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板橋区民、久しぶりに収集品を前に語る。〜祝!いたばし大交通展開催〜

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 ヒノキ花粉症が治りません‥


先日、ぎょうざの満洲へ行こうと下赤塚駅北口を通りかかると目の前をヒュッと横切る影があった。おお、ツバメ君じゃないか。東京都内ではツバメの飛来が激減しているとニュースで見たけれど、下赤塚駅のツバメ君は毎年やって来てくれる。

お忘れかと思われるが、板橋区民は収集家である。板橋区に関する物は、数え方にもよるが数千点はあると思う。

この秋、板橋区立郷土資料館では「いたばしの大交通展」が開催されるので、その露払いとして当ブログでは交通関係の記事を優先的にUPしている。

板橋区内で一番親しい公共交通機関といえば、国際興業バスだろう。(都バスも東武バスも西武バスもりんりん号も走ってますが。)国際興業バスは、戦前からある東都乗合自動車を母体として、昭和20年代半ばから板橋区内を縦横に結ぶ路線として営業している。(強引な書き方ですがまた別の記事で触れます。)

板橋区民の収集品の中には国際興業の古いバス停が70点ほどあり、板橋区内の地域はだいたい網羅している。現在は液晶表示型バス停もあるし、こんな戦前からあるような金属の円板型をしたバス停は、もはや30代の方でも見覚えはあまりないだろう。記録を取っていないので曖昧だけれど、金属製のバス停は、昭和の終わりころから急激に姿を消していったような気がする。

たくさんある国際興業バス路線の中で、現在でも一番花形なのは、成増駅ー赤羽駅を結ぶ路線ではないかと、独断と偏見を持って断言する。鉄道路線と被らず、板橋区を綺麗に東西に横切っており、朝から夜までひっきりなしに便があるので時刻表が必要ないくらいだ。

この路線が誕生したのが昭和33年。最初は下赤塚駅ー赤羽駅を結ぶ路線(赤01)だった。我が赤塚郷を東西に貫く幹線道路である「松月院通り」は、川越街道が拡張される時に合わせ昭和10年ころに拡幅された。下赤塚駅から松月院を結ぶ赤塚中央通りは昭和20年代に拡幅。しかし、松月院通りは我が母校、紅梅小学校までしか通じておらず、そこから南へ向かい、東武練馬駅まで続く徳丸中央通りとなっていた。

紅梅小学校より東へ向かう松月院通りは、昭和20年代後半に拡張工事が行われ、西台まで繋がった。モノクロの空中写真がその新たに拡張された部分だ。赤01系統のバスは、この整備された赤塚郷内の道を走ることになった路線なのである。成増駅からの便(赤02)が増設されたのはそれから数年後のことだ。

収集品の写真にある1区間30円時代のサボは、いつごろ使用されていたものだろうか。国際興業バスの路線変遷や歴史を解説したマニアサイトは存在していないようなので、周辺情報から探ってみるしかない。都営バスや私鉄系バスの料金変遷表を見ると、昭和30年代半ば〜40年代初期が20円、40年代前半〜後半が30円時代である。サボには”徳丸本町”の表記があり、松月院通り沿いの徳丸本町が住所変更されるのが昭和47年なので、その時代に使用されたものだとわかる。

そのころ、板橋区民は赤01の路線上を決死の思いで自転車を漕ぎ、赤羽にある山中模型店まで通っていた。ガードレールもろくにない、簡易舗装の埃舞うガタガタ道、ダンプカーがガンガン通り過ぎる隙を縫って走る地獄のロードだった。今から思えば、バスの子供料金なんてそれこそ小遣いでも乗れるような金額なんだからバスで行けよとおもうのだが、なんで子供の頃ってあんなバカなんだろう。。

残念ながら、この秋の展示では板橋区民の所蔵するバス資料はほとんど公開されることはないだろう。いつか、お目にかける機会が来ることを、気長に待つしかないですね。

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コメント

オークさん、お久しぶりです。
懐かしいバス停ですね。私は8歳位まで、「赤羽のおばあちゃん」の所に行くのに、紅梅小学校前に火の見櫓のあった辺りのバス停から、乗車した記憶があります。幼き頃の記憶でバス経路などわかりませんが、降りる停留所は、浮間だったようで、叔父と散歩に行くと、「浮間池」が近くにあった事を覚えています。今は車で付近を走行して、昔の記憶から「おばあちゃん」の家を探っても、目印の小学校の近くには、影も形もありません。
紅梅小学校前のバス停には、北野神社前の急坂を登り、神社の近くの牧場で牛を見るのが楽しみでした。

投稿: | 2018年4月15日 (日) 18時04分

>>コメントをありがとうございます。
私も最寄りのバス停は紅梅小学校前でした。写真よりも昔の時代は、赤い縁取りがなく広告も入らないシンプルな造作だったような気がします。火の見櫓は、先端部分のみ郷土資料館の入り口にあります。北野神社前の急坂(天神坂)は今でも急坂ですが雨が降るとドロドロで大変でしたね。近所に住んでいたちょっと風変わりなおじさんは、牧場で牛乳を分けてもらい飲んでおりました。

投稿: | 2018年4月16日 (月) 09時14分

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