祝!!⭐️ゆぁ東上誌面リニューアル。⭐️〜2017G.W.期間スペシャル〜
風薫る5月。気持ちの良い季節ですね。
ポールデンウィークは終わってしまいましたが、G.W.は実質今日からが本番かな。
東武東上線を利用している人にはおなじみ?の東上線専用情報誌「ゆぁ東上」が、今月5月号からメジャーリニューアルした。無料配布の冊子なので手に取ったことがある方は多いかもしれない。
リニューアルにより、先月までの二つ折りから四つ折りになってさらにホッチキスで綴じられた体裁となった。これまでは誌面レイアウト変更など、マイナーチェンジを繰り返してきたので、これは大幅な変更だ。
近年は、主に沿線で行われるイベントや東武鉄道の告知がより多く紹介される編集となっていて、今回のリニューアルでそれがさらに簡素になった印象だ。もうね、無駄を極限まで切り落とした、といった感じがする。
「ゆぁ東上」が誕生したのは1985年5月号からだ。今月号の表紙に歴代の「ゆぁ東上」誌面が載っているのでよくわかる。(この表紙は良いですね。)
第1号は、モノクロの誌面だけれど紙質はどうなんだろう?実物を持っていないので見てみたいなあ。当時存命であった、二代目社長・根津嘉一郎氏が巻頭挨拶をしていますね。1940年に初代が死去してわずか27歳で社長となってから、2002年に亡くなるまで60年以上東武鉄道を指揮してきた方だ。
誌面中ほどに、森林公園で行われる中森明菜のコンサート告知がありますね。行ってみたかったなあ。先月はふじみ野でももクロでしたっけ、騒音問題とかなにかと話題になりました。記念乗車券なども多種出たようだけれど、現行の鉄道グッズには物欲をかきたてられなくなってしまった。
さて、当ブログは、黴くさいことを書くのが使命でもあるので、昔にさかのぼってみたい。
「ゆぁ東上」以前にはどんな冊子があったのか。私自身はそのころ東上線に関心がなかったので記憶にないけれど、1980年前後には「東武新聞」が存在し、1970年代は「東上新聞」があった。東武新聞は西池袋に編集部があり、東上新聞はロサ会館内に編集部があった。両紙とも発行号数が共通なので同じ系統の新聞であり、創刊は1971年7月号から。
では、それ以前はというと、1960年代の資料を持っていないのでわからないですが、戦後発行された「東上線ガイド」の創刊が1949年2月号から、戦前の「東上線ニュース」創刊が1938年6月号からだ。両方とも、東上線業務部が編集発行している。
いや〜やっぱり昔の誌面は味があるなあ。。筆者本人の感想が素直に書き込まれていたりして面白い。文章に人格が見えますね。簡素な情報の羅列より読んでいて楽しいし、よみ捨てには出来ない感がある。
最初に創刊された「東上線ニュース」は、当時の国策に沿って出版された可能性がある。その国策、「国家総動員法」とは、1937年に勃発した日中戦争に際し、国家の総力を発揮させるために人的、物的資源を統制・運用する権限を政府に与えた法律で、1938年には「国民の体力向上」や「国民福祉の増進」等を目的に厚生省が誕生した。
その「国民の体力向上」政策の一環で、ハイキングなどが一層奨励されるようになり、東上線の沿線案内にも国策の影響が出始める。
国家標語のような単語が並べられるようにはなったけれど、内容はそれでも変わらず、東上線沿線の案内を格調高く伝える文章となっている。しかし、沿線案内や新聞も、大東亜戦争が始まる頃には姿を消してしまった。
そんな案内が復活したのは戦後も3年半が経った頃。ちょうど復活創刊号が手元にあるので、G.W.にあわせ特別公開しちゃいましょう。巻頭を飾るのは、あの大文豪・武者小路実篤先生だ。東上線を応援しようとする心が伝わって来る内容だ。「武者小路実篤全集」を確認したことはないけれど、もしかしたらそこにも収録されていないような、レアな随筆かもしれない。
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