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板橋区民、寶籤を買う。

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 規格外の暑さになる予報ですが、さすがに朝晩は涼しいので夏よりはマシですね。


今年1月、我が赤塚郷で億万長者が誕生した。下赤塚駅北口にある宝くじ売り場で、スポーツくじBIGの1等当選約4億円が出たのだ。
はたして当選者が赤塚郷住人なのかどうかは不明だが、人生が一変することは間違いない。

板橋区民は普段ほとんど宝くじを買うことはないけれど、この幸運に便乗したく、同売り場で何年ぶりかで購入し始めた。ただし、購入するのは1枚だけ。しかもジャンボのみ、一攫千金狙いである。

たった1枚だけ?それじゃあんまりにも確率が低くありませんか?意味あんの?‥そう思われるかもしれない。

しかしである。

たいていのジャンボくじは、1000万枚を1ロットとして発売される。ようするに、1等当選の確率は1/10000000だ。
じゃあ100枚買えば確率は1/100000になるのか?というと、そうはならない。確率が上がるためには、1ロット中の当選数が増えなくてはならず、1ロット中に1等が100枚なければそうならないのだ。

くじをたくさん買っても分母が減るだけ、100枚買うと1/9999900になるだけで、率にすると0.001%確率が高まるということなので、これではほとんど確率は変わらないと言っていい。たとえ10000枚買っても1/9990000。だから、1枚しか買わなくても良いのだ、という理屈だ。

今度は、宝くじ購入を人口で考えてみよう。統計では、1年間で宝くじを買う人は約5200万人いるという。そのうち、1000万円以上の高額当選者は約2万人に上るそうで、割ってみると1/2600となる。だいぶ、確率は高い。
この理屈を参考にすると、一度に枚数を買うよりも、買う宝くじの回数を増やしたほうが当たる可能性があるのだそうだ。

おっと、今回はそんな内容で書きたかったワケじゃないので仕切り直す。

忘れられているかもしれないが、板橋区民は収集家である。特に、板橋区最大の歴史上スター、高島秋帆先生の墨跡の収集では日本有数と自負している。

収集品は、軸、手紙、扇面、高島流奥義、扁額、等々およそ100点弱はあるかもしれない。その内、資料的に価値の高いもの、例えば、徳丸原調練に参加した者で秋帆先生や息子・浅五郎と親しい長崎人が寄せ書きした軸や、浅五郎が金沢藩の砲術指南で高島流の弟子に送った惜別の書、高島流門弟で後年、有坂ライフルで有名となる有坂氏が発行した西洋流奥義免状などは、板橋の郷土資料館に請われ収めてしまった。

最近、ようやく秋帆先生の六双屏風を手にいれた。先生最晩年のお作で、屏風の収集は初めてだ。一見高額そうに見えるけれど、その大きさゆえあまり人気がないので、わりとリーズナブルに購入できた。うわっ、届いてびっくり、ドアよりでかい。こんなん家に置いとけないので、今後どうしたものかと悩んでいる次第だ。

ところで、収集家の最大の悩みは、収蔵品の行く末である。

収集行為とは子供っぽい行動だけれど、どんな収集物でも途中で飽きたりやめたりせずに年月が経つと、なにがしかの意味を持つようになる。秋帆先生関連資料は、誕生した1798年から亡くなる1866年までの時代に生み出された物であり、それらの物がどんな経過をたどってきたのだろうか、長い年月を経て板橋区民の元に集まったのである。自分よりもはるか昔から存在しているそれらの品々を眺め、経過した歴史に思いを馳せると、とても感慨深い。

いったい、これらの収集品は次の時代へ、どのような形で世の中に伝わるのがベストなのか、そのことを常に考える。

最近のこと、板橋の資料館にはるばる長崎から訪ねてきた人がいたという。その方は高島秋帆研究家の方で、秋帆先生が長崎で最後に住んだ東小島にある邸宅”雨晴楼”の図面や瓦片を所蔵しているのだそうだ。

板橋区民は、2年前に長崎を旅し、高島家先祖伝来の墓地や、晴雨楼に足を運んだ。残念ながら晴雨楼の建物は原爆の被害により取り壊されてしまい、今は跡形もない。しかし、邸宅のあった土地は戦前から史跡に指定されているため、現在もほぼそのまま残っている。

その長崎の研究家がなぜわざわざ板橋区まで来たのかといえば、砲術の高島流と高島家に関しての資料収集と研究では日本で一番充実しているからに他ならないからだ。残念ながら、本拠地長崎では高島家への関心は低く、評価や顕彰もおざなりな状況だ。実際に現地へ行き、関係各所を訪ねても、がっかりするばかりである。

その一因となっているのが、勝海舟が高島秋帆を近代陸軍の祖として陸軍正史に権威付けたからだ。先の大戦以来、軍隊は否定と拒否をされ続けており、特に、原爆の惨禍に見舞われた長崎では、軍部により祭り上げられた高島家については消極的な位置におかれているのが現状だ。

今年は明治維新から150年、もう幕末期のことは歴史として正視してもいいんじゃないかと思うのですがねえ。。

ここで最初の話に戻りますが、もし、宝くじが当たったなら、その当選金で”雨晴楼”の跡地に建物を復元し、板橋区民の所蔵品も寄贈するのが、一番良い方法なのではないかと妄想したのである。そう思って宝くじを買い始めたのだ。


‥しかし、実際に当選して現ナマを目の前にしてその考えは変わらないかといえば、それは自信がナイ。。

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