« 板橋区民、ミーハーだった。 | トップページ | 板橋区民も驚く。〜2016いたばし農業まつり〜 »

板橋区民、有楽町で逢いました。

21

 本格的に寒いと感じる日もありますね。。

前回の続きで、こんな写真も出てきた。

双子のデュオ「ザ・リリーズ」。代表曲は1975年リリースの2ndシングル「好きよキャプテン」

キャンディーズ、ピンクレディの陰に隠れ爆発的に売れた印象はないけど、若い男子には人気があったような気がする。
言い訳するが私はあまりファンではなく、写真部の友人に誘われたので道々した覚えがある。

撮影時はヒットから2年が経過し、その年は新曲も2曲しか発売されなかった頃だ。場所は有楽町の高架下の商店街、「有楽フードセンター」の一角にあったスペース。現在の「銀座インズ」ですね。

他に何か書くことはないかと考えたけど、リリーズには思い入れがないもんで‥


こんなに短い記事では申し訳ないので、時代は1981年と少し進むけど、有楽町の「日劇」と「朝日新聞東京本社」の建物が閉鎖された直後の写真もUP。


1_2456

ちなみに、日劇(日本劇場)が1933年竣工、朝日新聞社屋が1927年の竣工だ。

日劇には東宝の映画館もあったけど、それを含め中に入ったことはなかった。ただその存在はあまりにも有名で、建物的にも好きだった。
日劇が無くなってから35年、と聞くと”まだそんなもんだっけか”と思うけど、その後に出来た有楽町センタービル(マリオン)ができて32年と聞くと”もうそんなになるのか”と感慨がある。

旧・日劇ビルは、戦前の空気を纏う独特の雰囲気を持っていた。

芸能界では「日劇の舞台に立てたら一流」とも言われる存在だったけれど、ビルの周りには終戦直後から営業していたであろう”靴磨き”が何人もいたり、年の瀬には救世軍の”社会鍋”もいたり、傷痍軍人の演奏もあったり、また、戦時中は”風船爆弾の工場”として接収されていたりと、とにかく「ザ・昭和」的な色合いが濃かった。

日劇は、1981年2月15日に全ての営業を停止し、22日に完全閉館した。掲出の写真はその1週間後くらいに撮影したと思う。多分、ニュースなどで大々的に報じられていたので、野次馬根性で出かけたのだろう。

一通りビルを回って撮影していると、ある落書きが目に入った。名残を惜しんだ人が書きのこしたんだろうと思い、とりあえず写真を撮っておいた。それが下の写真だ。

2_2


だいぶ見辛い写真で、書き込まれた文字もとても達筆なので解読し難たいが、書き起こしてみる。


落書きを許してください
こわされゆく庶民の憩い場
我々生きる人間に喜びと悲しみと
いろいろな人生に重なる人間の世界に
いろいろな教訓を与えてくれた
私も職業柄日劇と関係ある公務員ですけど
日劇が消え去った心境をのべると
すると有楽町を歩く人々
すべてがエキストラに見え、昼間のうち
そういう感がいを感じないけど
夜になるとひとしお日劇というものが
なくなり私自身もさびしくなり
と◯うも早くこの空間を庶民の憩い場
やすらぎのにあう物を
心より祈っています。
ぽっかりと私の心に中に
穴が開いたような気がします。


う〜ん、どうも酔った勢いで書いたのかどうしても読めない字もあり、うまい文章でもないけれど、寂しい、という感情は伝わってくる。文中に、”私は職業柄日劇と関係ある公務員”とあるけど、閉館は施設の老朽化と東京都の再開発事業により、とあるのでもともと敷地は東京都の土地だったのだろうか?
落書きの下の方、剥がれた張り紙の隙間には、昭和56年2月28日付?の「赤羽から100円区間」の国鉄切符が挟まれていた。


‥しかし、この公務員氏、まさか35年も経ってから自分の残した落書きがインターネットで公開されようとは、思いもしなかっただろうなあ。。

|

« 板橋区民、ミーハーだった。 | トップページ | 板橋区民も驚く。〜2016いたばし農業まつり〜 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 板橋区民、有楽町で逢いました。:

« 板橋区民、ミーハーだった。 | トップページ | 板橋区民も驚く。〜2016いたばし農業まつり〜 »