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板橋区民復活祭!残暑。

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 健康であることが、こんなに素晴らしいとは。。

そこで、復活記念に当ブログ初期に公開した写真を復活公開しちゃいましょう!


1枚目は、大正時代に撮影された徳丸1丁目付近の写真で、左の林あたりが東武練馬駅近辺と伝わっている。古老の話でも、駅前は杉の林で、戦時中の頃でもタヌキが出そうな雰囲気であった、と聞いたことがある。

2枚目は、東武練馬駅に着いた府立第12高女達が、陸稲もしくは麦畑の中を校舎建築場所へ向かうスナップ。大木伸銅がバックに写るので、場所は明快ですね。1枚目は大根畑に見えるので、同じ場所かどうかは、う〜ん、わからない。ちなみに、東武練馬駅開業は昭和6年、大木伸銅が徳丸側に工場を建てたのが昭和8年だ。

3枚目は、大正時代に不動通りから高島平方面に向けて撮影されたもので、板橋区民がいちばん好きな写真だ。我が故郷、徳丸の特徴が全て詰まった原風景だ。さすが石田収蔵先生、お見事な腕前です。これは旧宅(徳丸幼稚園近く)の裏から撮影したものだろう。

4枚目は、高女達が校地から不動通りへ下った写真。真ん中右手、木に隠れて見えずらいけれど土手があるようにもみえるので、あの”ナゾの写真”が撮影された低地かもしれない。
しかし、”幽玄”とはこの風景のことを言うのかもしれないような幻想的な写真ですね。。

5枚目は、東上線の線路上から府立第12高女校舎建設予定地を撮影した写真。まさに「東京の満州」と呼ばれただけのことはある眺め。

6枚目は、戦後、共学の新制都立高校になってからの通学風景で、東武練馬駅北口がなかったころ。まだまだ女子が多いですが、詰襟の男子生徒も若干写ってますね。さぞや肩身が狭かったことでしょう。
真ん中の屋根あたりが構内踏切のある場所で、池袋行きはここを渡って上りホームへ出た。昭和20年代半ばの写真ですかね。

(注・写真中、板橋サティと表記されてますが、UP当時はまだサティだったので、写真も直さないまま載せてます。)

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