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板橋区民、啓志線について振り返る。<2017年・エピソード1>

では、前回UPした啓志線の年表に基づき個別に解説をしますね。

その前に。

11月に行う講演会の準備のため、あらたに啓志線の情報を調べ直していたところ、夏に行われた某イベントにて趣味系の某サークルが、東上線の謎と題したミステリー本を発行していたことがわかった。早速、入手してみると、どこかで見た資料画像が‥。それは、春ころに当ブログの田面沢駅記事のコメント欄を通して情報を教えてくれた方が、田面沢駅の平面図の画像を提供するので、そちらの昭和26年の東上線ダイヤグラムの啓志線部分の複写画像を送ってくれませんかとのバーター取引の求めに応じて渡した画像だった。

ちょっと待て。確かにバーターしたが、こちらとしてはその画像をいくら自費出版でも公に販売する本に使用して良いと許諾したわけではない。そのサークルは資料担当と編集発行担当に分かれて調査を行っていて、こちらにコンタクトをしてきたのは資料担当であり、編集発行担当は資料担当が許可をもらったものと思っているのだろうかと忖度してみたが、それにしても、本を出した際にはせめてこんな本を出しましたよ、との一言を伝えて欲しかったと残念に思う。

ただ、その研究本はしっかりと調査をした上で書かれているので、こちらの調査結果と情報をすり合わせるのに役に立った。おかげで、手持ちの資料の中にあるが見落としていた情報の再確認をすることができ、この点ではありがたかった。

さて、そんな見落としていた資料から見つけた前・啓志線時代のトピックから。

S19

これは、10年ほど前に板橋区役所が発行した、かつて板橋区内に存在した軍施設に関する公文書類の調査をまとめた目録に載っている項目だ。この実地調査は15年くらい前に行っていて、実は、板橋区民も当時調査チームの一員として参加し、防衛省図書館に通い公文書を調べていた。調査報告書はそれから数年して出たもので、自分が担当した範囲には陸軍一造練馬倉庫の側線についての文書はなかったので、報告書も見ることはなくずっとほったらかしにしていたのだ。

それでは、上の画像の項目を読んでみましょう。


‥読みましたか?

そこには、昭和19年2月に行われた軍需に関する作業課長の合同会議上で、「練馬倉庫への物資輸送が逼迫したため、側線設置を企画した旨」が報告されたことが書かれていたのである。この公文書の現物は、近年ネット上で公開されており、「アジア歴史センター」のサイトを通じて閲覧することができる。

さらに。

S34

それでは上の画像を読んでみましょう。


‥読みましたか?

老眼の身には見辛い記事ですが、そこには重要なことが書いてあります。「昭和十九年四月、旧東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫製品輸送の目的で、陸軍の費用で当社が敷設したもの。」と記者(東武鉄道社員?)は書いています。

この「交通東武」紙の記事は、これも10年ほど前に、当時、神田にあった交通博物館の佐藤学芸員氏からいただいた、交通東武の縮刷本から終戦直後の東上線記事に関するものだけピックアップしてコピーして渡してくださった束の中に入っていたものだ。

これにより、先の公文書と合わせて検討すると、東上線上板橋駅から練馬倉庫まで開通したのは昭和19年(1944)4月と判断しても良いのではないか、と言えるのではないでしょうか。

さらに。

S22

それでは上の画像を読んでみましょう。


‥読みましたか?

先ほどの調査報告書の一部ですね。
これは、戦後昭和22年に提出された「返還物資放出許可申請の件」で、終戦まで練馬倉庫に残置され、戦後大蔵省の管轄となっていた軍事物資を放出することの許可申請、と思いますが、その項目の中に”30kレール5トン”とありますね。練馬倉庫にはレールが保管されていた。そう読めます。

さらに。

12

それでは上の画像を眺めてみましょう。


‥眺めましたか?

これは、練馬自衛隊の川越街道沿いの敷地内に築島様に建てられている「第一連隊忠魂碑」へ渡る橋の写真だ。
あれ?なんか橋の歩道部分にレールっぽいものが使われてますね。真ん中部分になにやら刻まれている記号があります。塗料が厚く塗られていて分かり辛いですがこう書いてあるようです。

「30 A マーク? 2604 OH |||」 この記号を読み取ると以下のことがわかります。

「30kレール A=ASCE(アメリカ土木学会規格/レールの断面の高さと底部の幅が等しいことを表す)  日本製鐵所(八幡製鐵)マーク 2604=皇紀2604年/昭和19年−1944年 OH=平炉を用いて整鋼した材料を使用したレールの表記 |||=3月製造」

纏めると、<昭和19年3月に日本製鐵所で製造された30k規格のレール>であり、橋に使われているレールは、前・啓志線時代から使用されていたか、あるいは練馬倉庫に備蓄されていたレールの一部である可能性が高い、と言えるでしょう。


残念ながら、この橋は現在では架け替えられてしまい、見ることはできません。自衛隊内で保存されていると良いのですが‥


次回に続く。

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