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「あ ぶ な い 成増。」〜アウトローな南口〜

27S27


 いや〜7月っすか。まいったなあぁ・・


と、意味不明なつぶやきから始まりましたが、今回は「あぶない」シリーズを。

板橋区も雑多な人間が暮らしているわけだし、旧石器時代から様々な歴史を重ねて今日まで続いているから、いろんなことがある。中には記録としては残らないような”裏面史”も数多く存在する。

「残らないものは残らないでいいじゃないか、そのことで傷つく人もいるのだろうから。」

歴史を探求していると、時にそんな葛藤を抱える場面に出会うことがある。

‥そんな葛藤を抱えつつ、良心の呵責と戦いながら自分の興味本位を記事にする。それが当ブログの使命なのである。

なんて、ね。

さて、今回は我が赤塚郷の戦後混乱期裏面史の続き、前回(2015年3月)では、連合軍の進駐を前に、日本政府の”忖度”で設けられた進駐兵士相手の「特殊慰安施設」の場所の一つであった成増の記事を書いた。なんで成増かというと、それは成増陸軍飛行場がまっ先に接収され、進駐軍がやって来るだろうと予想されたからである。

慰安所は進駐軍先遣部隊が上陸した、昭和20年8月28日から営業を開始したけれど、軍の風紀の乱れや衛生上の懸念から、GHQは早々に売春施設への出入りを禁止、MPによる取締りを強化し、昭和21年1月7日以降、GHQの「廃娼」指示により、RAA(Recreation Amusement Association・特殊慰安施設協会)により置かれた占領軍用慰安所は、すべて閉鎖、解散させられた。

しかし、RAAに組織された5万人以上の売春婦は街娼や赤線に散り、また基地周辺のパンパンと呼ばれる女性に姿を変えたという。

では、その後の成増はどうなったのか。当時の新聞記事を追うと、売春婦達は近隣の下赤塚や東武練馬にも分散し、頻繁に街娼の検挙が行われていたらしい。それで成増が浄化されたかというとそうでもないようで、昭和22年春からグラント・ハイツの建設が始まり、全国から労働者が集まり、ハイツ完成後は進駐軍兵士がやってきて需要は増すばかりであった。


冒頭写真の雑誌は、終戦後の退廃から生まれたエログロ本、いわゆる「カストリ雑誌」だ。

昭和27年7月に出版された「人間探求 27号」に、”東京街娼分布図”という潜入レポートが掲載されている。そこでは、街娼始まりの地とされた有楽町界隈を始め、新橋、上野、浅草、新宿、渋谷、そして池袋が、街娼やポン引きのいる場所を示した分布地図とともに紹介されている。

上にある地域は、まあ、そうだろうなと想像ができる。それらは戦前戦中でも三業地だったわけで、いわばメジャーな繁華街だ。しかしである。そこに、我が赤塚郷の成増も紹介されていたのである。

当ブログは、板橋区アゲ、を基本としているのでいささか記事を盛り誇張する部分もないわけではないのだが、都心地域に比べれば地味でマイナーな地域との認識は頭の隅にある。あまり誇れる内容ではないが、メジャー繁華街に匹敵するほどの時代が、赤塚郷にもあったのは感慨深い。

さて、潜入レポートの記事を紹介しよう。

「ここは、極く最近に、発展しはじめた新興誘客地である。朝霞町がオフ・リミットとなったので、基地の洋娼たちが、ここにドッと移動してきたわけだ。
東上線成増駅周辺に、GI目当てポン引が二十人ほども待機している。ポン引は主としてメータクの運転手、或は素手で立っているのもいる。
も一つは、駅前道路を真直ぐに約一丁、突当った川越街道を、下赤塚に向かって、七、八十人もの洋パンが、歩道に点々と立っている。
彼女らの売春場所は、この町にある第三国人部落のシモタ家である。ポン引も洋娼も、そこへ客を伴れていく。殆どがショートで、料金は千円が相場だ。」

用語解説;洋娼・洋パン=外国人相手の娼婦  メータク=メーターのついた距離制料金のタクシー  GI=兵士

地図上の記号、三角で示しているのはポン引の分布、丸にバツ印は洋パンのいる場所だ。当時の成増駅はスキップ村の突き当たりにあったので、左の太い道がスキップ村の道で右斜めの道がダイエーの裏の道と思われる。取材時期が明確ではないけれど、朝鮮戦争時の一番活発であった時期だろうか。

当時は、朝霞の方が兵士で賑わっていたのだろうと思うけれど、本文にあるように、風紀の乱れを防ぐため禁止令が出たので成増が賑わっていたのかもしれない。いつまでこの状態が続いたのかはわからないけれど、そんなに長い期間ではなかったのだろうと思う。「彼女らの売春場所は、この町にある第三国人部落のシモタ家である。」が気になるけれど、そこが具体的にどこの場所を指すのかはわからない。

一般に”シモタ家”とは土地持ちが貸す普通の住宅を指すけれど、いったい何処なのか‥なんとなく、想像がつくけれど、もちろんここに書くことは出来ない。興味本位で書くのはいけませんからねっ。

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コメント

アメリカ進駐軍に対する性暴力防止も兼ねた「おもてなし」のつもりが、いきなりGHQの禁止を食らうところ、清教徒的キリスト教倫理観と日本の間にいまだに解消されない性倫理に関する溝を見るような思いです。
しかしその建前論的倫理観は結果的に外面を取り繕う資力や機会に乏しい低い階級の者に対してより厳しく作用している、というより他はないような気がします。

投稿: ブルー | 2017年7月 7日 (金) 06時29分

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