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板橋区民、年末に嘆く。

2004

 2016年もあと10日かあ‥

もういくつ寝るとお正月。年の瀬も近づいてきましたが、気になるニュースがありました。なんでも、除夜の鐘が近隣住民の苦情により取りやめになるというケースが、多発しているという。

大晦日の夜は子供でも夜更かしが許され、除夜の鐘を聞きながら年越しそばを食べるのが習わしなのだと日本人には染みついており、そういう状況ではない人たちも、まあまあ大晦日だから、と我慢するというかそんなものだとスルーするのかと思っていたのだが時代が変わったらしい。

ちょっと前は、保育園がうるさいと建設予定地の近隣住民が反対運動するというニュースがありましたっけ。日照権だの騒音問題だのは常に存在する問題ではありますが。

板橋区民にも、騒音問題について考えさせられる、というか一言いいたいことがある。

それは、当ブログで過去に記事にしたこともあるけれど、我が板橋区の誇る「西洋流火術鉄砲隊保存会」の活動についてである。

保存会は2002年に板橋区立郷土資料館で企画され、その背景には赤塚支所による赤塚地区における観光の目玉が欲しいとの思惑があり、基本的には保存会の設立趣旨に賛同したヴォランティアによる運営として始まったものだ。

実際に保存会として形を成すには紆余曲折があり、衣裳装備などはほとんど手作りであった。主役である銃については、西洋流とは本来ゲベール銃が使われるのだが、高島流の火打石式ゲベール銃は日本に数丁しか現存せず、管打式以降のものは現代銃に構造が近く、銃刀法に抵触する恐れがあるので自主規制として古式銃である火縄銃を用いて演武を行うものとすることになった。厳しい警察の取り締まりや火薬使用申請の苦労をしながら、わざわざ空砲を発砲するのは、当時の迫力を現代に再現するという使命があるからだ。

演武を披露する場所は、かつて高島流砲術が世に知られるきっかけとなった”武州徳丸ヶ原”であった、高島平地区で行われるのは必然だった。会場として廃校になった高島第七小学校校庭で毎年10月下旬に開催される高島平まつりに参加することが決まり、まつりの目玉イヴェントの一つとなった。

そして2004年の初披露以来10年間、明治維新という歴史の大変革のきっかけを作った「徳丸原調練」を現代に再現するということを、その”聖地”である高島平で続けてきたのだが‥、2013年を最後に現在では行なわれていないのである。

なぜか。

それは、高島平まつりから追い出されてしまったからだ。

理由は、

<音がうるさい。>

と高島平の住人から苦情をいわれたからである。

苦情を持ち込まれた高島平まつりの実行委員も、困まり果てた末での苦渋の判断であり、「西洋流火術鉄砲隊保存会」としても理解しての撤退だったが、高島秋帆先生と高島流を信奉する私個人としては忸怩たる思いがある。

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板橋区民の保管棚には、長年にわたり収集してきた高島秋帆先生の書画が積み上がっている。他の場所にもこの棚の倍以上の量を所蔵しており、秋帆先生の軸の収集としては個人では日本有数と自負している。
そんな信奉者からすると、高島流が世に広まった歴史的な場を”追い出される”というのは今でも納得がいかないのだ。

<音がうるさい。>

これは理解している。確かに銃の発砲音は大音響だ。しかし、演武時間は約20分、発砲は一銃士各5発だ。年に一度、それも高島平まつりで約10年続いていた演武。高島平の住人の方々の間には認知されていたものと思っていた。
しかし、年に一度、約170年前に、現在の高島平という土地で行われた、教科書の歴史年表に載るほどの出来事を再現するという文化的な行為は否定されてしまった。これは保存会の存在意義も否定されたも同然だ。

‥などと”愛が深いゆえに盲目となった”言葉を書き連ねてしまった。

まあ確かに空砲による砲術演武をしているなんて知らない人が、いきなり「ドッカーーーーン」なんて発砲音を食らったらびっくりするだろう。病に臥せっている方や精神的に音に敏感な方などには迷惑な話だ。しかし、迷惑だから空砲演武をやめてくれと集団抗議行動があり、数百人の署名を突きつけられたことはない。直接苦情をねじ込んできた方は、数人だったという。

日本は民主主義の国だ。民主主義は多数決で物事を決めるが少数意見も尊重しなくてはならない。数人の苦情のために歴史再現演武は、所縁の地から排除されてしまったのである。

ただし、だ。

「素晴らしい!」「感動した!」「これが幕末維新のスタート合図になった歴史史実なんですね!」「毎年続けてください!」などという感謝やお褒めの言葉をわざわざかけてくる人は一人もいなかったし、演武を再開してください!との声もないことも事実ではありますが。

まっ、そんなにヒネクレなくても、演武中の拍手やざわめきで支持は十分伝わっているのではと思いますけどね。


と言うようなことを、除夜の鐘が取りやめになるというニュースを聞いて書き連ねてしまった。高島平まつりの会場が、もし赤塚公園であったなら、西洋流演武も排除の憂き目にあわなかったのかもしれない。

そうそう、排除されたのは鉄砲隊だけではなく、同時に高島平の勇み太鼓と、大東文化大学応援団とチアガールも”鳴り物がうるさい”との理由で出演できなくなってしまった。チアガール達の溌剌としたチアーを毎年楽しみにしていたオジさん方もいたろうに、残念な時代ではある。

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コメント

嫉妬は正義を装おって現れる。
沢山の人が楽しそうにやってるのに自分だけ疎外されているのが妬ましく、しかし他人に愛想よく近づいて参加してみようという甲斐性もない人間が、それでも唯一他人と関われる手段が「迷惑」という正義なんですな。
そうして自分と一緒に他人が陰鬱に沈んでいくのを願う。
こういう迷惑を個人を尊重する建前の現代社会はどうにも出来ないというところが困ったモンです。

投稿: ブルー | 2017年4月20日 (木) 18時01分

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