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20世紀遺産としての光が丘公園。

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 11月らしい晴天が続いてますね。布団の干し甲斐があります。

7月から毎日新聞夕刊紙上で掲載されていた「新 20世紀遺跡・成増飛行場編」が、先週最終回となった。本来は9月に掲載予定だったが、先の衆議院議会の解散と重なり延期されていたのだ。まずは、記事をご覧くださいませ。

‥さすが、ベテランの記者さんが著名入りで書いた記事で、構成が見事です。地元の関係者を独自に探し出し、インタビューも採っています。板橋区民が三峰神社にいた時、練馬区の情報公開課から電話があり、新聞に載っていた方を紹介してほしい、との依頼があったけど、これは記者さんが取材された方で、私は存じ上げないと答えた。

記憶のみで書くので不確かですが、確か91歳の方のお兄さんが、特攻散華した震天制空隊員の方から形見として手作りの本立てを受け取っていたかと思います。その本立ては昭和の終わりころ、ご遺族の元に贈られました。

今回の記事では、板橋区民は直接取材にかかわってはいませんが、記事後半の「長く米軍が居座ったことで開発を免れた結果であり、言ってみれば戦争による遺産だ。」の部分は、7月に光が丘公園にて取材を受けた時に記者の方へ、「軍に土地を強制収容された地主の方々には申し訳ないけれど、広大な飛行場となり、戦後はアメリカの基地になったことで、現在の集合住宅と美しい公園が整備された都内でも有数な住環境の良い場所へと生まれ変わったのです。」と話したことが伝わったのかもしれない。

おそらく、飛行場用地とならなかったり戦後すぐに返還され、その後計画的な土地整理事業が行われなかったならば、世田谷区や杉並区など都内各所で現在問題となっているように、住宅が無秩序に建て込むことによる防災上の問題が起こっていたのは否めないと思います。練馬区にとっても、清掃工場の問題や避難所の設置などを解決出来る願ってもないチャンスだったでしょう。


光が丘公園は、一年を通して人々の憩いの場として愛されている存在ですが、その誕生には、様々な歴史があったことをもっと知っていただければ、と願います。


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