« 板橋区民、映画「ハクソー・リッジ」を鑑賞する。 | トップページ | 「あ ぶ な い 成増。」〜アウトローな南口〜 »

衝撃!赤塚郷は練馬区だった。(かも)〜練馬区独立展始まる〜

123


 知り合いの板橋区の重鎮から、都議会議員選挙の直筆メッセージ付き支援依頼ハガキが届いた。こんなことは以前にはなかったことなので、今回はよほど危機感を抱いているのだろう。

思えば、選挙権を得てから初めて投票に行ったのは、自民党を飛び出て新自由クラブを立ち上げた人へ投票した時だったかな。。あろうことかその勇ましい議員は舌の根も乾かぬうちに元の鞘に戻り、大いに失望したものだ。その時以来、政治家は心からは信じられないと思うようになった。理由はあるにせよ。

今回の選挙も、自民党もちょっとなーだが都民ファーストもなーといった感じだ。例の怪文書氏も出馬の”スジ”が悪いような気がするし、他の政党は言わずもながですが、さてどうするか。


ちょっと日にちが経ってしまいましたが、先週末24日から石神井ふるさと文化館にて始まった「独立70周年 練馬区誕生への軌跡」特別展を見てきた。

館内には練馬区の独立旗や独立を祝う横断幕が立ち並び、巨大な凱旋門をくぐって会場に入ると、ひな壇では音楽隊がファンファーレを高らかに鳴らし、手に手に”祝!独立”の文字を染めた提灯をもった老若男女の行列が闊歩している。そんな風景を想像していたが、‥そんなこともありませんでした。

いささか拍子抜けしながら粛々と会場内へ進むと、まずは、現況の練馬区の各地域の有史以来の歴史解説から始まっていた。
村の起こり、神社仏閣、支配の変遷、農村のありよう、維新後の教育、産業の発展などなど練馬区の”歴史を振り返る”展示が続く。

明治に入って北豊島郡が誕生し、さて1932年(昭和7年)、独立騒動の発端となった「大板橋区」が誕生する。

本題の展示の性質上、どうしても”紙”資料が多く、一見地味なのだがさにあらず、東京都公文書館が厳重に所蔵保管している重要文化財に指定されている東京都の公文書の原本が、ずらりと並べられており、それはもう圧巻だ。これぞ”ザ・一次資料”ってやつだ。幾多の災害や戦火から逃れ、よくぞ今日まで残ったものだと感動する。


さて、「大板橋区帝国」の誕生だけれど、帝国誕生に反対する檄文は、前回紹介した「板橋区役所位置設定期成同盟会」を開いた町村の大会における決議文のみで、そもそも、そもそも(二度繰り返すが)板橋区に所属すること自体は反対ではなく、”単に区役所の位置が気に入らない”、とのことでしかないようだ。今回の展示で「板橋区編入反対」の公文書が出てくるのかと思ったが、拍子抜けであった。

この区役所位置反対決議文を提出した町村の地図が展示してあったが、現況の板橋区で決議文を提出したのは、我が赤塚郷と上板橋村のみだった。まっ、距離的な不便さは練馬区とは変わらないと言うことですね。

結論を書いてしまうと、他の区と比べて「大板橋区」の面積が大きかったのは”人口”のバランスの問題であり、板橋町を除いて他は純農村地帯で極端に人口が少なかったせいもあったようだ。それが戦争を挟み、郊外への人口の移動が進み行政上の不便が生じたために独立へ向かった、とのオチとなるようです。


それにしても、決議文に参加した赤塚郷と上板橋村はなぜこの時、練馬区に入らず板橋区に残ったのか。この謎は解明されていない。
昨年末、人気グループだったSMAPが解散し、各メンバーの去就が注目されていたが、最初からジャニーズ事務所に残るキムタクは別とし、稲垣、草薙、香取各人は事務所を離れることになった。しかし、リーダーであった中居クンは批判されることを覚悟で、結局は事務所に残る決断をしたと噂されている。それがどう上のことと関係があるのか説明できないが、ふとそのことが浮かんだのである。

|

« 板橋区民、映画「ハクソー・リッジ」を鑑賞する。 | トップページ | 「あ ぶ な い 成増。」〜アウトローな南口〜 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

大して揉めずにアッサリ決まったり、別に食い下がったりしないでアッサリ受け入れたりした懸案事項や懸念表明ほど記録に残らず、後世で事情が判らなくなるものはないんだなあ、と考えさせられました。
都議会議員選挙に限らず地方選というものは何か1テーマが無いと、単なる国政予備選挙と化しますね。
減税日本とか橋下旋風みたいなことがあると、途端に「政党地方連会」や「選挙のプロ」にも票読みが出来ないものと化しますが。
以前は都議会選や区議会選なんかで政党の選挙カーが「子供たちを戦争に送らない、平和な街を」とかガナルたびに「板橋区がどこと戦争するんだよ。図書館戦争かよ。」とか毒づいていましたが、国政予備選挙と思えばあながち突拍子もなくもなかったか。
こうしてスコットランドやバスク地方もかくやの独立話も身近にあった訳だし。

投稿: ブルー | 2017年6月29日 (木) 23時58分

このごろ西武線の新型電車では、扉の上の液晶画面で「練馬区あるある」という、ゆるふわ系アニメ動画を流しています。
いわく、

「練馬区は、板橋区には何となく勝てそうな気がする。でも港区には勝てる気がしない。」

やかましいわ!(上沼恵美子さん風に。苦手だったらごめんなさい。)

それに港区だって、勝手にお金持ちイメージを作られて結構苦労しているのですよ。
このブログの「大板橋帝国からの解放独立」のたとえがシャレにならないようなノリで攻めてきている今日この頃です。


新自由クラブは今でも納得のいかない結末でしたね。
あの種の政党ができるとブワッと投票されてしまうあたりの付和雷同性も板橋区の特徴のひとつと見ています。

投稿: Windy 41 | 2017年6月30日 (金) 20時39分

>>ブルーさま、 Windy 41さま

いつもコメントをありがとうございます。本文には書き忘れましたが、石神井ふるさと館では、今回の独立展のグッズとして絵ハガキセットを企画販売しております。中には例の決議文や「独立自治区として速に練馬区を設置すべし」の公文書も入っており、なかなか攻めています。いっそのこと、練馬区の形をした消しゴムと大板橋区の画をセットにして”板橋区部分を消そう”なんてグッズを作ったらどうか、と提案したく思いました。

投稿: | 2017年7月 1日 (土) 09時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 衝撃!赤塚郷は練馬区だった。(かも)〜練馬区独立展始まる〜:

« 板橋区民、映画「ハクソー・リッジ」を鑑賞する。 | トップページ | 「あ ぶ な い 成増。」〜アウトローな南口〜 »