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板橋区民の2017年終戦記念日、続きを貼る。

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 東京都島嶼部に滞留する台風のせいか、寒いですね。天気も悪いし。

前回、終戦記念日に紹介したM日新聞の記事の続きが掲載された。とりあえず、お読みください。


‥お読みいただけましたか?では始めます。

いや〜、やっぱり新聞記者はすごいですね。当時の関係者を探し出し、インタビューを取っている。証言者の相原さんに面識はなく、初めて聞く話だ。自分が集中して成増飛行場の調査をしていた頃、東京上空で特攻散華した幸軍曹の姉上がまだ存命で、お会いする寸前までいったのだけれど結局は話を伺うことができずに終わってしまった。

さすがヴェテラン記者だけあり、今回もテンポ良く纏まった素晴らしい構成の記事で感心する。ただ、こんな楽屋話を書くのはよくないかもしれないが、板橋区民は見田伍長の話はしたけれど、「小柄で紅顔の美少年」だった、という話はしていない。これは刈谷さんの追想を読んで参考にしたのだろう。文章の流れ上、こうした改変はよくあることなのである。(怒ってませんので念のため。)

もう一つ、これも書いてしまうと水を差す、というか証言をしていただいた相原さんに失礼だと受け止められる恐れがあるのだけれど、聞き取りの難しさの一例としてあげさせてていただくが、相原さんは、「夜も明かりがつき工事をしていた。」「日本軍機が火のかたまりになって落ちてゆくのを見た。」「遊びに来た整備兵とはなした。」「機銃掃射を受け防空壕に避難していると整備兵の人が入ってきた。」と証言されている。

私の父親も相原さんとは同世代で、中学生(現在の高校生)のころ、勤労動員で成増飛行場の建設工事で数日間奉仕作業しており、当時の話を聞いたことがあるけれど、「暑かった。」「穴掘り土運びをした。」「裸で作業したためひどい日焼けをしてしまった。」‥そんなことしか覚えていなかった。

私は思わず、「もっとさ、どのくらいの人数で参加して、武蔵野線の石神井公園駅で降りたのか、東上線の成増駅だったのか、現場では女性も作業していたのか、囚人作業隊は見かけたか、現場監督は軍人だったのか、どんな階級だったのか、昼ごはんはどうしたのか、etc、そんな話が聞きたいんだけど。」と声を荒げてしまった。

古老への聞き取り調査の難しさで何度か書いたことがあるけれど、「昔、ここは畑であそこは野山できれいな小川が流れていて小さな魚が泳いでいたのよ。」と思い出話をされても、んー、そりゃ昔はそうだろうなあ、なんてことしか想像がつかない。
相原さんの証言も、どこかで聞いたことのある話であり、実際に体験された方を目の前にするという迫力はあるけれど‥なんて感じを持ってしまうのである。

もっとも、限られた文字数の記事なので、たくさん伺った話を要約して書いた結果、このような内容になってしまったのかもしれない。今度、記者の方にお会いする機会があったら聞いてみようっと。

さて、次回は戦後編、グラントハイツの話が掲載される予定だ。楽しみに待ちましょう。

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