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板橋区民、名簿に憂う。〜勅命下る 軍旗に手向かふな〜

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 先週末から、アカデミー賞・視覚効果賞を受賞した「インターステラー」などの作品で有名な、クリストファー・ノーラン監督が描く戦争映画、「ダンケルク」の公開が始まった。板橋区民も、この作品の公開を楽しみにしていたので、初日の第1回目を観に、イオンシネマ板橋に駆けつけた。

”ダンケルクの戦い”は、ドイツ軍のフランス侵攻の1940年5月24日から6月4日の間に起こった戦闘で、ドーバー海峡に面したダンケルク海岸に追い詰められた約40万人のイギリス兵、フランス兵が決死の撤退を行った、その史実をもとに製作された映画だ。

映画は3つのシーケンスから成り立ち、それぞれ、陸(海岸から)の1週間、船(救出に向かう小さな観光船)の1日、空(撤退を援護する英軍戦闘機)の1時間が同時進行で展開される。視点は3つだが、それぞれ時間軸がずれているので、事前に予習しておかないと途中で何が何だかわからず混乱してしまう。板橋区民は事前予習しなかったので、見終わった後、ん?ん?ん?という状況で、改めて解説を読んで理解するというありさまであった。

「ダンケルク」は来年のアカデミー賞有力候補とされていて、きっとこういう混乱する小難しい解釈の映画がノミネートされるんだろうな、ということはわかった。見終わった後一番の感想は、「スピットファイアを愛でる作品」であった。‥もう1回、今度は豊島園IMAXへ観に行くかなぁ。。


前説が長くなりました。

さて、昔から板橋区民は、職業軍人ではなく、徴兵により召集された板橋区に本籍を持つ兵が、毎年どのくらいいて、どこの戦場へ送られたのか知りたいと思ってきた。それらの召集記録は、板橋区役所や陸軍や海軍などに所蔵されていたはずだけれど、区役所の資料は昭和20年4月の空襲で失われ、軍所蔵の記録も存在しているのか不明だ。

可能性が高いのは、軍隊に属していた人が貰える軍人恩給の記録や軍歴証明書を調べることだけれど、それには個人情報の壁があり、厚生労働省に公開を求めても無理だろう。おそらく近年ではデータベース化しているはずで、せめて匿名のデータとして公開してくれないかなあと願う次第だ。

他の手段としては、巷に流れているなんらかの名簿資料を入手する方法があるけれど、これは運に頼るしかないし、あまりにも効率が悪い。

今回、写真に上げた名簿もその一つで、表紙に「歩兵第三連隊 第七中隊 昭和拾年度徴集兵名簿」、とある。
歩三第七中隊。これで、おお、っと思った方は軍事通の方だ。この中隊は、1936年・昭和11年2月26日に起こった、あの二・二六事件に反乱軍として参加し、警視庁を占拠した部隊なのである。

二・二六事件は、昭和11年2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こしたクーデター未遂事件で、決起将校らは歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊等の部隊中の一部を指揮し、岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃、総理大臣官邸、警視庁、内務大臣官邸、陸軍省、参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠した。

名簿作成期日は「昭和十三年十二月」とあり、この名簿には、4名の板橋区出身者(現在の練馬区含む)の名前が記載されている。いずれも地元でよく見かける苗字の方だ。
召集は昭和10年度とあり、軍隊における”年度”の使い方がわからないのだけれど、もしも学校や役所と同じならば昭和10年4月1日から昭和11年3月31日までとなり、この方々が二・二六事件に参加した可能性はあるかもしれない。

このク-デタ-の将兵1483名の内訳は、将校20名、准士官2名、見習い医官3名、下士官89名、兵士1360名、民間人9名で、兵士1360名の内1027名は事件の47日前に入営し、敬礼と整列ができる程度の新兵であり、その中のほとんどの者は上官の命令により通常訓練だとして参加させられたという。この新兵の中には、第七中隊で警視庁襲撃に参加させられた、落語家で人間国宝の柳家小さん師匠がいたけれど、名簿は東京と埼玉出身者がほとんどで、長野市出身の小さん師匠(本名・小林盛夫)の名前はなかった。

ちなみに、歩兵第三連隊の定員は1996名で、このうち事件に参加したのは937名である。第七中隊で事件に参加したのは、将校2名、准士官1名、下士官11名、二年兵37名、初年兵105名だ。

事件後、下士官は無罪とされ、「事件に参加した兵は寛大に処置すべし」との方針がとられたけれども、事件に参加した者は、日中戦争最前線の満州に送られ、「陛下に弓を引いた逆賊」のレッテルを貼られ、「死んで陛下にお詫びしろ」と激戦地に駆り出されて、多くの戦死者を出したという。


果たして、事件参加者の中に板橋区出身者がいたかどうかはわからないけれど、歩兵第三連隊新兵の身出地は埼玉県全域と東京の浅草、足立、荒川、本所、板橋出身で農家や職人の子弟が主であり、当時の暮らしの状況でも「中」か「下」の子弟が圧倒的に多かったといわれている。戦災被害の記録だけではなく、こうした方々の記録も、公に残すことはできないのだろうか。

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