板橋区民、地域格差を是正する。〜サンシティ再び〜
せっかくのお盆休み期間なのに天気がパッとしませんね。。
体調が戻って調子に乗り、故郷・東武練馬の古写真を連続でUPしましたが、同じ板橋区出身でも赤塚郷に縁のない方には面白くなかったかもしれません。
と、いうことで今回は赤塚郷のお隣、志村前野町の高台から志村中台町を望む景色の写真を貼ります。
この写真も随分前にUPしましたが、「東京瓦斯電気工業株式会社」所有の火薬工場を撮影したもので、おそらく昭和10年ころの風景と思われ、撮影場所は、現在の淑徳高校の高台あたりからではないかと推測します。
「東京瓦斯電気工業株式会社」は明治43年に現在の東京ガスから別れ、ガス器具製造会社として始まり、軍事工場(主に軍用車両の製造)を経て戦後は日野自動車やいすゞ自動車や小松製作所等に分割しました。
第一次大戦の時から爆弾の信管や火薬の製造も行っており、その火薬工場が中台に建てられたわけです。
写真を見ておわかりかと思いますが、火薬工場は常に爆発事故の危険と隣り合わせなので、事故が起こっても近隣に被害があまり及ばないような場所を選んで置かれます。爆発の威力を上に逃すために屋根も簡易的に作られているのだとか。
それにしても、住宅がびっしりと建て込む現在では想像もできない風景ですね。戦後、工場は旭化成となり火薬の製造は続いていましたが、いまは緑小学校とかサンシティなど高級集合住宅地に変貌しました。
それにしても、「志村中台町」と書かれて、なんで”志村”?とお思いでしょうが、西台も昭和40年代始めまで”志村西台町”でした。つまり赤塚郷の隣はもう志村なんです。
写真の地平線、真ん中やや左寄りにポコッと影が突き出てますが、これはおそらく赤塚諏訪神社のイチョウの大木と思われます。赤塚郷の子供達は”バケの木”と呼んでおりましたが、古老の言い伝えでは、巣鴨などの市場に野菜を運んだ帰り、遠くからこの木を目印に帰途に着いたなどの話が残っております。
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