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板橋区民、練馬区最古の映像を提供する。〜豊島園・1929年〜

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 ちょっと晴れ間が出ましたね。いそいで洗濯しなくっちゃ。

本日から、練馬区にある石神井ふるさと文化館で企画展示室特別展「夢の黄金郷(エル・ドラド)遊園地」-思い出のメリーゴーランド- が始まった。

企画の趣旨は以下のとおり。

「遊園地は、花壇や温室、ボート遊びなどが集まった屋外行楽施設からはじまります。大正期以降、遊園地は鉄道沿線の開発と関わりながら、日帰りで楽しめる行楽地として各地に誕生しました。ウォーターシュートやメリーゴーランドなどの機械遊具が取り入れられていくと、遊園地は、次第に子どもが主役の場所となっていきました。本特別展では、区内の遊園地「としまえん」や、練馬区旭町にかつて存在した遊園地「兎月園(とげつえん)」を中心に、遊園地の歴史をたどります。あわせて、特別展の事前事業として公募を行った区内の遊園地の古い写真についても、会場内でスライド上映します。」


大正後期から戦時中にかけて存在した「兎月園」は、最寄りが成増駅なので板橋区だと思っていたが、実は道を隔てて現在は練馬区旭町にあるので、練馬区のものなのだ。一足先に展示品を拝見させていただいたが、未発表の資料がいろいろ発掘されていて実に見応えがあった。

石神井ふるさと文化館では、日ごろ板橋区民が成増陸軍飛行場の公開講座でお世話になっているので、恩返しに何か協力したい(いっちょ噛みたい/爪痕を残したい)と思っていた。そこで、板橋区民が秘蔵していた「豊島園」の映像を提供することにした。

秘蔵していたのは、大正時代半ばにフランスで規格化された9.5ミリのパテフィルムを使う個人映画・家庭内上映向けの映像機器・パテベビーで撮影されたフィルムで、映画ニュースとして昭和4年(1929年)に、正式開業から2年後、プールが新造された年に収録された映像だ。この機会に専門業者に依頼して、デジタル映像データ化してもらった。

”としまえん”の歴史についてはウイキペディアに詳しいのでそちらを参照いただくとして(また手抜きかよ)、園内には、昭和7年3月に「不二映画撮影所」の撮影スタジオが設けられたが1年で解散、その後、紆余曲折を経て大泉に東映東京撮影所の前身が作られることになる。だから、いまのところ板橋区民が本日から公開した「豊島園」で撮影された映像が最古のもとなる(かもしれない)のだ。

練馬区は戦前板橋区だったから板橋区最古の映像だ。と言いたいところではあるけど、この映像が撮影されたのはまだ”北豊島郡上練馬村向山”時代だったので、そうは書けない。板橋区になったのは昭和7年からですね。

板橋区内で撮影された最古の映像は、今のところ当ブログで記事にした昭和26年公開の大映版「自由学校」で、我が赤塚郷で撮影されている。当然、それ以前の時代の映像もあると思うけど、まだお目にかかったことはない。


提供した「豊島園」の映像は全部で2分間、賑わう園内と目玉の遊戯施設だった”ウオーターシューター”やボート場、水泳場の様子が映っている。男はカンカン帽を被り、女性は以外と日本髪に着物姿が多い。これは豊島園が”晴れの場所”という意識が強かったんでしょうね。時代が感じられます。

豊島園は開園してから90年もの歴史ある娯楽施設だけれど、現在、水面下では閉園の話が進んでいるようで、近い将来には練馬区の防災公園になるらしい。その暁には、ぜひ練馬城の復元を。なんてね。


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コメント

豊島園のウォーターシュート。
懐かしいです。幼少の頃、バスが徳丸一丁目交差点付近から、練馬区桜台まで走っていた時代。親に連れられ豊島園に行ったものでした。
その豊島園で見たウォーターシュートは画像より迫力があったような。
なにより、ボートの先端で「体操のお兄さん」の様な船頭さんが、水面にボートが着水した時にジャンプするパフォーマンスがあったと思います。

先に書いた、「バスが徳丸一丁目交差点付近から~」というのは、その当時、不動通りの終端で、西台に上がる道も、高島平も無い頃の道で、バスがUターンして、宮下から東武練馬駅~桜台方面にバスが走っていたと思います。。

投稿: ひでぼう | 2016年9月22日 (木) 13時58分

>>ひでぼうさま
コメントをありがとうございます。
豊島園のウオーターシュートは昭和40年代始めまで存在していたようですが私は記憶がありません。桜台行きのバスは鮮明に記憶にありますが、東武練馬の踏切を越えて川越街道まで出ていたなんて今では信じられませんね。
当時は車掌さんの乗ったボンネットバスで、ウインカー代わりについていたぴょこっと飛び出す方向指示板見たさにいつも運転台の後ろに張り付いていました。最寄の宮の下バス停から不動通りでバスがUターンして戻ってくるのを見るのが楽しみでした。いつからこの路線が走っていたのかを調べましたが昭和37年にはすでにあったようですがよくわかりませんでした。

投稿: | 2016年9月22日 (木) 18時18分

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