カラー写真が普及する1970年代まで主力商品として同社を支えてきた。しかし、カラー写真の普及やデジタル化に伴い、最盛期だった65年ごろの1%程度まで出荷量が減っていた。同社では、コスト削減などを進めたものの、採算がとれず安定的な供給が困難となったことから、製造・販売を終えることにした。
製造は既に終了しており、フィルムは今年10月、印画紙は種類別に今年10月から2020年3月までの間に順次、出荷を終了する予定。


富士フィルムの撤退により、80年余りに及ぶ国産のモノクロフィルムの歴史は終わりを告げる。モノクロフィルムでの「撮影」ー「現像」ー「紙焼きプリント」に過去親しんできた人間にとっては非常に感慨深いものだ。無くなるのはフィルムだけではなく、現像に関わるものがすべて消え去るわけで、映像表現の一つの世界が丸ごと消滅するのである。

現実的にはそれに変わる技術があり、すでに必要性のないものとなってしまったから滅びるわけで、先日記事にしたように、フィルム自体もその構造的宿命により永遠に残るものではないから、いつかはこんな日が来るのはしかたがないのだけれど、そんな日がとうとう来てしまったか、という感慨が胸をつく。

あまり知られていないが、日本における写真フィルムの歴史は、実は板橋区から始まっている。

小豆沢体育館近く、環八のセブンタウンの横にある大きな集合住宅地内に、「純国産写真フィルム発祥の地」と彫りこまれた記念碑が建っている(置かれている?)のをご存知だろうか。

この小豆沢一帯には以前、大日本セルロイド(株)(現ダイセル化学工業)の巨大工場があった。1928年(昭和3年)に工場の敷地内に「写真フィルム試験工場」をつくり、セルロイドを利用して写真用のロールフィルムを製造する部門を設け、研究を開始した。

そして1931年(昭和6年)、神奈川県足柄郡南足柄村にフィルム工場を建設し、主要機械を欧米から輸入して、写真フィルム製造に乗り出した。この足柄工場は1934年(昭和9年)に別会社として独立し、現在の富士写真フィルム株式会社となった。フィルムベースから一貫して生産したのは富士フィルムが初めてであり、小豆沢の地は、まさに純国産フィルム発祥の地なのである。

これを記念して建てられたモニュメントが、「純国産写真フィルム発祥の地」の碑で、卵が孵化する直前の姿をイメージしたものなのだそうだ。

板橋区民が高校生の頃より親しくしていた東武練馬の写真屋の親父さんは、暗室で現像中、黒の締まりが悪いと現像液中にハイドロキノンなどの薬剤を足していた。凝り性の人などは薬品の調合を自分流にアレンジし、独自の現像液を作ったりもしていた。古い人は処方箋に従い、いくつかの薬品を使って現像液などを調合していたのだ。ちなみにその親父さんは戦時中、ソ満国境の偵察部隊にいて、敵陣地を撮影した写真を、戦場に設営した暗室テント内で現像していたのだそうだ。

このように、現像は専用品がなくなっても大丈夫だけれど、フィルム自体がなくなってしまっては元も子もない。今後、モノクロ写真を行おうとするならば、もっと時代を戻してガラス乾板にしなきゃいけなくなりますね。(もっとも、海外製のモノクロフィルムはまだ存続するのでモノクロ自体が無くなるわけではありませんが。)

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