🌟祝!旧陸軍第二造兵廠板橋火薬製造所跡、国の史跡認定!🌟
梅雨‥なのか‥?
クリーニング屋へ行く途中、下赤の商店街で7月から始まるTBSドラマ「ハロー張りねずみ」のロケに出くわした。瑛太クンは思ったよりガタイが大きい人なんだなあ。しかし、生の深キョン嬢を拝顔できるとは眼福でした。ありがたやありがたや‥
目出度い!
きのう16日、文化庁は、文化審議会にて旧陸軍板橋火薬製造所跡(板橋区加賀1)を史跡に指定するよう答申した。こんな晴れのニュースが日本中を駆け巡っても良いのだが、ヤフーニュースのトピックにすら記事が上がっていないではないか。これは世界遺産認定やモンドセレクション金賞受賞に匹敵する出来事ではないのか?
旧陸軍板橋火薬製造所は、明治政府が国内で初めて建設した火薬工場だ。加賀藩前田家下屋敷跡に1876年に開所し、1945年8月の終戦まで稼働した。明治から昭和にかけての火薬の研究、実験、製造、貯蔵など一連の工程を示す遺構が残っている。
特に貴重なのは、旧野口研究所裏にある射撃弾道管だ。射撃場は1877(明治10)年にできた。小銃などの弾の速さを計測する弾道管が火薬の燃焼実験室から延び、50メートルあったうち30メートルが今も残っている。現在は区立加賀公園として使われている場所の築山には、射撃場から弾を撃ち込んだレンガ積みの標的がある。
また、敷地の一部は戦後の一時期、理化学研究所(理研)板橋分所として使われた。共にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹や朝永振一郎が研究室を構えた、一部レンガ造りの物理試験室が残っている。
遺構のある地域は面積が約一万三千平方メートルあり、今後、史跡公園として整備され、2020年、旧理研分所に湯川や朝永の研究室を再現し、区の産業史を学べる博物館を開館し、23年には射撃場の復元が予定されている。
板橋区民が耳にした噂では、調査の過程で、遺された建物の地下から旧陸軍の秘密地下室が発見された‥なんて話も。
それにしても、今回の史跡指定は「火薬製造所跡は軍事研究の先駆けとなった場所で、欧米の最先端の技術を導入した日本の近代工業発祥の地。」と位置付けられているのだから、この際、武器ではあるけれど、閉ざされた農業国だった日本が、世界屈指の工業国へと発展した証を展示する、本格的な博物館の誕生を望むところではある。
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