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2017年11月

板橋区民、「気」をいただきに行く。



おはようございます。

いま、板橋区民は秩父駅におります。
これから三峰口行き始発電車に乗り、三峰神社へ向かいます。
早朝の秩父駅構内には、あの懐かしい都営三田線で使われた6000系が、往時のままの姿で出発の準備をしております。

ご存じの方も多いかもしれませんが、いま三峯神社はパワースポットととして大ブームで、とくに月初めの1日は限定頒布の「白い気守り」を求める善男善女で大変な混雑とか。板橋区民もこの有難いお守りを授かろうと、これから三峰山麓の表参道より歩きで行きます。そうそう、昨夜は秩父駅近くのネカフェで夜を明かしました。山小屋ってな訳ですな。

さて、なんでわざわざ前日からネカフェで、とお思いでしょうが、三峰神社までまともにバスで行くと何時間かかるかわからない程の渋滞だそうで、歩けるなら登山した方が良いのだそうです。


三峰口駅到着。う〜ん良い天気だ!此処からバスで表参道入口まで向かう。



7時12分大曲バス停下車、登山開始!



いやー良い景色だ‥



いよいよ山道へ。



ひーーメッチャ急斜面やん!



まだ半分も来てないのか‥はぁはぁはぁ



ようやく東屋到着。はぁはぁはぁ



あと半分‥はぁはぁはぁはぁ


急坂に次ぐ急坂。オーマイゴー!はぁはぁはぁはぁはぁ



神様、善良な板橋区民にまだ試練をお与えになるのですか‥はぁはぁはぁ



あと700メートル。胸突き八丁というところか‥はぁはぁ



あと100メートル!最後の難関か。



着いたーーーちょうど2時間でした!



三ツ鳥居のところにいる神職の方から整理券をいただく。





白い気守り整理券ゲットー



本殿参拝後、いよいよ白い気守り拝受へ。



拝受。ミッション完了。頑張りました。板橋区民に拍手。



結構キツイ登山だったので帰りは三峯神社からバスで戻ることにした。平日にもかかわらず駐車場は満杯だ。だけど、神社自体はさほど混んでいなかったので、西武秩父駅からの始発急行バスでもいいのかもしれない。



それにしても、秩父の山々の紅葉が綺麗だ。。



ところで、前言撤回なことが起こった。10時35分のバスで帰ろうとしたのだが、11時過ぎても来ない。やがて係り員が現れ、渋滞で次のバスは3キロ手前にいるが到着までなんと3時間!かかると言う。12時半頃から帰りのバスの予約券を配るのでそのころまた来てくれ、てな自体になった。帰りのバスは14時30分だ。歩いて下山しても行きに降りたバス停では同じこと。さてどうするか‥



で、とりあえず神社に戻り有名な大島屋で秩父名物わらじカツ丼をいただくことに。



さてバスの整理券を貰ったが出発まで2時間ある。神社社務所の隣りに温泉があるので、汗でも流して時間を潰すか、と言うことでまた本殿へ戻る。



温泉はここらあたりの特徴であるナトリウム泉でアルカリのツルツル湯だ。境内はカオス状態だが、温泉は空いていて快適だ。



参拝客の間を抜け駐車場のバス停へ行くと、ここもカオス状態。整理券を早くゲットしておいて良かった‥



帰りのバスを待つ参拝客でひしめきあうバス停。よく暴動が起きないものだ。



[三峯神社へバスで行く場合のまとめ]
2017年11月1日現在の情報として書きますが、「白い気守り」を目的に三峯神社へ電車バス利用で行く場合、西武秩父駅発の西武バス始発(午前8時30分発)便は午前10時30分に三峯神社に着。所要時間2時間。しかし、その後の9時30分便では神社到着は昼すぎになる。帰りの便は、12時30分より三峯神社バス停で乗車整理券を配り、14時に再び集合。その後複数台のバスに整理券番号順に着席人員数のみ乗車し、席が満席になった段階で整理券を持った残りの人員が立ち席で乗車し、14時30分に複数台(3台?)が一斉に出発する。乗れなかった人は次の段階の便に回されるが、バスはその便で終わりで、乗り遅れると帰る方法はないのでご注意を。歩いて下山しても、途中でバスに乗る場合は三峯神社発のバスになる。繰り返しますが、帰りのバスは14時30分より前の便はありませんのでご注意を。(*ただし、これはあくまで2017年11月1日の例で、今後変更になることもあるのでその都度神社や西武バスのHPで最新の情報を確認ください。)



[白い気守り拝受について]
お守りは駐車場を登ったところにある三つの鳥居が建つ場所で整理券をもらい、本殿へ行く。本殿で参拝したのち左手に進み社務所で整理券と引き換える。気のお守りを拝受したら、ご神木の列に並びご神木をお参りする。10時くらいまではわりとスムーズにお参りできるが、11時ころにはものすごく混んできて一連の過程に1時間以上かかる。

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板橋区民、イベントが続く。

昨日に引き続きの登板である。当ブログもインスタグラムの様になってしまった。

さて、本日のイベントである。

そう、東武練馬の串カツ田中の食べ放題である。これはライブで書いているので、今、この店に来れば板橋区民のサインが貰えます。なんて。


さてさて注文だ。ん?そう言えば昨日の昼は三峰神社でわらじカツ丼食べたじゃん!失敗した‥まっ、いいか。


最初に、3本の串を食べてからの食べ放題スタート。うーむ結構デカイじゃん。

でも、揚げたては美味しいなぁ〜。あっと言う間にノルマ串を平らげ追加注文。追加は5本ずつ11種類から頼める。

さて、追加2回目。アスパラが美味かったので2本頼んだ。これとエビは1本200円と単価が高い。

3回目の追加、もう限界かもしれない‥

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板橋区民、まだまだイベントが続く。

昨夜は、さすがにお腹がパンパンになった。
で、本日はどこでインスタグラムってるかと言うと、航空自衛隊入間基地なのである。ここは他の基地と比べて交通のアクセスが良いので、航空祭の時には毎回凄い人出となる。

実は、板橋区民は入間航空祭は初めてである。事前に情報をググると電車は激混みで、マトモなルートでは入場まで時間がかかる様だ。そこで、赤塚郷からバイクで行くことにした。赤塚郷から入間基地まで約一時間、駐車場を心配したが、稲荷山公園入口バス停付近の自衛隊入口に空き地があり、そこが臨時の自転車バイク駐車場に解放されていたので難なく止めることができ、荷物検査場もスムーズに通れた。

基地内にはすで大勢の人が押し寄せ、マトモに展示飛行機の写真も撮れない状況だ。

見渡す限りの人人人。



飛行展示が始まったが人出が凄いせいかネットアクセスが悪くなってきた。



11時45分、お昼タイムに入り展示飛行はおしまい。エプロンは人で埋め尽くされ、脱出不可能に。


エプロンのコンクリートでピクニック。





〜この後、ブルーインパルス登場時にはあまりの混雑のため通信回線が遮断され書き込みが不可能となりましたので、顛末はまた後日UPします〜

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板橋区民、大空のショーに魅了される。

 入間基地航空祭の続編です。


いやいや、人気とは聞いていましたが昨日の航空祭はすんごい人出で、昼過ぎからケータイのデータ通信が全くできなくなりました。そこであらためて航空祭のメーンエベント、ブルーインパルスの飛行展示の様子をご覧くださいませ。

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いや〜凄かった。初めて生で観たブルーインパルスの飛行展示、そのド迫力に板橋区民は圧倒されました。。


ん?写真ではあんまり迫力を感じない?そんなワガママな方にちゃんと動画も用意しましたよ。スマホ画質ですが。
ではどうぞ!


いや〜共感頂けましたでしょうか。現場でライヴで観ると、これに”臭い”も加わりそりゃもう感動もんです。激混みは勘弁してほしいですが、やっぱり生が一番です。機会があったら是非どうぞ。

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20世紀遺産としての光が丘公園。

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 11月らしい晴天が続いてますね。布団の干し甲斐があります。

7月から毎日新聞夕刊紙上で掲載されていた「新 20世紀遺跡・成増飛行場編」が、先週最終回となった。本来は9月に掲載予定だったが、先の衆議院議会の解散と重なり延期されていたのだ。まずは、記事をご覧くださいませ。

‥さすが、ベテランの記者さんが著名入りで書いた記事で、構成が見事です。地元の関係者を独自に探し出し、インタビューも採っています。板橋区民が三峰神社にいた時、練馬区の情報公開課から電話があり、新聞に載っていた方を紹介してほしい、との依頼があったけど、これは記者さんが取材された方で、私は存じ上げないと答えた。

記憶のみで書くので不確かですが、確か91歳の方のお兄さんが、特攻散華した震天制空隊員の方から形見として手作りの本立てを受け取っていたかと思います。その本立ては昭和の終わりころ、ご遺族の元に贈られました。

今回の記事では、板橋区民は直接取材にかかわってはいませんが、記事後半の「長く米軍が居座ったことで開発を免れた結果であり、言ってみれば戦争による遺産だ。」の部分は、7月に光が丘公園にて取材を受けた時に記者の方へ、「軍に土地を強制収容された地主の方々には申し訳ないけれど、広大な飛行場となり、戦後はアメリカの基地になったことで、現在の集合住宅と美しい公園が整備された都内でも有数な住環境の良い場所へと生まれ変わったのです。」と話したことが伝わったのかもしれない。

おそらく、飛行場用地とならなかったり戦後すぐに返還され、その後計画的な土地整理事業が行われなかったならば、世田谷区や杉並区など都内各所で現在問題となっているように、住宅が無秩序に建て込むことによる防災上の問題が起こっていたのは否めないと思います。練馬区にとっても、清掃工場の問題や避難所の設置などを解決出来る願ってもないチャンスだったでしょう。


光が丘公園は、一年を通して人々の憩いの場として愛されている存在ですが、その誕生には、様々な歴史があったことをもっと知っていただければ、と願います。


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板橋区民、注釈付きでSKIP BEAT!




と言うことで板橋区民は、東京ドームにいる。
ポールのコンサート以来かな。今回のアーチストは桑田佳祐である。まだ開演まで1時間あるのに凄い人出だ


さて本日の席はまだどこかは分からない。なにせ注釈付きなのだ。

注釈付きとはなんぞや?まあ、入口でチケットを交換すればわかるだろう。


さて、回転ドアの前で発券。一塁側二階席か。中に入るとこんな席だった。


実は今回、チケット争奪戦に破れ入手出来なかったのだが、数日前に行われた「注釈付き指定券」抽選販売で当たりを引いたのだ。注釈とはステージが見えづらい席、の意味で、ご覧の通りステージの一部がスピーカー照明塔で隠れてしまうのだ。

まっ、こんな席でもコンサートを体験出来るんだから楽しまなくっちゃね。開演まであと15分、ワクワクドキドキ。



楽しい時間はあっと言う間に過ぎる、と言うこって午後7時45分にコンサートは終了した。照明塔もステージ中央からははずれていたので生桑田さんも見えたし(遠すぎて顔はわかりませんが)座席の場所が良かったので終演後は速やかに外へ出られた。これがヘタな位置にいると30分くらいドームの中にカンズメにされ表も大混雑、丸ノ内線も大混雑で大変な目に会うのだ。

桑田佳祐さんは今年でオン年61歳、よってファン層の年齢も高いけど、いや〜大盛り上がり。2階スタンド席なのに立って踊り出す人続出、特に後半、朝ドラひよっこ主題歌からほぼ全員が立ち上がり、波乗りジョニーに至っては2階スタンド全体が揺れていた。まあ長年コンサートへ通う常連さんにはいつものことだろうけど、いや〜これはパワー貰いますね。パワーも使いますが。

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シン・伝説の人〜東武鉄道のレジェンド、花上嘉成氏〜

2017

 毎日寒いですね。11月にこんなに寒いと思ったのは何年ぶりだろう。。

昨日(11月25日)、東武博物館の元館長/現名誉館長でおられる花上嘉成氏と某所にて邂逅した。お会いするのは2年ぶりだった。

某所とはなんぞやもったいぶるな、とお叱りの声が聞こえるが、それはまた後日のお楽しみで。
写真はその某所での会合が終わった後の直会の席にてパチリ。蕎麦屋の一角で名酒・14代をいただきながらサシでお話をするという至福の時間をいただいた。

花上名誉館長は、今市のご出身で、東武鉄道に入社後、西新井工場から現業をスタートし、北千住駅長を務めた後、1989年の東武博物館オープン時に館長へ就任、以来今日まで約30年間、東武鉄道の歴史を語ってきた方だ。東武鉄道ファンにとっては神、まさにレジェンドと呼ばれる方で、講演会は常に満員御礼、追っかけのファンもいるほどだ。今年、喜寿(77歳!)を迎えられたが、東武鉄道の研究に打ち込むことは変わらず、精力的に活動されていることは本当に頭が下がり、尊敬するところだ。

花上氏が人気があることの一端は、その飾らない人柄と、サービス精神に溢れるお気持ちをもたれていることで、ファンにとってサービス精神が溢れるとは、東武鉄道にとっては公開するには社内的にちょっと待ってくれ、と言うことでもついついしゃべってしまうということであり、最近では講演会などオフィシャルな場では必ず広報がつき、内容をチェックされ規制されてしまい、花上氏曰く、非常にやりにくい(笑)。なんて程なのだそうである。

昨夜は、ほぼプライベートの場だったので、いろいろなお話が聞けて本当に面白かった。今年8月11日から、東武鉄道SL復活運転プロジェクトによる「大樹」の運行が始まったが、東武鉄道にSLを復活させる、とういう壮大な計画を発案し実現に向けて尽力をつくしたのも花上嘉成氏であった。

えっ、その話が聞きたい?いや、それは広報を通してから、なんてね。いや、マジで書けないことを聞いてしまいました。。

下の写真は、「大樹」お披露目時の写真。花上氏は写っていないが、それがまた花上氏らしいのである。

Photo


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板橋区民、練馬区民と勉強する。

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 今日は、怒涛の記事二連発だ。この秋はだいぶ記事更新をサボったので、そのお詫びをかねて、である。


ようやく、情報解禁できる日が来た。と言っても自主規制だけれども。。

板橋区民は、本日、練馬区の平和台図書館の集会所で「啓志線のなぞとグラントハイツ」というお題で講演をした。
晩秋の晴天の中、約60名の善男善女の練馬区民の方々がお集まり下さった。ありがたいことである。


今回の依頼を受け、講演で使用する資料を改めて確認したり集めるために結構な時間を費やしてしまった。それが、ブログ記事掲載への怠慢を招いてしまった‥なんて言い訳しますが、練馬区民の皆様に向けての講演だけれども、それは自分の研究の復習でもあり、勉強をすることにもなるとつくづく思いました。

いや〜それにしても、たかが側線の話ではあるのだけれど、そこには様々な、忘れ去られ歴史の彼方に消えてしまった出来事があり、それらを発掘する作業は、実に楽しくまた頭を悩ます問題との葛藤が続いた。謎が解けたものもあり、逆に謎が増える場合もあり、折り重なる謎はさらなる混迷を深める‥


‥なに自分に酔ってるんだ?


すみません。講演会の余韻に酔っていました。


啓志線については、いままで何度も記事にしてUPしてきた。それらは、その記事を書いた時点での報告であり、新たに資料が見つかると、それまで書いていた内容がひっくり返ったり、訂正される場合が当然ある。

ブログの利点は、過去記事の訂正が容易に行えることだけれど、板橋区民の方針としては、過去の記事は過去そう判断していたという事実を残すのが良いだろうとの方針で書いている。なので、新たな資料を発見したり、見過ごしていた資料を再検討したりという作業が行われた場合、その結果を、また新たな記事にしてUPして行こうと思っている。

で、今後ですが、本日の講演会の為に調査をしなおした結果について、不定期ですがUPしていきますので、楽しみにお待ち下さいませ。

‥さて、大好きな徳丸のやきとん屋・さぶちゃんで買った焼き鳥や焼きとんを食べながら慰労晩酌をするかな。。

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ときわ台駅、安堵される。

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 怒涛のUP第三弾。


先週土曜日、”常盤台の景観を守る会”よりお誘いを受け、ときわ台駅開業80年を記念して行われた小さな講演会に出席した。

小さな講演会と言っても、宇都宮美術館の主任学芸員の方を講師に呼んでの解説であり、東武鉄道博物館の花上名誉館長も顔を見せる豪華な集まりだった。

2年前、常盤台住宅80周年を記念する講演が板橋区中央図書館で行われた時、ときわ台駅は帝国ホテルのデザインをした建築家、ライトの影響を受けた仕様で設計され(大谷石を多用した構造)、先に東武鉄道宇都宮線の南宇都宮駅が建てられた後、その設計図を流用して造った駅、との解説を聞いた。

今回は、大谷石の研究家である宇都宮美術館の先生に、ときわ台駅の構造と美しさについての講義を聴かせていただいたのであるが、ときわ台駅は近々解体される、との噂話があり、それは数年前から囁かれていたものだ。その理由は、東武鉄道側は、ときわ台駅舎を木造建築物として捉え、防災上の理由で建て替えを行う方針を示していたのである。

東上線の駅の中でも一際”異彩”を放つときわ台駅が解体される。これは由々しき事態であり、さっそく地元では反対運動が起こっていたけれど、ただでさえ融通の利かない東武鉄道のことである。ましてや出発点が東上鉄道であることから”妾の子”扱いされてきた東上線に、東武は情けなどかけないと誰しもが思っていた。近いうちに、当ブログ上でも”さらば、ときわ台駅”との記事がUPされるんじゃないか、そう板橋区民も覚悟していた。

講演会には、ときわ台駅の改修工事を担当する東武鉄道の社員とデザインを担当している方も同席していた。
講演が終わり、質疑応答の時間となった。堰を切ったように住民の方が口を開く。


住民の方 「もう、駅舎の保存なんて考えてないんだろ?」

東武鉄道 「いたしません。(ドクターX風)」

住民の方 「ほらな、保存はいたしませんかよ。これだから東武は。」

東武鉄道 「駅舎は、取り壊さないので。(ドクターX風)」

住民一同 「えっ?(絶句)」

東武鉄道 「ときわ台駅は、昔の姿に復元しますので。」

〜住民一同、感嘆のどよめきのあと、会場は拍手に包まれる。〜

いや〜驚きました。解体どころか復元とは。

現在、ときわ台駅は改修工事のために全体的に覆いがかけられているが、完成後の予想図がどこにも表示されていない。そのためにいろんな憶測が飛んでいるのだが、最近、地下への階段の近くに新しいトイレが完成して使えるようになった。今後、そのトイレ付近にホームへのエレベーターの建物が建設され、池袋側の部分、交番との間には5階建ての新ビルが建設される予定だ。(1・2階は店舗、他は事務所等の予定。)

そして、本屋(ほんおく)は、今まで券売機が並んでいた部分を撤去し、そこを昔通りの改札口に戻すとの計画なのである。
真ん中の写真は南宇都宮駅舎と、ときわ台駅舎を比較したものだが、オリジナルの姿を維持している南宇都宮駅舎のデザインに戻すことになるのだ。

3枚目の写真は駅構内の簡略図を時代ごとに比較したものだが、一番上が最初の駅舎の構造で、ホームへは構内踏切を渡って登っていたのだが、それはさすがに不可能なので、改札口だけの再現である。その他、現在、タイル張りになっている部分は後年にリフォームされたものなので、それらも修復し、極力、大谷石の昔の姿に戻すとのこと。

いや〜不安になるくらいの大盤振る舞い、にわかには信じがたいが、確かに板橋区民の耳で拝聴した。

いったい、どんな不思議な力が働いたんだろう?

その東武鉄道の方針を決定付けたのが、我らが板橋区役所の教育委員会の強力な提言であった。
教育委員会は地元の要望を聞き、ときわ台駅の貴重性を調査して資料を作り、粘り強く東武鉄道との折衝を行っていたのである。


エライ。板橋区民は感動した。


その代わりではないが、国からのバリアフリーの指針で駅には必ずホームへのエレベーターを設置しなくてはならず、どうしてもそのための建物を造らねばならないこと、営業上、駅ビル(本屋の隣)を建てることが条件となったようだ。常盤台の住人の一部の方々は景観が壊れる、とのことで新たな構造物の建設に反対しているようだけれど、これはしかたないのかなあ、と思う。
東武鉄道側も、なるべく景観を損なわないような建物にしたいとデザインの検討をしているそうで、完成予想図が公開掲示されていないのも、それが理由なのである。

最近の東武鉄道は、東京スカイツリーを立てたり、蒸気機関車を復活させたりと、なかなか攻めているなあと思う。
「ときわ台駅」も改修後はどのような姿になるのか、今後、楽しみにウオッチしていきたい。

[追記]
自分の趣味に走り一方的な記事を書いてしまいましたので、今年9月2日付の毎日新聞記事の一部を参考にさせていただく。


『景観問題が再燃 南口に商業ビル2棟計画』

JR東日本は2020年の完成を目指し、国立駅南口の敷地内に2棟の商業ビルを建設する計画をまとめ、6月下旬、市内の経済団体関係者に説明を始めた。JRによると、高さは4階建て相当の20メートルを想定。延べ床面積は1棟が3000平方メートル、もう1棟はその半分の1500平方メートルを予定している。

 地元の経済・観光団体がこの計画に警戒を強めているのは、市が20年に復元する予定の旧駅舎を、東西から挟む形で2棟のビルが建設され「せっかく再建される旧駅舎がかすんでしまう」からだ。

 高さ約12メートルの木造の旧駅舎は1926(大正15)年の駅開業当時からあり「街のシンボル」として親しまれてきた。90年代、駅の高架化に伴い駅舎を解体する計画が浮上。保存を求める市民運動が起き、結局、市が解体した部材を保存し将来、復元させることで決着した。

 こうした経緯から、国立市商工会など4団体は8月25日、JRのビル建設計画を考えるシンポジウムを市内で開催。約170人が参加した。市商工会の五十嵐一典会長(76)は取材に「歴史や景観を大切にして、将来を見越した開発が必要だ」と話し、計画の再考を求めている。


ときわ台駅も、駅舎を旧の状態に戻すとは一見聞こえは良いのだけれど、要は隣に建設する新ビルの用地を増やすため駅舎部分を縮小するとも言えるのである。

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