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⭐️祝!板橋区民、練馬区誕生70年を寿ぐ。⭐️〜2017年照姫まつり〜

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 今年は、練馬区が誕生して70年の記念の年だ。
そんな慶賀を祝し、我が板橋区の誇る西洋流火術鉄砲隊保存会が練馬区より招待を受け、毎年4月に行われる「照姫まつり」の先陣として、祝砲を放つ栄誉を担うことになった。

前日夜の大雨から一転、爽やかな春の風がそよぎ、文句のつけようもない青空の下、大勢の練馬区民が見守る中、午前10時30分から、同じく招待された、赤塚梅まつりでもおなじみの八王子の鷹匠による「放鷹術」が披露され、その後、満を持しての鉄砲隊の登場だ。練馬区内で演武を披露するのは約10年ぶり、練馬自衛隊駐屯地以来である。

演武は、野球場が2面ある広々としたグラウンドで行われた。あんまり広々としていたので、発砲音の威力が効果せず、イマイチ観客の反応が悪かったけれど、この日のために初めて披露した、つるべ連写の早打ちがうまくいき、大きな拍手をいただいていた。

午後からは、毎年恒例の、照姫を先頭にした石神井公園から石神井駅往復のパレードが粛々と行われ、天気に恵まれたせいもあってか、ものすごい数の観客が集まり大盛況だった。

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それにしても‥なぜ練馬区は練馬区誕生70年とは言わず、”練馬区独立70年”と宣伝するのであろうか。1947年、練馬区が板橋区から分離して出来たのは事実なのだけれど、これではまるで過去板橋区が練馬区域を占領、併合していたような印象ではないか。練馬は植民地となり、戸籍も板橋区と書き換えられ、住民たちは搾取や差別に苦しめられたが、ついに自分たちが独立を勝ち取った‥なんて歴史を経験してきたと思っているのだろうか?

区内には”独立70年”を記念する旗が町中に翻っており、練馬区と接する地域に住む板橋区民は、さぞかし国境気分を味わっていることだろう。そういえば今月上旬に練馬駐屯地で軍事、いや、訓練展示パレードがあったっけ。東上線から川越街道までは非武装地帯で、有事の際は川越街道は254号ラインと呼ばれ防衛線が張られるのだろうか。(写真は川越街道を行進する練馬区独立記念パレード戦車隊<嘘>)
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このままでは、成増飛行場を造るために練馬の農民は土地を取り上げられ、徴用による強制労働を強いられたとか、成増に設けられた慰安所で広義の強制により慰安婦にされた練馬の婦女子が、などと喧伝され、いまに強制労働を象徴する少年像、慰安婦を象徴する少女像が建てられやしないかと危惧する。ん?なんかそんな像が光が丘図書館の近くにあったような‥まさか!?

‥まっ、そんな冗談話はともかく、旧板橋区が誕生したのは1932年のこと、東京市35区となった時だ。それまでは、板橋町と北豊島郡だった。

旧板橋区が誕生した経緯と、戦後練馬区が分離した時の経緯については調べたことがないので事情は知らないけれど、おそらく、練馬区域は純農村地帯で、板橋町のような大きな旧宿場もなく、地元に有力な郡議会議員がいなかったため、板橋に飲み込まれてしまったのだと想像している。我が赤塚郷にしても、板橋町方面は遠く、江戸時代から宿場の助郷などで苦しめられていたので板橋区として組み込まれるのは、あまりいい気はしていなかったかもしれない。

練馬区誕生の経過については、この夏に石神井公園ふるさと文化館にて、企画展「独立70周年―練馬区誕生への軌跡」が開催されるので、その真相があきらかになるだろう。その時を楽しみに待ちたい。


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コメント

ごぶさたしております。
あまりにもツボを的確に突いた例えにウケまくりました。

通勤でほぼ毎日練馬駅を通りますが、ホームに立つたびに板橋区内の東武や都営の古びた駅や”三田線”という命名、東武の露骨なまでの板橋区冷遇ぶり(中板橋の通過待ちが引き起こす、ときわ台駅近辺踏切の長時間遮断とか、TJライナー用車両を板橋区内に止まる運用に使う際には、わざわざクロスシートをロングシートに変えたりとか)などの現実を突きつけられ、今や完全に立場が逆転していると、ため息交じりに感じています。
西武は高架化の際、練馬を主要駅として改めて位置づけましたね。

他地域の人の知名度を調べたら、おそらく練馬が大差で上回るでしょう。
車のナンバープレート、気象観測地点など、皆練馬です。
練馬区内からは羽田空港リムジンがありますが、板橋区から早朝の羽田発便に乗ろうとするととんでもない苦労を強いられます。
国際興業バスのリムジンも池袋か赤羽発着で、板橋区は眼中にありません。
区政に改善を要望してもはかばかしい回答が得られません。

35区時代の地図を見ると、上石神井や武蔵関の人が仲宿の区役所に出向くのは多分一日仕事だっただろうと同情しますが。
以前どこかに書きましたが、ほぼ東西に分割して東側(旧広岡郷と羽沢、豊玉地域)を板橋区、西側(旧赤塚郷と石神井地域)を”石神井区”とでもしてくれれば、まだましだったかもしれません。

投稿: Windy 41 | 2017年4月24日 (月) 14時58分

>>Windy 41さま
いつもコメントをありがとうございます。
今回の記事は、あくまでも企画展「独立70周年―練馬区誕生への軌跡」の宣伝と思っていただければ幸いです。人口の面でも板橋区は52万、練馬区は72万人と差をつけられてしまいましたね。東西分割案も良いですがやはり”石神井区”には抵抗が‥。練馬区の中でも光が丘はまた別の意識を持っているようで、板橋区に例えるならさしずめ常盤台か中台のサンシティといった感じでしょうか。

投稿: | 2017年4月24日 (月) 22時50分

61式中戦車が川越街道をパレードするなんてことがあったんですね。行き交うクルマの形を見るとどう見ても昭和40年より後、という感じがします。61式中戦車の加速力は現代戦車並みらしいですが。

投稿: ブルー | 2017年5月10日 (水) 10時26分

>>ブルーさま
いつもコメントをありがとうございます。
戦車の写真は北町に住む知り合いより提供いただいたものです。この頃わたしもとっくに生まれていたと思いますが、生で見たかったですね。先年の茨城県の水害時には、災害派遣帰りの自衛隊車両列に偶然遭遇し一緒に川越街道を並走する形となりましたが迫力がありました。

投稿: | 2017年5月10日 (水) 11時41分

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