« 板橋区民、評価を受ける。2016初秋 | トップページ | 板橋区民、練馬区最古の映像を提供する。〜豊島園・1929年〜 »

板橋区民、コレクターの本懐を遂げる。

PhotoPhoto_21

 いい加減晴れて欲しいなぁ‥

「ついに」「とうとう」「ようやく」。そう、ようや〜っと、この時が来た。。

<コレクターとは、言い換えれば忍耐の人でもある>

存在を知ってから20年余。手にする機会は、ほぼないであろうと思っていた幻の逸品が、板橋区民の手元にやってきた。それは、自らの努力というより、収集の神さまが気まぐれに微笑んでくれたのであろうか。。

その幻の逸品とは、「板橋競馬場勝馬投票券」である。

”東京ジョッケー倶楽部”が運営する板橋競馬場は、明治40年(1907年)に行政の認可を受け、翌明治41年3月から営業を開始したが、たった3シーズン、わずか1年も経たずに廃止となった幻の競馬場だ。

板橋競馬場については、このブログを立ち上げたころ何度か記事にしたことがある。また、最近更新されたウィキペディアの記事が割と正確に書いてあるので、詳しくはそちらを参考にしていただきたい。(手抜き)

いまから2年前、板橋の郷土資料館で「板橋と馬」というお題の特別展が行われた。実はその時、板橋競馬場の勝馬投票券が展示されたことがある。所蔵は横浜にある「馬の博物館」で、この博物館は、洋式競馬発祥を記念した根岸競馬記念公苑内に、1977年、日本中央競馬会によって開設され、現在、公益財団法人馬事文化財団が運営している。

特別展で展示された勝馬投票券(めんどくさいので以下馬券)は全部で3枚、それぞれ明治41年3月29日(開催2日目)11レース、同4月4日(開催3日目)10レース、同4月5日(開催4日目)10レースの馬券で、2日目が白地に赤でAの印字とその上に重なるように3の文字がパンチ穴で開けられた券、残り2日は掲出の馬券に似ているが地紋が上半分騎乗姿下半分が騎手帽、騎乗と騎手帽が4分割と言うように、おそらく偽造防止のためにそれぞれ地紋のデザインを変えてある。

今回、板橋区民が入手したのは初日七鞍目馬壹番、”初日”とあるので明治41年3月28日に行われたレースで、第7レースの馬番1番、単勝券だ。

”初日”。う〜んいい響きだ。英語で書くと、「FIRST DAY」。なんだか「馬の博物館」に勝った気持ちだ。

いやだがしかし、3月28日と書いてあるわけではないので、第2回開催の7月11日、12、18、19の4日間のうちの初日なのか、それとも第3回開催の12月22日、23、24の3日間のうちの初日の可能性もある。もっとも、第3回開催は馬券禁止令が出たせいで入場券も数枚しか売れず可能性はないだろう。

それでも、馬券の地紋が馬の博物館所蔵のものと似ているので、第1回開催時の馬券と仮定して話を進めると、さて気になるのは馬番1番とはどんな馬で誰が騎手で馬主はどういう人物なんだろう、レース結果は?などなど知りたいことがたくさんある。

そこで、国立国会図書館へGO!桜田門外の堀には板橋区内ではあまり出ないミニリュウが出現するようだし、ついでにゲットするか。(まだポケモンGOやってるんかい!)

昔、板橋競馬場の記事を書いた時には当時の新聞のマイクロからコピーした記事を参照したけれど、レース結果は欄外に印刷されており、文字が潰れたり切れたりしていてほとんど読み取れる状態ではなかった。そこで、国会図書館に所蔵されている「馬匹世界」という当時の競馬雑誌を参照することにした。

備え付けの端末で検索すると、あちゃー、所蔵は京都の関西館となっているじゃん!と、よく見るとデジタルデータ化されていて東京でも閲覧できるようになっていた。

さてさて、レース結果はどうなんだろう‥


初日、第七競馬

濠洲産馬(八頭立)第二競争、距離一哩、賞、第一着六百円、第二着金百五拾円、第三着金七拾五円

着順      馬名       持主     騎手     斤量
第一着   ヲリムピア    ヨウド氏     川崎      1.32

第二着   ジャンダーク   濱村氏    奥山     1.37         
  
第三着   アズマ       檜山氏    佐竹     1.35

ジャンダークが獨り舞臺の人気なりしが發馬の際にはジャンダーク最も出遅れたるも四分の一邊より段々奮進し決勝點間近き所にては並行突進したるも僅か馬主首丈けの差にてヲリムピアが勝ちを得たるは大穴二百十四円であつた。


当時、競馬は濠洲産馬と日本産馬は別々に分けてレースが行われた。それだけ、体格(馬格?)に差があったのだろう。
と、いうことは馬壹番の馬は濠洲産馬となるが、残念ながら3着までの馬名と持ち主と騎手、そして着順と獲得賞金しか情報が書かれていないので馬番1番がどのような由来の馬なのかはわからなかった。
当時、すでに一般紙でも事前レース予想などがされていたので、新聞を丁寧に調べれば、あるいは解明できるのかもしれない。


今はまだ幻の馬券を入手できた興奮であまり頭が回らないけど、発券されてから108年。いままで何人の手を経て板橋区民の元にやってきたのだろうか‥その厖大な月日を思うとめまいを覚えるなあ。。

おっと、書き忘れるところでしたが、3枚目の写真は、これも当ブログ初期に記事にした「伊賀式飛行機」の公開飛行実験の様子の写真(絵葉書)で、明治42年の翌々年、明治44年2月に、閉鎖された板橋競馬場内にて行われた。後ろになにやら建物らしきものが写っているが、これが競馬場関係の建物かどうかはわからないけれど、板橋競馬場の様子がわかる貴重な写真だ。


|

« 板橋区民、評価を受ける。2016初秋 | トップページ | 板橋区民、練馬区最古の映像を提供する。〜豊島園・1929年〜 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 板橋区民、コレクターの本懐を遂げる。:

« 板橋区民、評価を受ける。2016初秋 | トップページ | 板橋区民、練馬区最古の映像を提供する。〜豊島園・1929年〜 »