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2017年9月

板橋区民の2017年終戦記念日、続きを貼る。

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 東京都島嶼部に滞留する台風のせいか、寒いですね。天気も悪いし。

前回、終戦記念日に紹介したM日新聞の記事の続きが掲載された。とりあえず、お読みください。


‥お読みいただけましたか?では始めます。

いや〜、やっぱり新聞記者はすごいですね。当時の関係者を探し出し、インタビューを取っている。証言者の相原さんに面識はなく、初めて聞く話だ。自分が集中して成増飛行場の調査をしていた頃、東京上空で特攻散華した幸軍曹の姉上がまだ存命で、お会いする寸前までいったのだけれど結局は話を伺うことができずに終わってしまった。

さすがヴェテラン記者だけあり、今回もテンポ良く纏まった素晴らしい構成の記事で感心する。ただ、こんな楽屋話を書くのはよくないかもしれないが、板橋区民は見田伍長の話はしたけれど、「小柄で紅顔の美少年」だった、という話はしていない。これは刈谷さんの追想を読んで参考にしたのだろう。文章の流れ上、こうした改変はよくあることなのである。(怒ってませんので念のため。)

もう一つ、これも書いてしまうと水を差す、というか証言をしていただいた相原さんに失礼だと受け止められる恐れがあるのだけれど、聞き取りの難しさの一例としてあげさせてていただくが、相原さんは、「夜も明かりがつき工事をしていた。」「日本軍機が火のかたまりになって落ちてゆくのを見た。」「遊びに来た整備兵とはなした。」「機銃掃射を受け防空壕に避難していると整備兵の人が入ってきた。」と証言されている。

私の父親も相原さんとは同世代で、中学生(現在の高校生)のころ、勤労動員で成増飛行場の建設工事で数日間奉仕作業しており、当時の話を聞いたことがあるけれど、「暑かった。」「穴掘り土運びをした。」「裸で作業したためひどい日焼けをしてしまった。」‥そんなことしか覚えていなかった。

私は思わず、「もっとさ、どのくらいの人数で参加して、武蔵野線の石神井公園駅で降りたのか、東上線の成増駅だったのか、現場では女性も作業していたのか、囚人作業隊は見かけたか、現場監督は軍人だったのか、どんな階級だったのか、昼ごはんはどうしたのか、etc、そんな話が聞きたいんだけど。」と声を荒げてしまった。

古老への聞き取り調査の難しさで何度か書いたことがあるけれど、「昔、ここは畑であそこは野山できれいな小川が流れていて小さな魚が泳いでいたのよ。」と思い出話をされても、んー、そりゃ昔はそうだろうなあ、なんてことしか想像がつかない。
相原さんの証言も、どこかで聞いたことのある話であり、実際に体験された方を目の前にするという迫力はあるけれど‥なんて感じを持ってしまうのである。

もっとも、限られた文字数の記事なので、たくさん伺った話を要約して書いた結果、このような内容になってしまったのかもしれない。今度、記者の方にお会いする機会があったら聞いてみようっと。

さて、次回は戦後編、グラントハイツの話が掲載される予定だ。楽しみに待ちましょう。

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板橋区民、我は行く。2017秋



今回は、一週間ぶりのライブ書き込みである。

板橋区民は今、青山にいる。上下左右360度見渡す限りアウェイの地だ。

それにしてもシャレオツな人が多い。我が赤塚商店街と比べるべくもないが、大勢の深キョンが歩いているみたいだ。

なんでこんなアウェイの地にいるかというと散髪をするためだ。これからオメカシをしてある場所へ行くのだが、それはまた続きを。

さて、散髪も終わりやって来たのは実に30数年ぶりに降り立つ小田急線本厚木駅。昔の駅前の記憶も殆どないけど、全く知らない所へ来たみたいだ。

と、言うことで遠路はるばる来たのは厚木市文化会館。

はい、もうお分りですね、半年ぶりの谷村新司コンサート。

会場入り口は厚木周辺在住の中高年、もとい、紳士淑女でいっぱいだ。
では板橋区民もいざ参戦。

秋のコンサートはこの日が初日である。

帰りは海老名で降りてららぽーとのハングリータイガーへ。

これで、首都圏の有名ハンバーグレストランを制覇した。美味しゅうございました。

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板橋区民、フードファイターと化す。



いや〜最近、「インスタ映え」って言うんですか、流行ってるらしいじゃないっすか。

そんな流行りに乗せられている訳じゃないんですが、巷で噂のかっぱ寿司食べ放題にチャレンジしに来たわけです。お店は川越街道と環八の交差する場所にある練馬店だ。今回もライブでお送りしますね。

まずは第一弾、いただきます!かっぱ寿司のHPでは、食べ放題メニューに中トロなど寿司一個皿もあったが、練馬店ではやってなかった。これは計算違いである。

お次は、ウニイクラの痛風セット。

ハアハア、苦しくなってきた‥

デザートいきます!く、苦しい‥最後のプリンが‥重い。。

こうして、1時間に渡る戦いは終わった。
戦果は寿司15皿、サイドメニュー10種。以上総て税込1706円であった。

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板橋区民、名簿に憂う。〜勅命下る 軍旗に手向かふな〜

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 先週末から、アカデミー賞・視覚効果賞を受賞した「インターステラー」などの作品で有名な、クリストファー・ノーラン監督が描く戦争映画、「ダンケルク」の公開が始まった。板橋区民も、この作品の公開を楽しみにしていたので、初日の第1回目を観に、イオンシネマ板橋に駆けつけた。

”ダンケルクの戦い”は、ドイツ軍のフランス侵攻の1940年5月24日から6月4日の間に起こった戦闘で、ドーバー海峡に面したダンケルク海岸に追い詰められた約40万人のイギリス兵、フランス兵が決死の撤退を行った、その史実をもとに製作された映画だ。

映画は3つのシーケンスから成り立ち、それぞれ、陸(海岸から)の1週間、船(救出に向かう小さな観光船)の1日、空(撤退を援護する英軍戦闘機)の1時間が同時進行で展開される。視点は3つだが、それぞれ時間軸がずれているので、事前に予習しておかないと途中で何が何だかわからず混乱してしまう。板橋区民は事前予習しなかったので、見終わった後、ん?ん?ん?という状況で、改めて解説を読んで理解するというありさまであった。

「ダンケルク」は来年のアカデミー賞有力候補とされていて、きっとこういう混乱する小難しい解釈の映画がノミネートされるんだろうな、ということはわかった。見終わった後一番の感想は、「スピットファイアを愛でる作品」であった。‥もう1回、今度は豊島園IMAXへ観に行くかなぁ。。


前説が長くなりました。

さて、昔から板橋区民は、職業軍人ではなく、徴兵により召集された板橋区に本籍を持つ兵が、毎年どのくらいいて、どこの戦場へ送られたのか知りたいと思ってきた。それらの召集記録は、板橋区役所や陸軍や海軍などに所蔵されていたはずだけれど、区役所の資料は昭和20年4月の空襲で失われ、軍所蔵の記録も存在しているのか不明だ。

可能性が高いのは、軍隊に属していた人が貰える軍人恩給の記録や軍歴証明書を調べることだけれど、それには個人情報の壁があり、厚生労働省に公開を求めても無理だろう。おそらく近年ではデータベース化しているはずで、せめて匿名のデータとして公開してくれないかなあと願う次第だ。

他の手段としては、巷に流れているなんらかの名簿資料を入手する方法があるけれど、これは運に頼るしかないし、あまりにも効率が悪い。

今回、写真に上げた名簿もその一つで、表紙に「歩兵第三連隊 第七中隊 昭和拾年度徴集兵名簿」、とある。
歩三第七中隊。これで、おお、っと思った方は軍事通の方だ。この中隊は、1936年・昭和11年2月26日に起こった、あの二・二六事件に反乱軍として参加し、警視庁を占拠した部隊なのである。

二・二六事件は、昭和11年2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こしたクーデター未遂事件で、決起将校らは歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊等の部隊中の一部を指揮し、岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃、総理大臣官邸、警視庁、内務大臣官邸、陸軍省、参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠した。

名簿作成期日は「昭和十三年十二月」とあり、この名簿には、4名の板橋区出身者(現在の練馬区含む)の名前が記載されている。いずれも地元でよく見かける苗字の方だ。
召集は昭和10年度とあり、軍隊における”年度”の使い方がわからないのだけれど、もしも学校や役所と同じならば昭和10年4月1日から昭和11年3月31日までとなり、この方々が二・二六事件に参加した可能性はあるかもしれない。

このク-デタ-の将兵1483名の内訳は、将校20名、准士官2名、見習い医官3名、下士官89名、兵士1360名、民間人9名で、兵士1360名の内1027名は事件の47日前に入営し、敬礼と整列ができる程度の新兵であり、その中のほとんどの者は上官の命令により通常訓練だとして参加させられたという。この新兵の中には、第七中隊で警視庁襲撃に参加させられた、落語家で人間国宝の柳家小さん師匠がいたけれど、名簿は東京と埼玉出身者がほとんどで、長野市出身の小さん師匠(本名・小林盛夫)の名前はなかった。

ちなみに、歩兵第三連隊の定員は1996名で、このうち事件に参加したのは937名である。第七中隊で事件に参加したのは、将校2名、准士官1名、下士官11名、二年兵37名、初年兵105名だ。

事件後、下士官は無罪とされ、「事件に参加した兵は寛大に処置すべし」との方針がとられたけれども、事件に参加した者は、日中戦争最前線の満州に送られ、「陛下に弓を引いた逆賊」のレッテルを貼られ、「死んで陛下にお詫びしろ」と激戦地に駆り出されて、多くの戦死者を出したという。


果たして、事件参加者の中に板橋区出身者がいたかどうかはわからないけれど、歩兵第三連隊新兵の身出地は埼玉県全域と東京の浅草、足立、荒川、本所、板橋出身で農家や職人の子弟が主であり、当時の暮らしの状況でも「中」か「下」の子弟が圧倒的に多かったといわれている。戦災被害の記録だけではなく、こうした方々の記録も、公に残すことはできないのだろうか。

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板橋区民、時局を鑑み美國へ行く。




三連休初日、板橋区民は外国へ向かう。
が、降り立ったのは拝島駅である。


国道16号沿いの道は歩道も道路も大混雑だ。


道路沿いでは民間臨時駐車場も商売繁昌だ。料金1回3500円!


目的地へ到着。板橋区民は、米軍横田基地に来たのである。基地の中はアメリカだ。北の核ミサイル実験が実用化寸前の昨今、その攻撃ターゲットの一つで、いわば最前線基地であるYOKOTAを実感するのは有意義なことだ。ゲートが開いたばかりなので周辺は人で溢れ返っていおり、DJポリスまで出動してる。


行動が早かったせいか、オープン後15分で入場できた。場内では陽気なDJが案内放送を流し、アメリカン気分を盛り上げる。



早速、米軍の旧資材が出迎えてくれる。進駐軍でおなじみのジープなど。


米軍基地名物、ステーキ売り場はすでに長蛇の列だ。ほかにもピザだのシュラスコだのの匂いが充満し、アメリカの街角を思い出させる。


さて、エプロンでとりあえず輸送機を見学しよう。


しかしこの行列、どうにかならんのか。


と、イライラして待っていると上空にブルーインパルスの編隊がっ!


やっと中に入れたが振り向けば広い会場内は人人人の波。


1時間以上並んで漸くコックピットに到着。やれやれ。行列が進まなかったのは、操縦席に座って記念写真を撮っているため。


次のミッションはアメリカンなステーキを食べること。会場中心部のコーナーは長蛇の列なので会場入り口付近の店へ。


並んでる割に以外とスムーズにステーキプレートげと。久しぶりに味わうグレービーソース、相変わらず酸っぱくてマズイ!が、これぞ本場アメリカンの味だ。


さーて、腹も少し膨れたので展示飛行機でも見学するかと、ひたすらエプロンを歩くが輸送機みたいのしかないじゃん。どうも台風の接近でグァム基地に展開している爆撃機などは展示中止とかなんとか。


それでも人だかりがあるので近づくと、おお、グローバルホークじゃん!どうやら横田基地にも配備になるらしく、そのお披露目だそうだ。無人の偵察機でアメリカ本土の空軍基地から作戦コントロールできるすごい奴である。


小腹がすいたので、ホットドッグとゲータレード(アメリカ色水)を購入。雑だ。とにかく雑だ。ほんとアメリカだ。皆コンクリの地べたに直に座って食事をしている。


腹が満たされたら疲労感がおそってきた。帰りのゲートはこれから来る人帰る人でカオス状態だ。


DJポリスさんご苦労様である。それにしても友好祭と言いつつ、ジャンクフード祭り、なんじゃナイダロカ‥

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