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ローカルな赤塚郷。

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 爽やかな五月晴れ‥じゃない、暑いんだよ!もうっ。


そんな日差しが降り注ぐ赤塚郷の水車公園横で、恒例の田植え行事がおこなわれた。

これは、昭和39年まで徳丸田んぼでおこなわれていた米作の伝統を将来に伝えるため、かつて農家であった徳丸の有志(主に北野神社田遊び保存会の方々)が、近隣の小学生たちに田植えの指導をしている所だ。

子供達は田植えそのものより、初めて入る泥田の感触に、わぁーきゃぁーと歓声をあげていた。考えてみれば、いいオジさんである徳丸生まれの私ですら、一面に広がる徳丸田んぼの風景を見たことはないし、田植えの体験もないのである。

田植えを指導している方々は私よりも一世代上であり、おそらく田んぼ作業を現役で経験した最後の世代だろう。皆、作業服姿ではあるが、徳丸四天王家を含む地元の重鎮たちが集結しているすごい光景だ。

植えているのはもち米で、秋に収穫した際には餅つきを行ったり、一部は田遊び神事の時に使うそうである。

昭和20年代30年代には、都内の米消費の大きな割合を徳丸田んぼ産の米が賄っていたと言うのが夢のような話である。それにしても、小学生達に体験させるのは良いけれど、田植え指導の後継者は育つのであろうか?さて、20年後はどうなっているのだろう‥


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コメント

腰を曲げてびくから一本ずつ手植えするなんて、記録映像か知識の話で、確かに実際を見たことがない。既に田植え機が活躍してる農業しか見たことがありません。 もはや後に戻ることはない効率化なので実地に経験した人が居なくなればホントに記録の世界の事になってしまうんでしょう。
しかし田植え機の開発と普及は農業機械化の中でもかなり遅い方のようなので、それ以前の、過酷な手植えの時代に都内の米穀消費を支えていたという徳丸田んぼの規模と労力には圧倒されます。

投稿: ブルー | 2017年5月13日 (土) 09時31分

>>ブルーさま
いつもコメントをありがとうございます。
確かに、徳丸田んぼの最後の頃の写真を見ても機械で苗を植えているシーンはありませんでした。田植えを見たことはありませんが、自分の周辺に農家の人は当たり前のようにおりました。

投稿: | 2017年5月17日 (水) 08時54分

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